クラシック 未知との遭遇
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2025/03/28 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 3〜僧たちの歌
2025/02/21 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 2〜天皇の歌を中心に
2025/01/20 (月)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 1
           〜大河ドラマ「光る君へ」女流歌人の歌

2024/12/16 (月)  ワーグナー「ニーベルングの指環」総括
2024/11/07 (木)  MLB2024ワールドシリーズ「クラ未知」的リポート
2024/10/31 (木)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合 (後編)
2024/09/30 (月)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合(前編)
2024/08/31 (土)  ワーグナー「ジークフリート」原典との照合
2024/07/31 (水)  ワーグナー「ワルキューレ」原典との照合
2024/06/30 (日)  ワーグナー「ラインの黄金」 原典との照合
2024/05/22 (水)  ワーグナーの「指環」を原典から考察する

2008年5月〜2024年4月のコラム
 2025.03.28 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 3〜僧たちの歌
 百人一首の中に僧の歌は10首あります。今回はその中から、86西行法師、69能因法師、8喜撰法師の歌を取り上げましょう。

(1) 西行法師
 歎けとて 月やはものを 思はする
           かこち顔なる わが涙かな
<超訳>
 「もう会えないワ」なんて 月は言わない
 この涙は貴女のせいで流れてるんだ

<清教寺訳>
 月は 嘆きなさいなどと 物思いさせるものなのか いやそうではないだろう
 なのにわたしは まるで月のせいだといわんばかりに 涙している

 西行 (1118-1190) は北面の武士をしていましたが、23歳の時、官位も妻子も捨てて出家します。自由を求める彼が宮中の人間関係にうんざりしたから ともいわれています。そんな西行の心に宿った叶わぬ恋心。それが後鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子へのものだったといいます。この歌はそんな切ないばかりの胸の内を詠ったもの というのが定説です。もしや西行は一生この方に思いを馳せながら旅を続けていたのかもしれませんね。ベートーヴェンが不滅の恋人をブラームスがクララ・シューマンを思い続けたように。
 百人一首は各歌人のベスト1を集めたオムニバス という向きがありますが、こと西行に関してはどうでしょう。彼にはより有名な歌が多々あります。例えば。

 願わくは 花の下にて 春死なむ
          その如月の 望月のころ

 この意味は文字通り、「死ぬのなら2月 満月のころ桜の花の下で」 というもの。同じ構文で中島みゆきに「船を出すのなら9月」という曲があります。みゆきさん、恐らくこの西行の歌を踏まえているはず。流石の見識!
 西行研究で名高い白洲正子さんは、「死ぬなら年の瀬、人は忙しくて私の死なぞ誰も気にも留めないから」といって実際12月26日に亡くなっています。これ、元総理・細川護熙氏が語っていました。
 名高いこの歌、当方は辞世の歌と思っていましたが、若いころの作だということでした。若くして出家するような人は若いころから常に「死」と向き合っていた ということでしょうか。グスタフ・マーラーは「物心ついてから死を意識しない時期はなかった」と言っています。これは幼少期に兄弟姉妹を次々となくしたという境遇のなせる業なのでしょう。交響曲第6番などを聴くと、どこか西行の死生観に通じるものがあるように思えます。

 西行の歌で私が最も好きな歌はこれ

 心なき 身にもあはれは 知られけり
           鴫立沢の 秋の夕暮れ

 三句切れ体言止めのこの歌は前の歌とは違いその意味を深く考えさせられます。ポイントは「心なき身」とはどういうことなのか? ということ。「あはれ」は日本人特有の感性・幽玄なるもの=「物のあはれ」のこと、「知られけり」は感じられる、「鴫立沢」はみちのくへの旅の途中で立ち寄った相模国大磯の地名、「秋の夕暮れ」は文字通り。なので、文脈的に難しくはない。とはいえ、作者は「心なき」にどんな意味を込めたのか が解らないと理解したことにはならないと思うのです。

 仏教における究極の境地を「空」という。「空」とは単なる「無」ではない。万物は個々独立して存在するにあらず、必ず何かの関連をもって存在する。このような「縁起観」に基づく無の状態が「空」ということのようです。
 出家した西行はこの境地を求めて旅をしていたはず。ならば、この歌の「心」とは「空」のことではないか。したがって、「心なき身」とは「未だ修行途上で『空』の境地に達していない自分」と解釈できるのではないでしょうか。

 白州正子さんは著書「西行」の中でこう述べています。
殆どの学者が、この歌を、ものの哀れを感じない(俗世の煩悩を超越した)世捨て人にも、鴫の飛び立つ沢の夕暮れは哀れに思われる、と説明しているが、何か釈然としないものがある。その説が間違っているというわけではないが、心というものについて、苦労を重ねた作者にとって、「心なき身」とは、ひと言で片づけられるような簡単なものではなかった筈である。
 この白州さんの記述から、私が出した解釈も安易な気がします。世の中は答えの出ない問いばかり・・・・・なぜ戦争はなくならないのか、正義とは、人生とはetc 。浅学非才の私なんかが、「心」とは「空」 などとひと言で片づけられるわけがありません。だからといって、答えを求めることを諦めたくはない。考えることを放棄したくはない。これからも、たとえ答えが出なくても、投げ出さず考えつづけたいと思います。

<清教寺訳>
 未だ「空」の境地に達していない未熟な私にも
 鴫立沢の秋の夕暮れは物のあはれを感じさせてくれるのです

(2) 能因法師
 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は
         龍田の川の にしきなりけり
<超訳>
 みてごらん! ペルシャ絨毯みたいな 龍田川を

 能因法師(988-1050)は、26歳の時、エリート官僚の道を捨て出家、放浪の旅に出て歌を詠みました。西行の先輩格といえます。

 もみじが風に乗って飛び川を錦に飾る〜ワープ感、モダン感、見立てのスキル。スペキュタクラーな美意識が見事です。

<清教寺訳>
 三室の山の紅葉は 風に乗って龍田川に飛び 錦となって川面を飾る

(3)喜撰法師
 わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
          世をうぢ山と 人はいふなり
<超訳>
 ほっといてよ!もう〜! 誰になんと言われようと ここは良い場所なんだから
 勝手にヒッキーと呼べばいいさ

 喜撰法師は生没年不詳、出自不詳、表記は窺仙・窺詮・基泉・喜泉など数々。真作と認められるのはこの歌だけ。確かなことは宇治山に隠棲したことくらい と実に謎多き人物です。
 人に何と思われようがこの暮らしは何事にも代えがたい〜そんな世捨て人の孤高な満足感がじんわりと伝わってきます。ここは<清教寺訳>の代わりに、替え歌で締めましょう。

<清教寺替歌>
 わが庵は 都のたつみ 木場なれど
          世を楽人と 人はいふなり

 では今回はこのあたりで。また来月。

<参考資料>
 小倉百人一首冊子
 WEB-SITE レッツ百人一首
 西行 (白州正子著 新潮文庫)
 2025.02.21 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 2〜天皇の歌を中心に
 百人一首の中に天皇(上皇)の歌は8首あります。今回はその中から、2持統天皇、77崇徳院、100順徳院と一つの付を取り上げましょう。

(1) 持統天皇
 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
           衣干すてふ 天の香具山
<超訳>
 ん?ヤバくない? 春が終わっちゃって、今年も夏が、もう来ちゃってるらしいのよー。
 だって、香具山に白い着物が干してあるってよー。

 この歌はいろいろ解釈があるようで。「令和」という年号を決めたといわれている国文学者中西進さんはこう仰っています。「香具山というのは神様の山なんです。そこに洗濯物を干すなんてありえません。この白妙の衣というのは雪のことなんですよ。そうすると夏というのがひっかる。歌の解釈は難しいものです」。
 これを聞いて当方はこんな解釈をしました〜「干す」には「欲す」という意味が籠められているのではないかと。これならば「今は夏だけれど雪であって“欲しい”」という気持ちが含まれる。
 持統天皇(645-703)は夫・天武天皇と共に新しい日本の建設のために尽力していました。二人には草壁の皇子という優秀な後継者がいた。ところが彼は若くして亡くなってしまう。期待の星を失った母の無念はいかばかりだったでしょうか・・・・・今は夏だけど雪の降るころ彼はまだ生きていた。そのころであって“欲しい”。これならば中西説の矛盾も解消できるし母・持統天皇の気持ちも籠ると考えました。
 ところがこの解釈に法隆寺のリュウちゃんから待ったがかかります。「自分は天の香具山あたりによく行くけど、雪が降ってもあの山は白くなりませんよ。よかったら一緒に行きませんか」。そう、リュウちゃんは香具山のある藤原京跡の近くに住んでいるのです。これは中西先生に対する反論なのですが、それを踏まえた私に対してのものでもあります。地元に住むリュウちゃんの言い分も尊重しなくては と思ってはみたものの、解釈を覆す気にはなれません。そんな私の訳を下記。

<清教寺訳>
 春が過ぎて今は夏 香具山に雪が降り積もっていたころは 吾が子はまだ生きていた
 今は雪などあるはずもないが 山が雪に覆われていたあのころに戻って欲しいものだ

(2) 崇徳院
 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の
            われても末に あわむとぞ思う
<超訳>
  無理なんだ今は でも時が流れたら 必ず君に会いにゆくよ 約束する

 崇徳院 (1119-1164) は5歳で天皇に即位するも実権は父・鳥羽上皇にあり、上皇になった数年後、保元の乱で弟の後白河天皇に敗れ讃岐に流されます。これはそんな薄幸の天子の切なる思いが籠った歌。

 NHK 2017年下期朝ドラ「わろてんか」は吉本興業の創始者吉本せいの物語。劇中の登場人物・落語家月の井団真の十八番が「崇徳院」。北村有起哉演じる団真が頻繁に「瀬をはやみー」と発していたのを思い出します。
 落語「崇徳院」はこんな噺〜出会った娘に一目惚れした若旦那が恋煩いで寝込んでしまう。大旦那は倅のためにその娘を探してやろうと思う。手がかりは別れ際に手渡された「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の」と書かれた紙片だけ。これは有名な崇徳院の歌の上の句。下の句は「われても末にあわむとぞ思う」だから、その娘もきっと会いたがっているはず と推察する。そして、娘探しを出入りの職人熊五郎に頼む。熊五郎は人の集まりやすい風呂屋や床屋で「瀬をはやみー」と叫び続ける。そして遂に反応があって娘が見つかる。熊五郎、喜び勇んで床屋の鏡を割ってしまう。「どうしてくれるんだ」と迫る床屋の店主に、「割れても末に買わんとぞ思う」と返す。

 この歌の解釈としては、落語のように別れた恋人に再会したいという気持ちを詠ったもの というのが定説ですが、もしかして、戦い敗れて流された上皇の復権を願う切なる気持ちも重なっているのではないか と思ったりもします。そんな読みを込めて訳を下記。

<清教寺訳>
 川の流れが速く 岩に堰き止められた急流が二つに分かれてしまう がいずれまた
 一つに合流するように あなたにもう一度逢いたい そして 昔の自分に戻りたいものだ

(3) 順徳院
 百敷や 古き軒端の しのぶにも
         なほあまりある 昔なりけり
<超訳>
 あーあ 草ボーボーじゃん 昔はよかったんだよねー なつかしいなー

 順徳院 (1197-1242) は、1221年、尊敬する父・後鳥羽上皇を助け承久の乱に参戦するも敗れ、佐渡に流され、そこで没しました。この歌は彼が20歳のころの作品。武士の時代が到来し栄華を誇った貴族の時代が遠ざかる。「昔はよかったなあ」という気持ちが伝わってきます。

 デューク・エリントン楽団に「昔はよかったね」という曲があります。1941年、デュークがASCAP(米国作家出版者協会)と対立し、自身の作品が演奏できなくなってしまったとき、息子のマーサーが作ったのがこの曲。軽快で乗りのよい曲想はエリントン楽団の人気ナンバーになっています。「昔はよかった」と思う息子が親父を助ける。コレ順徳院/後鳥院の図式に似ているような気がします。この原題は”Things Ain’t What They Used To Be”。直訳すると「昔のようにはいかない」ですが、「昔はよかったね」は名訳です。

<清教寺訳>
 宮中で 古びた軒端に生えるしのぶ草を見るにつけ
 昔の御代は 偲んでも偲びきれるものではありません

(付) 美智子上皇后
 かの時に 我がとらざりし 分去れの
            片への道は いずこ行きけむ

 2月5日、NHK-Eテレで、美智子上皇后さま(1934-)の歌集「ゆふすげ」からの紹介番組がありました。以前ならこの手の番組は見なかったと思うのですが、百人一首に親しんで和歌が身近に感じられるようになったからでしょうか、興味深く拝見することができました。全部で30首ほどの御歌が取り上げられていましたが、どれもみな、上皇様への愛情や国民に寄り添う気持ちなど、温かく優しい御気持ちが現れていました。
 そんな中で一首だけ異質な歌がありました。それが冒頭に掲げた歌です。お詠みになられたのは1995年、61歳のとき。「かの時」とは、1959年、明仁皇太子との結婚を決意した時 ということになるでしょう。もしこの道を選んでいなければ、自分はどんな人生を歩んでいたのだろうか という御気持ちなのですね。
 我々庶民も、人生の分岐点は多々あります。あの時ああしていなければいったいどんな人生を送っていたのだろうか なんて時折考えることがあります。また、人生選んだ道はもう戻れないのだから選ばなかった片方を想像しても意味がない と言う人もいます。
 美智子さまの選んだ道は、一般家庭から皇室に入るという、我々とは比べものにならない、まさに異次元の分岐点だったはず。それは相当な覚悟の選択だったでしょう。そんな、上皇后さまが、皇室に入られて30数年経ったころ、「もう一方の道はいかばかりだっただろうか」と述懐している。これは衝撃的でした。と同時に、素直な御気持ちを吐露される自由さに少なからず安堵感も覚えました。昨年卒寿を迎えられた上皇后さま、健やかに、と願うものであります。

<参考資料>
 小倉百人一首冊子
 WEB-SITE レッツ百人一首
 NHK-Eテレ「美智子さまが詠んだ歌」
 2025.01.20 (月)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 1
          〜大河ドラマ「光る君へ」女流歌人の歌
 昨年末なんとなくデスクの引き出しを覗いていたら、赤茶けた一冊の冊子が出てきました。表紙は「小倉百人一首」。これはこの年、七回忌を行った母の遺品とすぐに気づきました。子供のころ、正月になると家では親族や知り合いが集まって百人一首大会をやるのが常でした。母はかなりの腕前だったようです。

 2024NHK大河ドラマは「光る君へ」でした。世帯視聴率は歴代ワースト2位だったとか。舞台の平安時代は戦国時代などに比べればダイナミックな動きに乏しく、出てくる人物がほぼ藤原ばかりとかなり特異な内容。これが裏目に出たのかもしれません。でも、紫式部を演じた吉高由里子の魅力が光っていたし未知なる世界に入り込めて、私としては大いに楽しめました。  そんな中、母の形見の「小倉百人一首」冊子が出てきたわけで、パラパラとめくっていると、紫式部の歌がある。その他大河の登場人物、清少納言、和泉式部、赤染衛門の歌もある。美女の誉れ高い小野小町も、落語に登場する在原業平も、昔の朝ドラに出てきた崇徳院もある。
 近年、老化防止策として「何でも丸暗記」を励行していまして、このところ「日本人ノーベル賞受賞者30人」、「日本の世界遺産26」が完了。次なるターゲットを探っていたところ、この「小倉百人一首冊子」にブチ当たり、これだと思い立ち、「光る君へ」関連など気に入った歌を選んで丸暗記を試みたというわけです。普段使い馴れない言葉ゆえ苦労しましたが、何とか30首ほどを憶え切りました。

 そこで、「クラ未知」2025新年初頭は、大河ドラマ「光る君へ」に登場した女流歌人の歌を取り上げたいと思います。歌は原典が平仮名で書かれていますが、理解しやすいように漢字併用とします。そして今流行りの“超訳”に清教寺茜の筆名でオーソドックス訳を併記します。

(1) 紫式部
  めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に
                雲隠れにし 夜半の月影
  <超訳>
  えー!もっとゆっくり会いたかったのに!
  まるで雲に隠れた月のように探せなくなっちゃった

 紫式部は一条天皇の中宮彰子に仕える女房。彰子の父藤原道長が、天皇ともう一つ馴染めない娘と天皇の間の橋渡しを紫式部に託します。道長の願いは天皇と彰子の間に男児が生まれること。式部は「源氏物語」を書きおろし、二人に共通の興味を抱かせて溝を埋めることに成功。めでたく男児が授かることになりました。「源氏物語」はかすがいの役割を果たしたことになります。ここから道長隆盛への道が開かれるのです。

 「源氏物語」は読んだことがないので、詳しくは解りませんが、登場する多くの女性の中で、光源氏がもっとも愛した女性は紫の上だっただろうことは想像がつきます。光源氏は18歳のとき10歳の紫の上を見初めます。彼女は憧れの藤壺の姪で瓜二つ。数年後に引き取ってパートナーとして育てます。光源氏は数々の女性と浮名を流しますが紫の上への愛情は揺らぐことなく、彼女が亡くなるまで30年ほど続くことになります。

 藤原道長(966-1028)の屋敷と紫式部(973?-1019?)の家は近所だったとか。二人が幼馴染だった可能性はゼロではなく、大河ドラマ「光る君へ」はこの線で描かれています。私の歴史好きの友人は「俺は大河ドラマは見ない。あれは歴史的にデタラメだから」と言います。確かにそういう面はありますが、100%デタラメではない。大河“ドラマ”なのですから史実とドラマの整合性が勝負なのですね。「光る君へ」の大石静の脚本はこのバランスが巧みだったと思います。

 歌に戻りましょう。巡り逢えたのにすーっといなくなってしまった というのはある幼なともだちとのことでしょう。でも、光源氏と紫の上の初期段階をイメージしているのかもしれないし、もしかしたら藤原道長との関係性を踏まえているかもしれません。もちろん単なる憶測にすぎませんが、そんな想像を働かせられるのもド素人の自由さ。楽しきことこの上もなしであります。

 母の百人一首帳には「むすめふさほせ 上の句の始めが一字しかない」と書かれています。これは、これらの7文字で始まる歌は一つしかないということ。紫式部のこの句は「め」で始まるので、競技では、「め」と聞こえたら、即、取ることができるのです。

<清教寺訳>
 幼なともだちと久々に出逢ったと思ったら 確認できないままいなくなってしまった
 まるで月が雲隠れしたように

(2) 清少納言
  夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 
             世に逢坂の 関はゆるさじ
  <超訳>
  コケコッコー!って鳴いても ワタシは騙されませんわよ!

 枕草子の著者清少納言(966頃-1025頃)は中宮定子の女房。才気煥発な彼女は宮中サロンの中心的存在でした。あるとき定子が、集う女官たちに向かって、「雪が降ってきましたね。香炉峰の雪はどうなのでしょうね」と問うと、清少納言は即座に簾を上げて外の景色が見えるようにしました。これは白居易の詩を知っていればこその振る舞い。定子はますます納言を気に入ります。

 一方、ライバル彰子の女房紫式部は納言をどう思っていたか? これは紫式部日記に書かれています。曰く〜あの人、「私は利口なのよ」と偉そうな態度が見え見え。でもって、つまらないことを「いとおかし」などと面白がってみせる。わざとらしくてろくなもんじゃないワ とかなり辛辣です。

 とはいえこの歌は、教養深い清少納言らしい見事な作といえます。清少納言と逢瀬を楽しんでいた藤原行成が、突然、「おっと、仕事を思い出した」と言い残して帰ってしまいます。翌日行成から「昨夜は失礼、鶏が鳴いたもので慌てて帰りました」という意味の歌が届きます。これに応えて詠んだ歌がこれ。
 斉の武将孟嘗君が秦の兵に追われて函谷関にたどり着く。この関所は鶏が鳴いて朝を告げるまで門を開けないことになっている。ここを通り抜けないと命が危ない孟嘗君は、咄嗟に鶏の鳴きまねをして門を開けさせ逃れることができた。そんな中国の故事があります。
 函谷関は、「箱根八里」(鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲)に「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず」とあるように、険しい山道の代名詞。清少納言は函谷関と逢坂の関を対置させて機知に富んだ歌を詠みました。中国の故事に精通した納言の教養が光ります。

<清教寺訳>
 まだ夜も明けないうちに 鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても 中国の函谷関ならいざ知らず
 この日本では逢坂の関は通せないし 私に逢いに来ることも許しませんことよ

(3) 和泉式部
  あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
               いまひとたびの 逢うこともがな
  <超訳>
  ワタシもうすぐ死んじゃうかも知れないから
  天国に行く前に もう一度アナタに会いたいの

 和泉式部(978頃-?) は彰子の女房。お仲間の紫式部から「けしからぬ人」と評されるほど恋多き女性でした。そんな彼女が、死期を悟って詠んだ歌がこれ。死の間際まで恋心を捨てない和泉式部の面目躍如たる心情が覗えます。まるで平安朝の与謝野晶子!?
 なお娘は小式部内侍で、この人の歌も百人一首に載っており名歌として有名です〜大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

<清教寺訳>
 もうそこにお迎えが来ている感じだけれど あの世への想い出に
 せめてもう一度 愛しいあなたにお会いしたいものです

(4) 赤染衛門
  やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
              かたぶくまでの 月を見しかな
  <超訳>
  来ないってわかっていたらすぐに寝たのに
  来るって言葉を信じてずっと待ってたら 月が沈む朝になっちゃった

 赤染衛門(956頃-1041?)は藤原道長の妻倫子と一条天皇の中宮彰子に仕えた女房。包容力と深い教養を合わせ持ち、女官たちの先輩格として尊敬を集めました。ドラマには、倫子の依頼を受けて「栄華物語」を書いた という挿話が登場します。
 この歌は、恋人藤原道隆(道長の兄)に待ちぼうけを食わされた妹に代わって、詠んでやった歌。衛門の父親は平兼盛との説もあり、兼盛には百人一首に載る傑出した恋の歌があります〜忍ぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで

<清教寺訳>>
 ぐずぐずしないで寝てしまえばよかった 夜が更けて
 月が西に沈むのを見るとは なんと嘆かわしいことでしょうか

 母が遺してくれた「百人一首帳」と大河ドラマ「光る君へ」のコラボとして今回は書いてみました。読んでみると百人一首はなかなか面白いものです。これからも、折に触れて取り上げてみるつもり。では、最後に大河ドラマ「光る君へ」女流歌人のキャストを記して締めたいと思います。

紫式部:吉高由里子
清少納言:ファーストサマーウイカ
和泉式部:泉里香
赤染衛門:凰稀かなめ

<参考資料>
小倉百人一首冊子
2024NHK大河ドラマ「光る君へ」
 2024.12.16 (月)  ワーグナー「ニーベルングの指環」総括
<プロローグ>
 「ニーベルングの指環」総括 などという大仰なタイトルを掲げてしまいましたが、“総括”なんてこの私にできるはずがありません。なんといっても、「ニーベルングの指環」ほど巨大な作品は人類史上皆無なのですから。総時間16時間強という長大さもさることながら、物語の複雑さ、音楽の精緻さ、詩と音楽が一体となった完成度の高さ・・・・・どこを取ってもこれほど偉大な作品は他に見当たりません。まさに空前にして絶後の作品なのです。
 なので、“総括”というのは作品の全容を解明する などという大仰なものではなく、素人の私が貧弱な知識とクラシック音楽ならどんなに長くても苦なく聞いていられるという持久力の賜物として、自分なりにまとめてみようかな といった程度のものであります。

 リヒャルト・ワーグナー(1813−1884)は、人生においても作品においても実に破天荒。そんな特質からワーグナー(の作品)を語る文章は枚挙にいとまがありません。例えばこんなモノがあります。
「ワルキューレ」第1幕は兄妹によるエッチである。人妻の妹は欲求不満で流れ込んできた兄を誘うんですね。熱い視線で見つめながら、目線でダンナを殺す武器のありかを教える。挙句の果てに自分の過去の話に興奮して、自分から「腕に抱きたーい!」なんて、大胆。有名な二重唱(「冬の嵐は去りて」に次いで「あなたこそが春です」から始まる部分)に入ると、オケがムラムラとする二人の脈拍の響きを描写します。さらに抱き合いながら、ますます情欲が沸き上がり、見つめ合いながら、ついにお互い指でBまで始めちゃう情景が音楽で表現されます。どうです。ワーグナーってやはり凄いエロ作曲家でしょ。
      〜ムック本「このオペラを聴け!」の「ワルキューレ」の項(吉澤ヴィルヘルム著)
 なんとも下世話な表現ですが的を射てはいます。これはこれで理解はできる。どんなに下劣な表現だとしても、それを浄化してしまうワーグナーの音楽があるということ。これは凄いことなのです。

 一方で、ほぼ同じシーンを述べたこんな文章もあります。引用してみましょう。
ジークムントにとっては、ジークリンデ自身が、この自然の水とアルコールの飲物に等しく、彼の惑わされた存在の「夜と暗黒」における「暖かさと日の光」である。彼女は、彼を剣が運命づけられている「友」と認め、彼が彼女の「恥と不名誉」の復讐をすることを願う。フンディング(ジークリンデの夫)が彼の異教徒的性質の境界内に留まるならば、ジークリンデも彼女自身の性質の境界内に留まったが、彼女は、この彼女自身の性質について、今や彼女の男性の片割れの中で意識し始めていた。「私はあなたをはっきり認めた。私の目があなたを見たとき、あなたは私のものでした。私が心に秘めているもの、私自身は、私に訪れた日のように輝かしい・・・・・。あなたは、凍る寒さの冬に私が望んでいた春です」
        〜リン・スヌーク著、佐藤静子訳「『ワルキューレ』または『神々との決別』」
 これは、1967年バイロイト音楽祭公演(カール・ベーム指揮)のライブLPの解説文の一部です。コレ、原語は不明ですが、なんともワカリニクイ。こんな文体で延々と続く文章は途中で放りだしたくなります(笑)。

 上記二つは、「ワルキューレ」の男女二人の交情についての文章ですが、なんと異なる感触の文章でしょうか。どちらが下世話でどちらが格調が高いか などと選別しても意味はない。これまたワーグナー作品の懐の深さの表れといえるでしょう。

 トーマス・マン(1875-1955)が、1937年11月16日、チューリヒ大学で行った「リヒャルト・ワーグナーと『ニーベルングの指環』」という講演があります。このあたり、ナチスが権力を振るい2年後には第2次世界大戦に突入する緊迫の時代。マンはこのときすでにドイツを去り亡命中の身でした。
 そのような最中に行われたマンの講演は、数ある「指環」評論の中でも出色のスグレモノ。「指環」への惜しみない愛と真実の姿を抉る鋭い筆致に溢れています。今回は、これを基に、「ニーベルングの指環」という稀有なる作品の本質に迫ってみたいと思います。

(1) なぜ題材が神話でなければならなかったのか
 ワーグナーは「ローエングリン」作曲中から、次の作品の主題を「赤髭王フリードリヒ」にするか「ジークフリートの死」にするか 迷っていました。前者は衰退しかかっていた帝権回復を目指して戦った神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世〜歴史上の人物です。後者はゲルマンの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」や北欧神話「エッダ」に登場する勇者〜神話の世界の英雄です。
 ワーグナーが目指した未来に生きる芸術作品に相応しい題材はどちらか?この主題たりうるものは、あらゆる因襲から解放された非歴史的で純粋に人間的なものでなければならない。ならばそれは「ジークフリートの死」なのであります。ワーグナーはこの素材に入り込むうちに歴史的残滓を排除し、主題から一枚一枚と後世が着せた衣装をはぎ取って、この主題がこの上なく純粋な人間的な姿で生まれ変わる民族の詩作する心から生まれ出てきたそもそもの原点に辿りつきました。ワーグナーが理想とした未来に冠たる芸術作品の題材は、その普遍性から、神話でなければならなかった。そのため、その主題は、すでに現代的で、歪曲があり、歴史的な「ニーベルンゲンの歌」を通り越して、ドイツ以前のスカンディナヴィア的初期ゲルマン的な「エッダ」にまで遡る必要がありました。
 こうして生まれた「ニーベルングの指環」は、ルネサンス以後支配的であった市民的な文化教養全体に対抗して、原初性と未来性との混合という本性から、階級なき民衆性というどこにも存在しない世界に向けて書かれた作品となったのです。

(2) なぜこれほどまでに長大な作品となったのか
 ワーグナーはまず「ジークフリートの死」の詩作を完成させました。次なる作業は曲を付けること。ところが彼はまだ作ることができなかった。なぜなら、これが出来上がって上演されたとしても、観衆は理解できない。予備知識を必要とするからです。ワーグナーはこれを嫌いました。理解するために何かを知っていなければならない、などという要求は強いてはならぬこと。ワーグナーは真摯な芸術家なのです。
 ならばどうするか・・・・・それはそれに先立つもう一つ別の物語を創る以外に方法はありません。「ジークフリートの死」(第3夜「神々の黄昏」)に先立って、ジークフリートの成長を描く「若きジークフリート」(第2夜「ジークフリート」)が、その前段には、彼の出生を紐解く「ワルキューレ」(第1夜「ワルキューレ」)が、冒頭には全体を俯瞰する序夜「ラインの黄金」が必要でした。これら詩作の完成を見て、初めて音楽づくりに着手したのです。
 「ジークフリートの死」の詩作を始めたのが1848年、楽劇「ニーベルングの指環」全4部作が完成したのは1874年。そこには26年という長い年月が流れていました。

(3) 完成に時間がかかったもう一つの理由
 「ニーベルングの指環」は200に余る示導動機(ライトモティーフ)からできています。示導動機は、作品に登場する様々な具体的抽象的事象を一定の音形で表したもの・・・・・自然、現象、建造物、神、人間、象徴、行為、情緒、気分、小道具etc。それらは各々的確な性格付けがなされ、一聴してそれが何かが判る。まさに示し導く音形。示導動機とは言い得て妙であります。
 指導動機は、人(神)物を表象します。人物の過去を回想します。人物が何を考えているか誰を思い描いているかを暗示します。その場に迫って来る何者かを予感させます。したがって示導動機はすでに文学的要素を含んでいます。物語の流れを形作る旋律線は平面的にも時間的にも複層的に絡み合い、その旋律唱は、アリア(詠唱)的なものは極めて些少でほとんどがレチタティーヴォ(叙唱)の連続となります。全音階と半音階の巧みな融合による和声的旋律線が対位法的に組み合わされて、時には無限旋律の要素を含みつつ、音楽の流れを形成してゆくのです。
 「ワーグナーという作曲家は、どのようなときに自分の仕事に満足できたかといえば、それはごく微細なディテールを何とか仕上げた時だった」とトーマス・マンは言います。微細なディテールの仕上げとは「詩と音楽を完全に融合させる音楽的作業」と言い換えることができるでしょう。この「言葉と音符を編み込んでゆく工程」は絨毯を編む作業に似ています。縦糸は文学、横糸は音楽。ワーグナーの作品は音楽と文学の一体化の産物。音楽は文学であり文学は音楽なのです。
 ワーグナーの作曲という作業がこのようなディテールの積み重ねであったとするならば、途方もない時間がかかったことは容易に想像できるでしょう。

(4) ワーグナーが敬愛した芸術家
 ワーグナーは「モーツァルトの優美な光と愛との神的創造力」を讃嘆しています。これは「モーツァルトに比べれば遥かに天上界から遠く、遥かに重苦しく、遥かに重い重荷を背負った彼自身の作品が完結して、精神が安定し観照的年齢に達した今、初めて敬意を表すことになった」とトーマス・マンは述べています。人間は、達成感と満足感から他人を敬愛する余裕ができる。これは一つの真理なのかもしれません。
 老年の巨匠はまたフェリックス・メンデルスゾーンを讃嘆しています。彼はメンデルスゾーンを「思慮深く節度ある繊細な芸術的感覚の模範」と称しています。これまた客観的、非利己的な讃嘆といえます。
 ワーグナーが最も敬愛した音楽家は紛れもなくベートーヴェンでした。「熱狂的な調子に陥ることなく彼を語ることはできない。ベートーヴェンは常に最高にして最大のものでした」と述べています。彼が最も讃嘆したのは「第九」だったでしょう。言葉によって「愛と連帯」、「神への賛辞」というメッセージを込めたベートーヴェンの傑作こそが彼が求めた芸術と相通ずるものがあったと思います。それが証拠に、自己の理想を実現するために建設するバイロイト祝祭劇場の定礎式(1872年)で演奏したのがこの「第九」でした。
 「ワーグナーがベートーヴェンと並ぶものとすることができる人間。それは唯一シェイクスピアだけです」とトーマス・マンは述べています。ワーグナーは家族を前に「ハムレット」や「マクベス」を朗読し、時折中断して、「この男は何を見たのだろう。比類がない。奇跡としか理解できない!」と叫んだそうです。彼がシェイクスピアに見た比類なき奇跡とは「言葉だけによって世界や人間を形骸化しえた極致的作品づくり」である とトーマス・マンは言います。

<エピローグ>
 5月以来、楽劇「ニーベルングの指環」の物語が何を礎として作られたのか、そして、それをどう取り込んだのか? を命題にこの作品に向き合ってきました。きっかけは映画「ニーベルンゲン」でしたが、考察は「エッダ」「サガ」にまで及び一応の完結を見ました。その7か月間は、私にとって有意義かつ至福の体験となりました。
 ワーグナーという超天才がとほうもない時間をかけて完成した人類の宝ともいうべきこの作品を、今後、「掴んだ」とか「極めた」などということがあろうとは到底思えませんが、これから可能な限り、何度も何度も接してゆこうと思っています。そこにはきっと新しい発見があるはずです。その瞬間瞬間こそが、必ずや、我が人生の生きる歓び となるでしょう。

 講演の終盤近く、トーマス・マンが分析して綴った「ジークフリートの葬送行進曲」の描写があります。示導動機の連鎖をこれほどまでに見事に辿った文章は稀です。最後にこれを掲げて、今後「指環」の多くのシーンがこんな風にリアリティをもって体感できることを念じつつ、長きにわたって携わってきたワーグナー「ニーベルングの指環」論考の終焉といたします。
これは「ジークフリートへの挽歌」です。それはきっと思考と想起との圧倒的な大祭典になるでしょう。少年ジークフリートの、母への憧れに満ちた問い。自由を持たぬ神が神ならぬ者の自由な行動のために自ら生んだ彼の一族の英雄のモティーフ。素晴らしく見事に浮かび上がってくる、兄妹でもある彼の両親の愛のモティーフ。力強く鞘から抜かれる剣。以前に告知として最初はワルキューレの口から聞かれた、彼自身の本性を示す大いなる定型のファンファーレ。巨大なリズムへと拡げられた彼の角笛の響き。かつて彼が眠りから目覚めさせた女性への愛を表わすやさしい音楽。奪われた黄金に対するラインの娘たちの古くからの嘆き。そしてアルベリヒの呪いを表わす陰鬱な音の刻印。こうしたすべての荘重にして重い感情を背負った運命の色濃い、想起を誘うものの数々が、大地の鳴動と雷鳴のもとで、高く掲げられた棺の遺骸と共に舞台を去って行くことになるのです。
<参考資料>
講演集「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」(トーマス・マン講演、青木順三訳 岩波文庫)
このオペラを聴け!〜楽劇「ワルキューレ」(吉澤ヴィルヘルム著 洋泉社MOOK)
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」1967バイロイト音楽祭ライブLP解説文(リン・スヌーク著、佐藤静子訳)
ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」CD、DVD
  クナッパーツブッシュ指揮(1951)、ショルティ指揮(1965)、ベーム指揮(1967)、
  カラヤン指揮(1970)、ブーレーズ指揮(1980)、バレンボイム指揮(1992,2010)
 2024.11.07 (木)  MLB2024ワールドシリーズ「クラ未知」的リポート
 10月「クラ未知」に今年いっぱいはワーグナー・テーマで と記しましたが、先日終わったワールドシリーズを、劣勢が予想されたドジャースが制覇、嬉しさ余って、これを書くことにしました。
 とはいえ、このあと、メディアは大谷翔平くん中心の取り上げ方になるのは必定ゆえ、ここは「クラ未知」的に別視点から斬り込ませていただきます。

 ドジャースは弱体といわれた先発投手陣が頑張って3連勝。この勢いはもしやスイープ!?とまで思わせた第4戦。ヤンキース強力打線が、ドジャース苦肉のブルペンデーを打ち崩し、一矢を報いました。不振を極めていたジャッジにタイムリーが出るなど明るい兆しが見え始めたヤンキース。ここからはコール/ロドンの2枚看板で巻き返せる とNYも盛り上がってきました。

 10月30日(木)、ヤンキースタジアム。ワールドシリーズ第5戦が始まりました。

(1) ドジャース5回表の同点劇には伏線があった!?

 先発ピッチャー、ヤンキースはコール、ドジャースはフレアティ、エース同士第1戦の再現です。

 1回裏、ヤンキースの攻撃。フレアティ、2番ソトに逃げの四球を与えます。ここで思い浮かぶのはB’Zの「BLOWIN’」〜負けるのは怖くないちょっと逃げ腰になる日が来ることに怯えてるけど〜人間逃げに回るとやられます。
 さあ、復調気配のジャッジ。初球を叩いて2ランホームラン! 続くチゾムJr. もホームランで3点。2回にはバデューゴのタイムリー、3回にはスタントンのホームランが出て5−0とリード。ヤンキースの猛攻にスタジアムは沸き返る。これはイケる。今日勝てば2勝3敗、ジャッジにも一発が出たし、いよいよ巻き返しだ とNYのファンは希望に胸を膨らませたことでしょう。

 そして迎えた5回表ドジャースの攻撃。ここまで先発のコールはドジャース打線をノーヒットに抑えるという完璧なピッチングを続けています。

 先頭打者は、ポストシーズン男Mr.オクトーバーの異名を持つキケ・ヘルナンデス。ライト前に初ヒットを放ち反撃の口火を切りました。
 次打者はエドマン。リーグチャンピオンシップMVPのスイッチヒッター。左打席でセンターフライを打つ。なんのことはないイージーフライ。と思った瞬間、ジャッジまさかの落球! なぜか一塁ランナーに目をやったようで、魔が差したとしか言いようのないプレーです。ノーアウト1、2塁。
 ウィル・スミス三遊間にゴロ。遊撃手ボルピー、ホースアウトを狙い3塁へ送球。これが指に引っかかったか悪送球に。ノーアウト満塁。このピンチにもコールは落ち着いて、ラックス、大谷を連続三振に切って取ります。さあ、ドラマはここから始まるのであります。

 2アウト満塁で打者ベッツ。2球目を緩い当たりの1塁ゴロ。ああ、これでチャンスも終わったな とドジャース応援の私なんぞはガックリきたものです。
 ところがここでとんでもないミスが・・・・・一塁手リゾは慎重に補球してベース上にトスしようとするが誰もいない。なんと!コールがベースカバーを怠ったのです。セーフで1点。

 ではここでコール、リゾ両者の胸の内に分け入ってみましょう。

 実は、ここで思い起こすべきは1回表のドジャースの攻撃なのです。打者ベッツ。3球目を打って緩い当たりの1塁ゴロ。リゾ難なくさばいて自らベースを踏みアウト という場面がありました。

 5回表、全く同じシチュエーションが再現されます。まさにデジャブ! ベッツが打った緩いゴロが一塁手前に転がる。コール「ここもリゾが捕ってベースを踏んでくれるはず」と思い込みベースカバーに入らない。一方リゾは「打球に少しカーブがかかっている。ジャッジみたいなミスをしないよう、ここはまず慎重に捕球してからコールにトスするのがベター」と判断したのでしょう。捕球してトスしようとした時、ベース上には誰もおらず、ベッツが駆け抜けていました。そうです、このヤンキースの致命的なミスの裏には1回表の伏線があったのです。

 ここは100%コールのミスです。このケース、いかなる状況でも投手はカバーに入らなくてはいけません。例え一塁手が自らベースを踏んでカバーが不要になろうともです。この初歩的ミスを犯したコールの頭には「なんてことをやらかしちゃったのか」という痛恨の思いが拡がりました。が、一方で、「リゾよ、1回表は自らベースを踏んでくれたのに今度はなぜそうしなかったのかい」の些少な疑念も湧く。他方、リゾには「自分が急いで駆け込んでいればアウトにできたかもしれない」の自責の念がある。
 ジャッジ、ボルピーの時にはポーカーフェイスを崩さなかったコールですが、ここでは明らかに顔つきが変わっていました。
 モヤモヤ感を抱えたまままのコール。絶好調のフリーマン、勝負強いテオスカー・ヘルナンデスに連打を浴び、この回5点を献上、大量リードをフイにしてしまいました。

(2) デーブ・ロバーツとアーロン・ブーン 両監督の差

 ドジャースのロバーツ監督の軽率さ(?)は有名です。昨年12月、ストーブリーグ大谷争奪戦の最中、「彼とは話をしたよ いい感触だった」とペロっと口を滑らせる。でも、後日、これをネタに笑いを取る。この陽気さこそがロバーツ監督の真骨頂なのです。
 メッツとのリーグチャンピオンシップ第5戦。1回表ドジャースの攻撃。ノーアウト2、3塁、3塁ランナー大谷の場面。打者テオスカー・ヘルナンデスはショートゴロ。大谷突っ込まず。結果この日は12対6の大敗でした。このあとロバーツ監督は「あそこは流れの分岐点だった。彼は突っ込まなくてはいけない。きっと思考停止していたのだろう」と珍しく大谷を非難しました。ですが、ここは大谷が正解でしょう。この場面ノーアウトなのだから、まだ1アウト満塁、チャンスは残る。あとはフリーマン〜エドマンと続く頼りになるバッターに任せればいい。危険を冒してまで突っ込むことはないのです。でもって、ロバーツさん、まだ始まったばかりなのに“流れの分岐点”はないでしょう(笑)。私「これは二人の間にワダカマリが生ずるぞ」と危惧したものです。でも心配ご無用、翌日二人は笑い合っていました。このあと腐れのなさもロバーツ監督の美点です。
 ロバーツ監督はまた実に辛抱強い指揮官です。ビューラーは元々実力者。2021年には16勝4敗という素晴らしい成績を残しています。でも、トミージョン手術から復帰した今シーズン、なかなか調子が上がらない。成績も1勝6敗と散々。ロバーツ監督はそんなビューラーを打たれても打たれても使い続けた。「彼ならきっと復活してくれるはず」との信頼感があったに違いありません。それに応えたビューラー、徐々に調子を上げ、ポストシーズンに入るころには本来の姿を取り戻しました。ロバーツ監督には選手を信じる辛抱強さと優しさがあります。

 一方、ヤンキースのブーン監督。退場王の異名を取るなどややキレ易い性格のようです。ベンチでガムを噛みながらの強面、コワイですね。でもまあ、名門ヤンキースの監督を7年間も勤めているのですから技量に問題があるはずはないでしょう。

 陽のロバーツVS陰のブーン。シリーズの行方を決めた第5戦。この一戦こそ、両監督の性格が現れ、その差が明暗を分けた戦いでした。

 第1のポイントは、勝敗の分岐点となった5回表ドジャースの攻撃です。ジャッジの落球もボルピーの悪送球も普通のエラー、大したことじゃない。最大の問題はコールの怠慢プレーです。「なぜこんな初歩的なミスを犯しちゃったのだ」という痛恨の念と「なんでベースを踏んでくれなかったんだ」という仲間への猜疑心。これらが入り混じってコールの心は複雑に揺れ動いていたはずです。テレビ中継の解説者田中賢介氏によると、「こんなとき内野手に声をかけマウンドに集めて投手を励ますのはベテラン リゾの役目だった」そうです。そのリゾが自責の念からかそれをためらった。マウンド上のコールに近寄る選手は誰もいませんでした。
 ならば、そこで動くのは監督しかいない。ブーン監督は、コールの心中を察してマウンドに行き声掛けすべきでした。「大丈夫、1点を失っただけじゃないか。あとをしっかりと押さえればいい。さあ頑張っていこう」とかの。こうすれば、フリーマン、テオスカーの二連打は防げたかもしれません。しかし、ブーン監督はベンチから動かなかったのです。

 このあとゲームは6回裏スタントンの犠飛でヤンキースが勝ち越したあと、8回表ドジャースが再逆転し7−6となります。第2のポイントは、1点差を追いかけるヤンキース8回裏の攻撃です。

 ドジャース、マウンド上はトライネン。6回裏のピンチに登板、そこを切り抜け、7回はパーフェクトに抑える。そのあとドジャースが逆転。自身ほとんど経験のない3イニング目に突入していました。心身ともに疲れはピークに達していたはずです。

 強打者ソトが倒れて1アウト。次は劣勢挽回を図りたい責任感の強いジャッジ。粘った末に気迫の2塁打を放ちます。次打者、当たっているチゾムJr.。トライネン、弱気になったか?逃げて四球、逆転のランナーを許す。1アウト1、2塁。次打者はこの日2打点と絶好調のスタントン。一発出れば逆転の大ピンチです。とその時、ロバーツ監督がベンチを出たのであります。「落ち着いて、落ち着いて」と言わんばかりに、掌を上下に動かしつつマウンドに歩み寄る。そしてトライネンの胸に指を立てながら「大丈夫だ。お前に任せたぞ。強気で行け」。こんな言葉をかけたのでしょう。
 トライネン、1球でスタントンを右邪飛に仕留め2アウト。次打者リゾを三振に切ってとりピンチを凌ぎました。トライネン、拳を天に突き上げる。ロバーツ監督、ベンチでガッツポーズ。二人の意思が通じ合ったピンチ脱出の図でした。

 9回裏、クローザー初体験のビューラーが抑えのマウンドに。レギュラーシーズンに見せたノーコンと弱気は影を潜め、力強いボールをストライクゾーンに投げ込みます。打つなら打ってみろの自信に溢れた投球。これぞビューラーの、悪くても使い続けてくれたロバーツ監督への恩返しの熱投でした。

 ワールドシリーズ第5戦。ドジャースがもしこのゲームを落としていたら、流れは一気にヤンキースに傾いていたでしょう。シリーズの行方を左右するとてつもなく大きな分岐点でした。
 自軍のピンチにマウンドに行かなかったブーン監督。同じ状況で即座に動いたロバーツ監督。両監督の差が勝敗を分けたのです。

 ドジャースのワールドシリーズ制覇の因は数々あるでしょう。フリーマンの目覚ましいばかりの活躍、大谷翔平の存在感、山本由伸の健闘、先発&ブルペン陣の頑張り、Wヘルナンデス、エドマンらの貢献等々。しかし、ロバーツ監督の人間力こそがドジャースをワールドシリーズ制覇に導いた。そんなことを考えさせられた2024ワールドシリーズでした。
 2024.10.31 (木)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合 (後編)
第3幕

<第1場>ラインの荒涼とした谷
 前奏曲〜「角笛の動機」が響き渡る中、「ラインの乙女の動機」が重なって幕が開く。3人のラインの乙女たちが泳いでいると角笛が鳴ってジークフリートが現れる。乙女たちは彼の指に輝く指環を見てとると、「その指環には呪いがかけられています。それを持つ人には死が訪れるのです。だから指環をラインの河底に返しなさい。ラインの流れのみが呪いを清めてくれるのですから」とジークフリートに進言する。が、ジークフリートは言うことを聞かない。業を煮やした乙女たち「さあ、この男は放っておきましょう。指環の呪いにも、気高い宝(ブリュンヒルデ)の価値にも気づいていない愚か者なのですから」と嘆きながら立ち去る。残ったジークフリートの耳に、狩りをする角笛の響きが聞こえてくる。

<第2場>同上
 ギービヒとジークフリートの「角笛の動機」が交錯するとハーゲンが家臣を引き連れて登場する。あとには家長のグンターが続く。ブリュンヒルデの不機嫌を気にかけてか塞ぎ込むグンターに、弟分を自認するジークフリートは自身の身の上話を話し始める・・・・・「ミーメに育てられ、名剣ノートゥングを再生し大蛇ハーフナーを倒した。その血を舐めると小鳥の話が解るようになり、小鳥は『ミーメは命を狙っている。大蛇が守っていた指環は世界を征服する力があり、隠れ兜は役に立つ』と歌った」と話す。話の途中でハーゲン、「まずはこの酒を飲みなさい。私が薬を加えてある。これによって遠い昔の記憶がさらにはっきりと蘇るはずだ」と勧める。これを飲んだジークフリートは話を先に進める。「小鳥はさらにこう歌った。『ブリュンヒルデという気高い女性が炎に囲まれた高い岩の上で眠っている。彼女を目覚めさせよ。そうすれば彼女はあなたの花嫁になる』と。私は小鳥の言葉に従いブリュンヒルデを目覚めさせた。そして熱い抱擁を交わしたのだ」。これを聞いていたグンター、「なんということだ!」と怒る。
 ハーゲンは「お前は鴉の言葉も解るだろう。今、鴉がこう言ったぞ。『わしに復讐しろ』と」。そう叫びつつジークフリートの急所である背中に槍を突き刺す。ジークフリート、倒れる。これに気付いたグンターと家臣たちは「ハーゲン、何をしたのだ」と驚く。これに対してハーゲンは「偽りの誓いに復讐したのだ!」と言って立ち去る。グンターと家臣たちはジークフリートににじり寄る。
 息も絶え絶えのジークフリート、「ブリュンヒルデ、神聖な花嫁よ。不安な眠りに縛り付けられたお前を私は目覚めさせる。あなたの喜びが微笑む! ああ、その吐息のかぐわしさ! 甘美な死よ、幸せな戦慄よ。ブリュンヒルデが私に挨拶する」と言い遺してこと切れる。家臣たちがジークフリートの遺骸を担ぎ上げ、葬列をなして運んでゆく。

 間奏曲は「ジークフリートの葬送行進曲」。「ジークフリートの死の動機」を基調に、「ヴェルズングの英雄の動機」や「ジークリンデの動機」で父母を偲び、「剣の動機」から「ジークフリートの動機」を経て「ジークフリート英雄の動機」で頂点を築く。荘厳さの中に気高く勇壮な英雄を悼む感動的な音楽である。

<第3場>夕夜のギービヒ家の広間
 ジークフリートの帰りが遅いのを心配するグートルーネの耳にハーゲンの声が聞こえる。「松明を燃やせ、狩りの獲物を運んで来たぞ」。現れたハーゲンはグートルーネに「これが狩りの獲物、お前の夫ジークフリートだ」と告げる。むなしく響く「ジークフリートの動機」。グートルーネ、ジークフリートの亡骸にしがみつく。
 グンターは妹を慰めるが、意に介さないグートルーネは「ジークフリート殺したのはあなたたちなのね」と叱責する。これを受けてハーゲンは「そうとも彼を殺したのはこの私だ。わしの槍は偽りの誓いを許せなかったのだ」更には「彼の指環は私が受け取るのが正当だ」と開き直る。
 これを聞いたグンターは「指環はグートルーネに渡るべきものだ」と反論。言い争いの末、ハーゲンはグンターを刺し殺し、ジークフリートの指から指環を引き抜こうとする。その時、ブリュンヒルデが現れてこう言う。「大声で嘆くのはやめてください。彼はあなた方皆に裏切られたのです。彼の妻が復讐のためにやってきました」と。
 これを聞いたグートルーネは感情的になって、「あなたがわれわれに災いをもたらした。あなたがこの家に来たことを呪う」とブリュンヒルデを非難する。そこでブリュンヒルデ、「哀れな女よ、あなたは彼の妻では決してなかった。妻はこの私。あなたと知り合うずっと以前に彼は私に永遠の誓いを立てたのです」と諫める。これを聞いたグートルーネは、ハーゲンが忘れ薬を使ってジークフリートに背信行為を成さしめたのだ と悟り、絶望してその場を立ち去る。ブリュンヒルデはジークフリートの潔白を改めて認識する。

 さて、ここからは、音楽史上最も長大で深遠なアリア「ブリュンヒルデの自己犠牲」となる。最愛の夫ジークフリートを失い悲しみに打ちひしがれながらも世界を真正な形に導くべき使命感に燃えた、これは、ブリュンヒルデ渾身の口上なのである。
大きな薪を積み上げてください 私のためにラインの岸辺に
気高い英雄の体を焼きつくすために 彼は私を裏切ったが最も清い
  人でした
妻を欺きながらも友には忠節をつくし 誠実な妻と彼自身を剣で隔
  てました
彼ほど純粋に誓いを守った人はなく 誠実に契約を守った人はいません
そして彼ほど純粋に人を愛した人はいないのです
しかしまた すべての誓い 契約 誠実な愛を 彼ほど欺いた人もいません
神聖な神々よ あなた方の眼差しを 私の限りない苦悩に向けてください
そしてあなた方の永遠の罪を悟ってください
あなた方の益のために為した彼の行為は あなた方が陥る呪いの中に没せられたのです
この最も清らかな男は 私を裏切らねばなりませんでした
神々よ 静かに休んでください
あなた方が怖れながら待っているこの知らせをカラスに託して送ります
呪われた指環よ 恐ろしい指環よ お前を手に取りすぐに手放しましょう
ラインの乙女たち あなたがたの正直な忠告に感謝します
あなた方が熱望するものを 私はあなた方に与えます
私を焼いた炎の中からそれを取り 自分たちのものにしてください
私を焼き尽くす火が指環の呪いを清めます
流れの中であなた方は指環を溶かし純粋な黄金として守ってください
かつて不幸にもあなた方から奪われた黄金を

飛んで帰れ からすたちよ お前たちの主人に伝えよ ここラインで聞いたことを
ブリュンヒルデの岩を通り まだ燃えていたなら ローゲに ヴァルハルへ行くよう指示しなさい
神々の最期は 今や始まっています こうして私はこの火を点ずる 壮麗なヴァルハルの城に

グラーネ 私の馬よ ようこそ お前はもう知っていますね どこへ私が連れてゆくか
火に囲まれて お前の主人はそこに横たわっている ジークフリート 私の幸せな英雄
グラーネ お前を彼のところへと 炎が笑いながら誘っているのね
私の胸もまた燃えているのを感じておくれ 明るい炎が 私の心を とらえている
彼を抱きしめ抱きしめられ 力強い愛の力で彼と結ばれようと
グラーネ お前の主人にあいさつを ジークフリート 見てください
喜びに満ちて あなたの妻が あいさつするのです
 そして、ブリュンヒルデは炎に身を投じる。「ラインの乙女の動機」が、「指環」がラインの乙女に返されること、「ヴァルハルの動機」が、城が炎に焼け落ちることを示唆する。「ジークフリートの動機」が勇壮に、そして、ジークリンデ〜ブリュンヒルデに受け継がれてきた「愛の救済の動機」が至高の美をもって熱く心を揺さぶる。大作の最後を彩る感動的なオーケストラの響きである。

                         (天野晶吉氏の訳を参考/引用させていただきました)

 6月から5か月間、ワーグナーの超大作楽劇「ニーベルングの指環」に取り組みなんとかその原典照合を終了することができました。「ニーベルングの指環」は名作大作ゆえに夥しい数の解説評論が存在します。が、ワーグナーが「原典のどの部分からどのように参照引用して物語を創り上げたか」という論考にはあまりお目にかかったことがありません。その意味でも、この視点から書き上げられたということは誇ってもいいのではないかと自負しております。が、それよりも何よりも、一番うれしく意義あることは、私自身のワーグナー観、「指環」観が劇的に深化したことです。また、このテーマを書くきっかけとなったのは紛れもなく映画「ニーベルンゲン」です。そのBDを快く貸してくれたBrownie川嶋氏には、この場を借りて、心からの感謝の意を表させていただきます。
 このところ、午前中はMLBポストシーズンを観戦、午後はワーグナーを鑑賞するというワクワクする日々が続いてきました。MLBは11月初頭で終了しますが、そのあとは、年内いっぱいワーグナー三昧で過ごそうかと、そして、「クラ未知」はあと2か月、今年はワーグナーで締めようと思っています。

<参考資料>
ワーグナー「ニーベルングの指環」第3夜「神々の黄昏」DVD
  マンフレート・ユング(ジークフリート)
  グィネス・ジョーンズ(ブリュンヒルデ)
  フランツ・マツーラ(グンター)
  フリッツ・ヒューブナー(ハーゲン)
  ヘルマン・ベヒト(アルベリヒ)
  ジャニーヌ・アルトマイヤ(グートルーネ)
  ピエール・ブーレーズ指揮:バイロイト祝祭管弦楽団 他
    パトリス・シェロー(演出) 1980公演 (ユニバーサル・クラシックス)
最新名曲解説全集 歌劇編U(音楽之友社)
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
 2024.09.30 (月)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合(前編)
 「神々の黄昏」で印象的だったこと。それは数年前のクイズ番組で東大のNO.1クイズの天才水上颯がNTV「頭脳王」に出ていた時のことでした。「ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の最終話の題名は?」との問題に対し、水上が出した答えが「ラグナロク」。テレビで見ていた私は「えっつ、嘘」とビックリ。答えは「神々の黄昏」のはずなのに天才水上が間違えた! 一緒に見ていた母に「ついにやった。水上に勝ったよ」と驚喜乱舞。母は「やっぱり、クラシックはあんたが強いんだ」と満更でもなさそう。
 ところが・・・・・この「ラグナロク」は、北欧神話の「エッダ」にある古ノルド語で Ragnarök(神々の運命)のこと。これを「新エッダ」の作者スノッリが Ragnarökkr(神々の終焉)と取り違えたためワーグナーが独語で Götterdämmerung として「神々の黄昏」という訳が固定してしまったもの。水上は一捻りして解答したまでのことでした。「あの水上に勝った」とヌカ喜びした私が浅はかだったという顛末。あれから医学の道に進んだ水上くん、きっと頑張っていることでしょう。

 ということで、「ニーベルングの指環」第3夜「神々の黄昏」の登場者とあらすじを記しましょう。最初にワーグナー作品と原典での登場者名を対照併記します。そのあとあらすじを記しますが、最後に 【照合】欄を設けて ←で 原典との関連性を記します。関連する事柄は太字で明記します。( )内は原典名です。
 
 <神々の黄昏>         <原典>
 ジークフリート   ジークフリート(ニーベルンゲンの歌)
  シグルス(エッダ)
 ブリュンヒルデ   ブルンヒルト(ニーベルンゲンの歌)
  ブリュンヒルド(エッダ)
 グンター   グンター王(ニーベルンゲンの歌)
 ハーゲン   ハーゲン(ニーベルンゲンの歌)
 アルベリヒ   アルベリヒ(ニーベルンゲンの歌)
  ファーヴニル(エッダ)
 グートルーネ   クリームヒルト(ニーベルンゲンの歌)
  グズルーン(エッダ)

序幕
 やや陰鬱な雰囲気の序奏が終わるとそこには世界の運命を見据える3人のノルンがいる。彼女らは過去・現在を歌い未来を予告する・・・・・ヴォータンが神聖なトネリコから一枝を折って槍の柄としたため木が朽ち自然が衰退したこと。トネリコは薪となってヴァルハルの周りに積み上げられたこと。薪に火が点けられ神々は終焉を迎えるだろうということ。
 ノルンらが母エルダの下に立ち去ると、「ジークフリート英雄の動機」が奏され「ブリュンヒルデの動機」が絡みどんどんと高揚する。再度「英雄の動機」が鳴り響くと、そこはジークフリートブリュンヒルデが住む岩屋である。
 「神々が私に教えた知恵はすべてあなたに授けました。知恵を失った私はただの女。でも心は希望にあふれ愛は豊かです」とブリュンヒルデ。「もしあなたの教えを学ばなかったとしても、ただ一つの知恵は絶対に守る。それは私にはブリュンヒルデがいて常に心に留め置く ということだ」とジークフリート。二人は互いに感謝し信頼し永遠の愛を誓いあう。が、一つ所に留まってはいられない生来の自由人ジークフリートはここを飛び出ることになる。ジークフリートはブリュンヒルデが与えてくれた神々の知恵のお礼にと指環を与える。ブリュンヒルデは餞に愛馬グラーネを与える。そして、ジークフリートはラインに向かって旅立ってゆく。

間奏曲(ジークフリートのラインの旅)
 管弦楽が旅立つジークフリートの心中を表わすかのように「英雄の動機」を中心に奏する。しばらくすると「ラインの流れの主題」が現れ、そこがライン河畔であることを示す。「指環の動機」、「ジークフリートの角笛の動機」などが顔を出し、曲想は次第に暗さを帯びつつ幕が開く。

第1幕

<第1場>ライン河畔ギービヒ家の館
 ギービヒ家はライン地方の名門。グンターグートルーネという兄妹と異父弟のハーゲンが同居する。ハーゲンの父はニーベルング族のアルベリヒだ。「ハーゲンの動機」「ギービヒの動機」が重なり合いながら3人の会話が進む。未婚の兄妹は夫々結婚を所望。ハーゲンは二人にこう言う。「私は世界で最も素晴らしい女性を知っている。その名はブリュンヒルデ。グンターよ、彼女こそあなたの妻に相応しい。そして、グートルーネ、あなたには世界で最も真正な英雄ジークフリートがいる」。固い絆で結ばれたジークフリートとブリュンヒルデをどうやって別れさせようというのか? そして彼の真の目的は? 角笛が響きジークフリートが館に近づいてくることが察せられる。

<第2場>同上
 「ジークフリートの動機」と共にジークフリートが現れる。ハーゲンの入れ知恵によりブリュンヒルデへの気持ちが高揚しているグンターは「財産も国土も人もすべてはあなたのもの。兄弟の契りを結ぼう」と歓迎する。ハーゲンはジークフリートが「隠れ兜」を持ち、「指環」はブリュンヒルデが持っていることを聞き出す。そう、ハーゲンの目的は父アルベリヒ〜ヴォータン〜ファーフナー〜ジークフリート〜ブリュンヒルデと渡り廻った「指環」を奪還することにあるのだ。
 グートルーネが「忘れ薬」が混ぜられた飲み物をジークフリートに与える。無論これはハーゲンが用意したもの。ジークフリート飲み干す。過去をすべて忘れたジージークフリートはグートルーネの美しさに魅せられて、兄のグンターに「グートルーネを娶りたい」と懇願する。これに対しグンターは「私には心に決めた女性がいるが、彼女は炎に囲まれた岩の上に住んでいる。私はとてもそれを越えられない。力を貸してくれないか」と持ちかける。ジークフリートは「私なら炎を超えることができる。そして隠れ兜であなたに化けて彼女に求婚する」と約束してしまう。二人は血を以て同盟を誓う。「契約の動機」が執拗に鳴り響く。

<第3場>岩山の頂上
 ブリュンヒルデが「指環」に見入っている。「世界の宝の動機」「ブリュンヒルデの動機」が、ここが二人の愛の住み家であることを示す。とその時、「ワルキューレの動機」が鳴り、ブリュンヒルデはワルキューレの誰かが近づいてくることを察知する。妹ワルトラウテである。
 ワルトラウテは、「ヴォータンは、槍を折られトネリコの木々も枯れ、意気消沈してこう言いました。『ラインの乙女たちに、ブリュンヒルデが指環を返してくれればいいのだが。そうすれば呪いの重荷から解放され神々と世界も救われる』と。ブリュンヒルデ、その指輪をラインの乙女たちに返してもらえませんか」と懇願する。ブリュンヒルデは「これはジークフリートとの愛のしるし。たとえ神々が滅びようとこの指輪を手放すことはありません」と「ジークフリートの愛の動機」に乗せて歌う。ワルトラウテは落胆してその場を立ち去る。
 「炎の動機」が強まり「ジークフリートの動機」が重なって、隠れ兜でグンターに姿を変えたジークフリートが入ってくる。「私はギービヒ家のグンター。あなたを私の妻にするためにやってきた」とジークフリート。抵抗するブリュンヒルデから指環を奪い、力が萎えた彼女を強引に我がものとする。

第2幕 ギービヒ家の前の岸辺の庭

<第1場>
 物語の不吉さを暗示するような前奏曲が終わると、そこはギービヒ家の前の岸辺の庭。アルベリヒとハーゲンの親子が話している。
 「もともとわしのものだった指環は今ヴェルズングの若者が持っている。これがラインの乙女に返される前に必ずお前が奪うのだ。このことをわしに誓え、忠実に」と説く父アルベリヒに対しハーゲンは「あなたに言われるまでもなく私がやる」と毅然と言い放つ。

<第2場>
 角笛と共にジークフリートが帰って来る。出迎えるハーゲンに「私は素早く帰ってきた。グンターとブリュンヒルデはあとから舟で来る」と告げ、グートルーネには「今日あなたを妻として得たのだから優しく陽気に迎えてください」と屈託なく言う。

<第3場>
 ハーゲンは「武装して集まれ」とギービヒ家の家臣に号令する。「何のために」と訊く家臣に「雄牛を殺してヴォータンに、猪をフローに、山羊をドンナーに、羊をフリッカに捧げよ。幸せな結婚のために。これからグンターが花嫁を連れて帰って来る。結婚式を盛大にやるのだ」と説明する。
 「グンターと花嫁に万歳!」と家臣たちが唱和する中、グンターが帰還する。頭を垂れ打ちひしがれたブリュンヒルデを伴って。

<第4場>
 理想の花嫁を得たグンターは喜び勇んでこう謳い上げる。「ブリュンヒルデとグンター、グートルーネとジークフリート。二組の輝かしい夫婦をここに見るのはなんと喜ばしいことか」。
 一方のブリュンヒルデ。グートルーネを伴って現れたジークフリートを見て大いに困惑。しかもグンターに奪われたはずの指環がジークフリートの指に嵌められているのを認めてさらに混乱・・・・・ようやく、自分を犯し指環を奪ったのは隠れ兜でグンターに化けたジークフリートであることを察知し絶望の極に。一方のジークフリートは、ハーゲンの「忘れ薬」が利いており、ブリュンヒルデがかつて自分の最愛の妻だったことを忘れてしまっている。
 「神聖な神々、これほどの屈辱をお与えになるのならそれに対する復讐も教えてください。その人(ジークフリート)こそが私から無理やり愛と喜びを奪ったのです」と憤るブリュンヒルデに、ジークフリートは「私はノートゥングにかけて兄弟の血の誓いを守ったのだ」と正当さを主張する。ブリュンヒルデは「ノートゥングは私との愛の印として壁に掛けられていた。あなたはその信義を裏切ったのです」と反論。
 これを聞いたグンターは「これは私への侮辱だ。ジークフリートよ、信義を破ってないと証明せよ」、グートルーネも「彼女の告発が不当だと実証しなさい」とジークフリートに詰め寄る。
 ハーゲンは「ならばこの槍にかけて証言せよ」と信義の帰属を問う場を設ける。ジークフリートは「もしその女性の訴えが真実で私が兄弟の信義を裏切ったのならば、この槍の刃で死に至らしめてくれて構わない」と。ブリュンヒルデは憤慨して「この男は誓いをすべて破った。槍よ、お前の鋭い刃で彼を斬りつけよ」と言い放つ。ジークフリートは「グンター、あなたの妻は嘘をついている。時間と休息を与えれば怒りを鎮めるだろう」と言い残し、グートルーネと共に宴の場へと向かう。

<第5場>
 ブリュンヒルデはこの展開に「いかなる悪魔の企みがここには隠されているのか」と訝るが、神々の知恵をジークフリートに渡してしまっているため考えが及ばない。心中には裏切ったジークフリートへの憎しみが存在するだけだ。ハーゲンはそこにつけこみ「あなたを裏切ったジークフリートに私が復讐する。どうすればあの最強の男を倒すことができるのか」とブリュンヒルデに問う。ブリュンヒルデは「彼と戦って勝てる男はいない。ただ彼は決して敵に後ろを見せないから、背中に弱点を持つ」と口にしてしまう。
 一方、ジークフリートに偽りの信義を結ばされたグンターは「この恥辱!私は惨めな男。私の名誉を救ってくれ」とハーゲンに依願。薬が利いてきたとほくそ笑むハーゲンは「それはジークフリートの死あるのみ。彼の持つ指環を得て世界を征服するのだ」とグンターを唆す。
 これを受けてブリュンヒルデは「ジークフリートはグンターを裏切った。そしてあなた方すべてを裏切った。もし私が正しければ世界のすべての血をもってしてもわたしのために償うことはできない。ただジークフリートの死のみがすべての命に相当する価値がある。ジークフリートよ、倒れよ。私自身とあなた方の罪を償うために」と結ぶ。 侮辱されたグンター、裏切られたブリュンヒルデ、奸計が功を奏しつつあるハーゲン、三人三様の思いが、「ブリュンヒルデの動機」、「誘惑の動機」、「殺人の動機」に乗って朗々と歌われ幕となる。

【照合】
ジークフリートはギービヒ家のグンターと義兄弟の同盟を結ぶ。グンターの妹グートルーネを所望すると、グンターはジークフリートの妻ブリュンヒルデとの結婚を望む。ジークフリート×グートルーネとグンター×ブリュンヒルデの組み合わせを実現するためにジークフリートが動く。この流れはすべてグンターの異父弟ハーゲンが仕組んだものだ。
ジークフリートはウォルムスの城主グンター王にその妹クリームヒルトとの結婚を申し出る。グンター王はアイスランド女王ブルンヒルトとの結婚を望んでおりジークフリートに力を貸してくれと頼む。ジークフリートの力によって、ジークフリート×クリームヒルトとグンター王×ブルンヒルトの二組のカップルが誕生する。なお、グンター王には叔父のハーゲンという後見人がついている。(ニーベルンゲンの歌)

ジークフリートは、「隠れ兜」でグンターに変身、ブリュンヒルデに求婚し、希望を叶えてやる。
ジークフリートは、「隠れ兜」でグンター王に姿を変え、屈強の女王ブルンヒルトとの力比べに勝ち、希望を叶えてやる。(ニーベルンゲンの歌)

ジークフリートはハーゲンの策略によりグートルーネに「忘れ薬」を飲まされ、ブリュンヒルデと夫婦だったことを忘れてしまう。
シグルスグズルーンの母に「忘れ薬」を飲まされ、ブリュンヒルドとの婚約を忘れてしまう。(エッダ)

 ワーグナーは、「ニーベルンゲンの歌」と「エッダ」から様々な登場人物や小道具を引っ張り出し、その関係性やシチュエーションを巧みに変換して、精緻でドラマティックな独自のストーリーを作り上げました。その作劇術は見事としか言いようがありません。
 次回「神々の黄昏」(後編)は、この矛盾と波乱に満ちた物語がどう収束するのか? 最大のクライマックス「ブリュンヒルデの自己犠牲」は真の解答をもたらしてくれるのか? 興味尽きない最終回となります。

<参考資料>
ワーグナー「ニーベルングの指環」第3夜「神々の黄昏」DVD
  ルネ・コロ(ジークフリート)
  ヒルデガルト・ベーレンス(ブリュンヒルデ)
  ハンス・ギュンター・ネッカー(グンター)
  マッティ・サルミネン(ハーゲン)
  エッケハルト・ウラシハ(アルベリヒ)
  リスベート・バルスレフ(グートルーネ)
    サヴァリッシュ指揮:バイエルン国立歌劇場管弦楽団 他
    ニコラウス・レーンホフ(演出) 1987公演 (東芝EMI)
最新名曲解説全集 歌劇編U(音楽之友社)
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
 2024.08.31 (土)  ワーグナー「ジークフリート」原典との照合
 私にとって“ジークフリート”といえば、まずは「ジークフリート牧歌」ということになります。FMえどがわでDJをやった時も吉祥寺で画廊コンサートをやった時もワーグナーを語るときには欠かせない作品でした。
 革命家で野心家のワーグナーが、待望の男の子が生まれて幸福感に満たされ、妻コジマへの感謝を込めて作ったのがこの作品。彼は当時作曲中だった楽劇「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」にあやかって我が子をジークフリートと命名。気分はまさに「ジークフリート=世界の宝」そのものだったでしょう。
 非公開の初演は誕生の翌年1870年のクリスマス12月25日、スイス トリプシェンのワーグナー邸でした(現在はワーグナー記念館になっています)。コジマに気づかれないよう、寝室に通じる螺旋階段にオーケストラを配備、起床するのを見計らって演奏をスタートさせました。この日はまたコジマ33歳の誕生日でもありました。
 曲中には、作曲中の「ジークフリート」から「愛の平和の動機」、「世界の宝の動機」、「恋の絆の動機」、「ワルキューレ」から「まどろみの動機」などをふんだんに挿入、慈愛に満ちた美しい音楽世界を現出します。なんというプレゼント! コジマの驚きと感動は想像を絶するものがあります。世にサプライズは数多あれど、これほどまでの代物はそうはないでしょう。
 当の本人ジークフリート・ワーグナーがロンドン交響楽団を指揮したレアな録音が遺されていますが(1927年)、一音一音に慈愛の念が籠るブルーノ・ワルター指揮:コロンビア交響楽団(1959年)の演奏が絶品です。

 では「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」の登場者とあらすじを記しましょう。最初にワーグナー作品と原典での登場者名を対照併記します。そのあとあらすじを記しますが、最後に 【照合】欄を設けて ←で原典との関連性を記します。関連する事柄は太字で明記します。( )内は原典名です。
 
<ジークフリート>         <原典>
 ジークフリート   ジークフリート(ニーベルンゲンの歌)
  シグルス(エッダ)
 ミーメ   ミーメ(ニーベルンゲンの歌)
  レギン(エッダ)
 アルベリヒ   アルベリヒ(ニーベルンゲンの歌)
  ファーヴニル(エッダ)
 名剣ノートゥング   名剣バルムング(ニーベルンゲンの歌)
  名剣グラム(エッダ)
 さすらい人(ヴォータン)   オーディン(エッダ)
 大蛇ファーフナー   火を噴く龍ハーフナー(ニーベルンゲンの歌)
 ブリュンヒルデ   ブルンヒルト(ニーベルンゲンの歌)
    〃   ブリュンヒルド(エッダ)

第1幕 森の洞窟

<第1場>
 小人族のミーメが剣を鍛造している。「私が鍛えた最上の剣もあいつが全部へし折ってしまう」とぼやきながら。バックに流れる「ジークフリートの動機」から“あいつ”とはジークフリートのことと判る。そのジークフリートが帰ってくる。「お前のやることはすべてがイラつく。今日も森で小川に自分の顔を映したがお前に少しも似ていない。私の親はいったい誰なのだ。本当のことを教えろ」とミーメに迫る。「お前の母はジークリンデ。父親は殺されたと聞いた。私は森で倒れていたお前の母を介抱した。彼女はお前を生んで死んだ。だから私はお前を育てたんだ」とミーメが答える。ならばその話の証拠を見せろと迫るジークフリートに、「これがその証拠、ジークリンデの置き土産だ」とノートゥングの破片を見せる。控え目に「剣の動機」が響く。「ならばそれをちゃんと鍛え直せ」とジークフリート。
 ミーメとしては、ノートゥングを再生し、ジークフリートにそれを持たせ、指環と財宝を守る大蛇ファーフナーを倒させ、それらを奪い取ろうと企んでいる。が、再生の方法がわからず口には出さない。ジークフリートは鍛え直されたノートゥングを持ってここを飛び出したいと念じている。「ジークフリートの使命の動機」が鳴り響きジークフリート退場。

<第2場>
 槍を持ったさすらい人(ヴォータン)がやってくる。ミーメに「ここでもてなしてもらう代わりに知恵を授けよう。わしの頭を担保にして知恵くらべの賭けをするのだ。まずはお前の知りたいことを私に質問しろ。答えられなかったらわしの頭をやる」と傲慢に提案する。「槍の動機」。ミーメは3つの質問をする。さすらい人はすべて答えるのだが、それは次のようなものだ。
1 地底に住むのはニーベルング族 支配者の名はアルベリヒ ある魔法の指環で統治していた。
2 地上に住むのは巨人族 ファーフナーが大蛇に身を変えアルベリヒから奪った財宝と指環を守っ
 ている。「大蛇の動機」。
3 雲の上には神々がいて、ヴァルハルという城に住む。支配者はヴォータン。トネリコから作った
 槍を持ち、柄には神聖な契約のルーネ文字が刻まれている。彼はそれで世界を意のままに動か
 す。「ヴァルハルの動機」。高鳴る「槍の動機」。
 さすらい人はさらに「ミーメよ、今度はお前の首が担保だ。これから3つの質問をするからすべて答えよ」と迫る。やり取りは下記の通り。
1 ヴォータンが厳しい態度をとりながらも最も愛しているのはどの種族か?
 それはヴェルズング族 そのジークムントとジークリンデはジークフリートという最強の子孫を
 生んだ。
2 あるニーベルング族はジークフリートを使ってファーフナーを倒し指環を得ようとしている な
 らばそのための武器は?
 それはノートゥングという剣だ だがそれは破片と化して今は賢い鍛冶屋が持っている。
3 では誰がノートゥングの破片から再生するのだ?
 それはわからん 私じゃできないからだ。
 そこでさすらい人、「ミーメよ、最後の質問の答えを教えてやろう。ノートゥングを再生するのは“怖れを知らぬ者”のみだ。担保にしたお前の頭は私からその者に委ねることにする」 と言い放つ。「ジークフリートの動機」が流れ“怖れを知らぬもの”とはジークフリートであることを示唆する。

<第3場>
 さすらい人が去った後、「ジークフリートの使命の動機」と共にジークフリートが戻ってくる。ミーメは「さすらい人が来て賭けをしたが負けて私の頭はノートゥングを再生する者に委ねられた」とジークフリートに言う。さらには「ノートゥングを再生できるのは怖れを知らぬものだけだ。お前は怖れを知っているのか」とけしかけ、「知るものか。ならばその“怖れ”とやらを教えてくれ」とジークフリートに言わせる。これを受けてミーメは「俺と大蛇ファーフナーのもとに行こう。そうすれば怖れを知ることができるぞ」とジークフリートを誘導する。ジークフリートは「そのためには最強の剣が必要だ。早く再生しろ。鍛冶屋なんだろう」とミーメに促すがラチが開かない。
 ジークフリートは「その破片をよこせ。お前にはもう用はない。父が遺した鋼は息子に従うだろう。私自身が鍛えるぞ」と宣言。破片を粉々にし、トネリコの幹で作った炭を燃やし、溶かし固め鍛えて、遂にノートゥングを再生する。一方ミーメは、ジークフリートが大蛇から財産を奪った後、横取りするために、彼を消す毒を煮込む。互いの思惑を込めた歌声が交錯して幕となる。

【照合】
ジークムントの息子ジークフリートはアルベリヒの弟鍛冶屋のミーメに育てられている
ジークムント王の息子ジークフリートは鍛冶屋ミーメの下で刀鍛冶の修行に励んでいる(ニーベルンゲンの歌)
←シグムント王の息子シグルスは小人のレギンの養育を受ける(エッダ)

ジークフリートはヴォータンの槍によって砕かれた剣ノートゥングを自分の力で再生する
ジークフリートはミーメから習得した刀鍛冶の技術で強い剣を鍛造する(ニーベルンゲンの歌)
シグルスはレギンからグラムという名剣を与えられる(エッダ)

第2幕 深い森

<第1場>
 ゆっくりと引きずるように「巨人の動機」から「大蛇の動機」、そこに「指環の動機」が絡む不気味な前奏で始まる。「欲望の洞窟」にアルベリヒがいる。奥には指環と財宝を守る大蛇ファーフナー。そこにさすらい人がやってくる。「何しに来た。お前はわしが持っていた指環や財宝を奪って巨人たちの報酬にした。それを奪い返すなどできるわけはない。ルーネ文字の契約に反するからな。指環はわしが取り返して世界を支配する」とアルベリヒ。これに対しさすらい人 「一人の英雄が指環を救い出すために近づいてくる。彼がファーフナーを倒すだろう。二人のニーベルング族が指環を争う。お前はどうする? ほかの事もよく学ぶがいい」と言って立ち去る。揶揄されたと思ったアルベリヒは「不安なわしを冷笑したな。軽率な神々の一族め。お前たちの滅亡を見届けてやる」と叫ぶ。

<第2場>
 ジークフリートとミーメがやってくる。「ここでお前は怖れを学ぶことになる。凶暴な大蛇がいるからな」とミーメ。「そんなものは怖れるに足らない。心臓にノートゥングを突き刺してやる」とジークフリート。
 ミーメが立ち去ったあと、ジークフリートは小鳥の鳴き声を聞く。「森の小鳥の動機」。ジークフリートは小鳥と会話をしようと葦笛を吹くが反応がない。そこで角笛を高らかに吹き鳴らす。「角笛の動機」。すると、小鳥には通じなかった角笛に大蛇ファーフナーが反応して出てくる。二者は言い合いから格闘になる。「角笛の動機」と「大蛇の動機」が交錯した後、ジークフリートはファーフナーの心臓にノートゥングを突き刺す。ファーフナーいまわの際に「お前をしかけた奴はお前の命を狙っていることを忘れるな」と忠告して息絶える。
 ジークフリートが手に付着したファーフナーの血を舐めると、なんと小鳥の言葉が解るようになる。小鳥は「ジークフリートよ 洞窟の中にはニーベルングの宝も隠れ兜も指環もある。もし指環を得たらお前は世界の支配者になるだろう」と話す。

<第3場>
 忍び足で歩むミーメをアルベリヒが見つける。二人はジークフリートが持ち帰ることになるファーフナーの財産(指環と隠れ兜)について口論となる。「わしの財産をお前に渡すわけにはいかない」と強弁するアルベリヒに「私が育てたジークフリートが得た財産は私のものだ。兄貴風を吹かしてもらっては困る」とミーメは返す。アルベリヒは「なんといまいましい。だが指環はいずれあるべき持ち主に帰ることになる」と捨て台詞を残して立ち去る。
 隠れ兜と指環を持ってジークフリートが洞窟から出てくる。そこで小鳥が「不実なミーメに用心なさい。あなたは悪者の言葉の裏にある悪巧みを見抜けます」とジークフリートに忠告する。
 ミーメは「ご苦労様。ところで怖れを覚えたかね」と訊くと「教えてもらえなかったね」とジークフリート。ミーメは「お前の役目はもう終わった。お前が剣を鍛えている間に私が煎じたこの飲み物を与え永い眠りに就かせてやる。その間に獲物を頂くまでだ」と心の中で呟きながら、「さあこれで元気が回復するぞ」と煮込んだ毒を飲ませようとする。が、ミーメの魂胆がわかっているジークフリートはこれをはねのけ彼をノートゥングで刺し殺す。「ジークフリートの使命の動機」が不気味さを帯びて流れる。
 ジークフリート、小鳥に話しかける 「私は父も母も見たことはない。小人が唯一の友だったがずる賢い罠を仕掛けたから殺してしまった。親切な小鳥よ、教えてくれ。本当の友はどこにいるのか」。「高い岩の上にブリュンヒルデという気高い女性が炎に囲まれて眠っている。その炎を越え目覚めさせるのは怖れを知らぬ者だけだ」と小鳥。これに応えて「怖れを知らぬ愚かな子供。それはジークフリート、私だ。ブリュンヒルデに怖れを学ぶ。小鳥よ、私をそこに導いてくれ」とジークフリートは喜び勇んで小鳥の後を追ってゆく。

【照合】
巨人族ファーフナーは大蛇に身を変えて財宝を守っているがジークフリートが刺し殺しそれを奪う。その時剣に付着した血を舐めると小鳥の言葉が解るようになる。
ジークフリートは火を噴く龍ハーフナーに行く手を遮られてこれを剣で刺し殺す。その返り血を浴びると小鳥の言葉を解するようになる(ニーベルンゲンの歌)。

小人族のミーメは罠を仕掛けたことがジークフリートに見透かされ殺される。兄のアルベリヒは姿をくらます。
レギンの兄ファーヴニルは父の財産を独り占めにしようとして龍に身を変えている。レギンはシグルスを唆してファーニブルを殺させる。この企みを知ったシグルスはレギンを殺しその財宝を手にする(エッダ)。

第3幕 岩山の麓の荒野

<第1場>
 「エルダの動機」や「槍の動機」等が絡みつつ、やや弾むように重みを持って、前奏曲が奏される。さすらい人(ヴォータン)はエルダを呼び出す。エルダは世界の智を司る女神だが、かつてヴォータンがブリュンヒルデを産ませた母でもある。さすらい人はエルダに「お前の知恵から助言を得たい」と言うが、自分の考えを聞いてもらいたいというのが本音だろう。さすらい人はこう言い放つ。「私はかつて一度は世界をニーベルング族の欲望に委ねてしまったが、今や、ヴェルズング族の類まれな一人の若者にわしの遺産を譲ることにした」。「ジークフリート愛の動機」、「ジークフリートの動機」。さらに「お前が産んだブリュンヒルデをこの若者がやさしく目覚めさせる。目覚めたお前の娘は世界を救う行為を成し遂げる。永遠の若者に未来を委ねるのだ」とエルダを眠らせる。「ジークフリート愛の動機」が感動的に流れる。

<第2場>
 小鳥に導かれてジークフリートが岩山の麓にやってくる。待ち受けていたかのようにさすらい人が話しかける。「どこへ行く」。「火に囲まれている岩山だ。私が目覚めさせるべき女性がそこに眠っている」とジークフリート。「その女性はわしの力で閉じ込められている。彼女を目覚めさせるということはわしの力を無にするということだ。わしの槍がお前を遮ってやる。この槍は、昔、今お前が持つノートゥングを打ち砕いたのだ」。これを聞いたジークフリートは、さすらい人こそが父の仇と悟る。槍と剣が交錯し槍が折れる。「剣の動機」と「槍の動機」。ジークフリートが打ち克ったのだ。
 さすらい人は「行くがいい。わしはお前を止められなかった」と、自分に代わる英雄の出現を見届けて姿を消す。ジークフリートは「今こそ愛する友を呼び寄せるのだ」と炎の中へ飛び込んでゆく。
 「角笛の動機」〜「まどろみの動機」〜「ジークフリートの動機」が対位法的に絡み合い、「炎の動機」に誘われるようにジークフリートは歩を進める。

 ヴォータンの槍が恐れを知らぬ若者の剣・再生ノートゥングによってへし折られました。この剣はかつて無双の槍に打ち砕かれたもの。これは実に象徴的な出来事で、世界を治める力が大神ヴォータンからヴェルズング族の若者ジークフリートに託された、即ち、世界の権力が神々から人間に移された証なのです。

<第3場>岩山の頂
 火を潜り抜けたジークフリートはブリュンヒルデが眠る岩山の頂に辿りつく。「まどろみの動機」。初めは男の兵士と思ったが兜と鎧をはぎ取るとそれは美しい女性だった。あまりの美しさに心が乱れ「今、この女性こそが私に怖れを教えてくれた!」と感知する。目覚めたブリュンヒルデは「太陽に祝福を! 私を起こした英雄は誰?
」と問いかける。「ジークフリートの動機」。「炎を越えあなたを目覚めさせたのはこの私です」とジークフリート。ブリュンヒルデは「ジークフリート、貴方が私の永い眠りを目覚めさせてくれたのですね。神々に、世界に、輝く大地に、祝福を!」と喜ぶ。
 ところが、「今や私の胸には炎が燃え盛っている」と抱きつくジークフリートを「神でさえ私には近づけなかった。英雄たちも頭を垂れた。鎧と兜を引き裂かれた私はもはやブリュンヒルデではない。暗黒が私の視野を曇らせ霧と恐怖の中から不安と恥辱が乱れてもつれあう」と撥ねつける。激情に駆られるジークフリートをすぐには受け容れないブリュンヒルデの気高さか。
 しかし、徐々に不安が遠のくブリュンヒルデは「太陽に照らされて、私の恥辱の昼が輝き出す。ジークフリート、私の不安を見つめて!」と話し始める。ここで流れ出す「愛の平和の動機」の美しさ! さらには「世界の宝の動機」が重なる。まるでこのあたり、「ジークフリート牧歌」そのものだ。
 ブリュンヒルデはまだ「ジークフリート、世界の宝。そんなに荒々しく近づかないで」と踏み出せずにいるが、「目覚めよ!ブリュンヒルデ、甘美な喜びが僕らに笑いかけている。僕のものになってくれ」とジークフリートは迫る。するとブリュンヒルデは「純潔の光が灼熱の炎へと燃え上がる。天上の知恵は私から吹き飛ぶ。愛の歓喜がそれを追い払う。今や私はあなたのもの」とついに愛を受け容れる。「ジークフリートの動機」「恋の絆の動機」が交錯する。
 そして最後、「恋の絆の動機」「ジークフリートの愛の動機」を軸に、「私にブリュンヒルデの星が輝き、彼女こそが永遠に私の宝、輝かしい愛!喜んで死を迎えよう」(ジークフリート)/「崇高な行為をそれとは知らずに成し遂げる人よ!笑いながらあなたを愛し笑いながら滅びましょう。ヴァルハルの世界よ、塵となって砕けよ! 神々の栄華よ、喜びのうちに結末を迎えよ! 神々の黄昏と破滅の夜が訪れるがよい」(ブリュンヒルデ)と二重唱で次夜の結末を示唆しつつ幕となる。

【照合】
ヴォータンとエルダの娘ブリュンヒルデは、ヴォータンの怒りを買い、周りを火に囲まれた岩の上で眠らされる
ブリュンヒルドは、オーディンの怒りを買い、周りを火に囲まれた山上に眠らされる(エッダ)

 ワーグナーは、「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」で、「ニーベルンゲンの歌」や「エッダ」から、兄弟のいさかい、鍛冶屋、剣、鍛造、財宝、龍(大蛇)、血、小鳥の言葉など様々なキイ・ワードを取り込んでストーリーを構築したことが判ります。
 印象的なのは、炎を飛び越えてやってきた英雄とそれを待ち受けていたブリュンヒルデがストレートに愛の世界に飛び込めないシチュエーション。これは、ワーグナーが、苦難の末に成就したコジマとの愛を暗示し書き止めておきたかった ということでしょうか?
 それにしてもワーグナーという人は凄い! 楽劇「ジークフリート」の第1幕と第2幕。これ全体の2/3に当たるのですが、ここには女性歌手は一切登場しません。僅かに鳥の声が女声で歌われるだけ。むさくるしい男どもが極太い声でああだこうだと理屈をこねまわすばかり。それを2時間半も聞かされる。普通のオペラなら一作が終わる時間。たまったもんじゃないと感じる人もいるでしょう。並みの作曲家にできる業ではないですね。「いやなら見なくていいぜ」、そんなワーグナーオレ流の声が聞こえてきそうです。

<参考資料>
ワーグナー「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」DVD
  ジークフリート・イェルサレム(ジークフリート)
  グレアム・クラーク(ミーメ) ジョン・トムリンソン(さすらい人)
  アン・エヴァンス(ブリュンヒルデ)
    バレンボイム指揮:バイロイト祝祭管弦楽団 他1991公演 (小学館)
最新名曲解説全集 歌劇編U(音楽之友社)
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
 2024.07.31 (水)  ワーグナー「ワルキューレ」原典との照合
 私の「ワルキューレ」体験ですが、これは何といっても2016年11月6日の東京文化会館に止めを刺します。幼馴染のクラシック友達M.F氏が、都合で行かれなくなりチケットが回ってきましてね。「行かれますか。良い席ですよ」に「行かないわけがありません」と二つ返事でOK、もう一人のクラシック友達T.F氏をお誘いしました。
 第1幕の配役は、ジークリンデがペトゥラ・ラング(S)、ジークムントがクリストファー・ヴェントリス(T)、フンディングがアイン・アンガー(Bs)。演奏は、アダム・フィッシャー指揮:ウィーン国立歌劇場管弦楽団です。
 幕が上がる。荒々しい「嵐の動機」からジークムントとジークリンデが出会って間もなく、「ジークリンデの動機」を奏でるウィーン・フィルの弦の美しさに陶然としたものです。幕間にはチケット付属のワインをたしなんで、第2、3幕まで、実にゴージャスな宵を過ごすことができました。
 M.F氏には感謝の気持ちを込めて共同で「ニーベルングの指環」DVDブック(小学館)全4巻をお贈りしました。実はこれ、T.F氏が制作したオペラDVDブックのベストセラー商品なのです。そんなT.F氏も昨年帰らぬ人となってしまいました。T.F氏は「クラ未知」の一番の愛読者で、毎月必ず感想をよせてくださいました。彼の会社日本アートセンターが神保町だったこともあって、ほぼ月に一度、如水会館で会食をご一緒しました。食事のあとは決まって14階の一橋クラブに移動してクラシック話に花を咲かせたものです。気の置けない大切な友人の一人だったT.F氏。残念です。淋しいです。でも、またいつか、楽しく音楽の話でも・・・・・。
 因みに、“ワルキューレ”とはヴォータンが産み育てた9人からなる女戦士のこと。リーダーはヴォータンとエルダとの娘 強く賢く高い徳の持ち主ブリュンヒルデです。

 では「ニーベルングの指環」第1夜「ワルキューレ」の登場者とあらすじを記しましょう。最初にワーグナー作品と原典での登場者名を対照併記します。そのあとあらすじを、最後に 【照合】欄を設けて ←で 原典との関連性を記します。関連する事柄は太字で明記します。( )内は原典名です。

 また今回からは、示導動機(ライトモティーフ)にも触れながら話を進めたいと思います。示導動機とはワーグナーが考案した、人物、物体、出来事、感情などを表わす200余りに上る動機のこと。時々のシチュエーションの意味するところが瞬時に感知・理解できるツールで、ワーグナー自身はこれを「迷路のようなドラマにおける案内役」と述べています。しかもこれ、無味乾燥なものではなく豊かな情感が籠っており、それ自体実に音楽的。ワーグナーの才能に驚嘆です。以下、これを「・・・の動機」という形で記します。
 
<ワルキューレ>        <原典>
ジークムント    シグムント(ヴォルスンガサガ)
ジークリンデ    シグニュー(ヴォルスンガサガ)
ナイディング族    フン族(ニーベルングの歌)
フンディング    シゲイル(ヴォルスンガサガ)
名剣ノートゥング    名剣バルムング(ニーベルンゲンの歌)
ブリュンヒルデ    ブルンヒルト(ニーベルンゲンの歌)
   〃    ブリュンヒルド(エッダ)

第1幕(3場) フンディングの家の中

 冒頭「嵐の動機」が鳴り響く。ウェルズング族(人間族)の双子の兄妹であるジークムントとジークリンデは敵対する一族ナイディング族との戦いの中、別れ別れとなり、その後ジークリンデは敵であるフンディングに嫁ぐことになった。一方、ジークムントは更なる戦いでキズを負い武器も失い、それと知らずにフンディングの館にたどり着く。とそこには留守を預かるジークリンデがいた。「ジークリンデの動機」。二人は互いに惹かれあい、話すうちに幼いころに生き別れた兄妹であることを悟る。
 「フンディングの動機」が聞こえ、この家の主フンディングが帰宅する。彼は男の存在を訝るが一族のしきたりから客人としてもてなすことにする。しかし、その男が一族の敵と知るや「丸腰の者を討つわけにはいかないが、明日、貴殿に戦いの準備が整ったならば、そこで雌雄を決しよう」と言い放ちその場を立ち去る。
 ジークリンデは、寝酒に薬を混ぜてフンディングを眠らせ、ジークムントには蜂蜜入りの酒を与える。宿命の糸に導かれた二人は気持ちを高揚させ愛の喜びに浸る。ジークリンデは、「フンディングの婚礼の宴に、独眼の老人がやってきて最強の剣・ノートゥングを庭のトネリコの幹に刺し、一堂に『これを引き抜いた者こそが真の勇者であり剣を持つにふさわしい』と話しましたが、誰一人抜ける者はいませんでした。トネリコに刺さった剣はそのままここにあります」とジークムントに語る。これを聞いたジークムントは見事剣を抜き取り「ノートゥング!ノートゥング!」と叫ぶ。独眼の老人とはヴォータン。二人の父親だったのだ。

 ジークムントが「冬の嵐は去りて」と歌い、ジークリンデが「あなたこそが春です」と返し、トネリコからノートゥングが引き抜かれ「剣の動機」が響きわたる〜この一連のシチュエーションこそ第1夜「ワルキューレ」の白眉。最高に感動的な場面だろう。 そして、武器を手にし愛を確かめ合った二人は忌まわしい館を飛び出し、自由の世界に羽ばたいてゆくのだが・・・・・。

【照合】
ジークムントジークリンデの兄妹は運命の糸に導かれ愛の結晶ジークフリートを生む
シグニューは魔法使いと姿をとりかえ、森にやってきて兄シグムントと床を一つにして、シンフィヨトリを生む(ヴォルスンガサガ)

フンディングジークリンデを娶る
シゲイルという王はシグニューに求婚する(ヴォルスンガサガ)

ナイディング族は客人に一宿一飯のもてなしをする
フン族は客人を大切に扱う(ニーベルングの歌)

フンディングとジークムントの祝宴に独眼の老人が現れて、トネリコに剣を刺し「これを引き抜いた者にこの剣を与える」と言う
←シゲイル王がシグニューの父ヴォルスングを訪れた宴に独眼の老人が現れ「木の幹に剣を刺しこれを引き抜いた者にこの並びなき名剣を与えよう」と言って消える(ヴォルスンガサガ)

名剣の名はノートゥング
←名剣の名はバルムニング(ニーベルンゲンの歌)

第2幕 荒涼とした岩山

<第1場>
 「ウェルズングに勝利を。フンディングはヴァルハラには入れさせない」とヴォータンは、ブリュンヒルデにワルキューレの出動を命じてジークムントへの加勢を促す。ブリュンヒルデはヴォータンと知恵の女神エルダとの娘。女戦士ワルキューレのリーダーである。
 そこにヴォータンの正妻フリッカが現れてこう言う。「フンディングが私に助けを求めにやってきた。結婚の神としてはそれを受けざるを得ない。ジークムントとジークリンデは不義を犯したのだから赦すわけにはいかない」と。ヴォータン、一旦は「純粋な愛で結ばれた二人を赦すべきだ」と反駁を試みるも、フリッカの正論を崩せず、言うことを聞く羽目になる。

<第2場>
 鳴りわたる「不機嫌の動機」。ヴォータンは再度現れたブリュンヒルデに、「私はフリッカの言いつけを守ることにした。お前もそれに従え。ジークムントを倒すことがお前の役目だ。これに背いたらただではすまぬ」と威嚇。権力の象徴「槍の動機」が流れる。ブリュンヒルデは不本意ながら父の言いつけを守ることにする。
 ヴォータンはこれに先立って「フライアを取り戻すために指環をファーフナーに渡したが、これを取り返さねばならぬ。自分が結んだ契約だから私はこれをできない。これができるのは我々神とは関りのない勇者しかいない」、さらに「愛を呪うアルベリヒは憎しみから子供を儲けようとしている。そうなれば神々の終焉は確実に近づく」と、第2夜以降の展開を示唆する言葉を発する。即ち、神と関りのない勇者とはジークフリートであり、アルベリヒが儲ける子とはハーゲンのことだ。

<第3、4場>
 フンディングに追われてジークムントとジークリンデが岩山に駆け込んでくる。そこにブリュンヒルデが現れる。ブリュンヒルデは「私と共にヴァルハラに行ってもらいます。戦って負けるのがあなたの運命だから」とジークムントに言い放つ。聞こえる「運命の動機」と「死の予告の動機」。これに「私はジークリンデを残して死ぬわけにはいかない。もしそれが定めならここで私たち二人の命を絶つ」とジークムント。
 この覚悟に動かされたブリュンヒルデは“戦いの運命”を変え、ジークムントに勝利を与え二人が生きることを容認する。これぞまさにヴォータンの言いつけに背く行為だ。

<第5場>
 ジークムントはフンディングとの戦いに臨む。見守るブリュンヒルデは「ノートゥングの力を信じて勝ちなさい」と檄を飛ばす。そこに突然、ヴォータンが現れ、槍を使ってノートゥングを打ち砕く。剣を失ったジークムントは敢えなくフンディングに討たれてしまう。
 ブリュンヒルデはジークムントの傍らに倒れているジークリンデを発見。「あなたを助けます」と愛馬グラーネに乗せて立ち去る。
 一部始終を見ていたヴォータンは、フンディングには「フリッカの元に行き私は約束を守った と言え」と促し、立ち去ったブリュンヒルデに対しては「私の命令に背くとは許せぬ。捕まえたら恐ろしい罰を下す」と叫んで幕となる。

【照合】
フリッカは結婚の神でヴォータンの正妻
フリッグはオーディンの妻で最高の女神(エッダ)

ブリュンヒルデはヴォータンとエルダの娘で女戦士ワルキューレのリーダー
ブルンヒルトはアイスランド女王で男勝りの強者(ニーベルンゲンの歌)
ブリュンヒルドはオーディンの教えに背いたワルキューレ(エッダ)

第3幕 ブリュンヒルデの岩の頂

<第1場>
 「ワルキューレの騎行」が渦のように流れる中、ワルキューレの8女戦士が集まっている所に、リーダーのブリュンヒルデが馬を駆りジークリンデを乗せてやってくる。「あの人と一緒に死ねばよかった」と言うジークリンデに「あなたのおなかにはこの世で最も気高い勇者が宿っている。生きなさい。私がヴォータンを足止めします。東に向かって逃げなさい。そこには森があり指環を得て蛇に姿を変えたファーフナーが居座っているのでヴォータンは近づけないはずです」。さらに「これは父上が砕いたジークムントの剣の破片です。生まれてくる勇者はこれを鍛えなおして使うでしょう。その子を“ジークフリート”(勝利を保つ者)と名付けます」とジークリンデに告げる。鳴り響く「ジークフリートの動機」。これを受けてジークリンデは「ああこの上なく美しい奇跡!」と歌うが、これが「愛の救済の動機」で、このあと物語の大団円「ブリュンヒルデの自己犠牲」の場面でもう一度だけ現れる。これぞワーグナーが紡いだ最も高貴にして美しいモティーフだ。

<第2、3場>
 激怒のヴォータンが現れる。「不機嫌の動機」頻発。ブリュンヒルデに向かって「神に背いたお前に罰を与える。この山の上でお前を眠らせる。通りすがりの男がお前を目覚めさせわがものとするだろう」と言い放つ。これに対してブリュンヒルデ「私の犯した罪はそんな辱めを受けなければならないほど深いものなのでしょうか。私は父上が忘れようとしたジークムントへの愛を尊重しました。それこそが父上が私に教えてくれたものではありませんか。私の半身は父上です。私が慰み者になるということは父上が嘲笑を受けるということです」と訴える。さらに「一つだけ願いを聞いてください。眠る私の周りを火で囲んでください。恐れを知らぬ勇者だけが私に近づけるように」。ヴォータンはこれを聞き容れ火の神ローゲを呼び出し燃える炎で岩山を囲む。「魔の炎の動機」。
 「魔の炎の動機」が「まどろみの動機」に移ると、ヴォータンは「私の槍を恐れる者は絶対にこの炎を越えられない」と歌う。そこに「ジークフリート」の動機が力強く重なり、炎を越える勇者はジークフリートであることを暗示する。そして、眠りに入るブリュンヒルデを愛しむように「まどろみの動機」が徐々に弱まって幕を閉じる。

【照合】
ヴォータンに背いたブリュンヒルデは周りを火に囲まれた岩の上に眠らされる
オーディンの怒りを受けたブリュンヒルドは火に囲まれた山上に眠らされる (エッダ)

 「ワルキューレ」は、「ニーベルングの指環」において、ワーグナーが最初に台本を手掛けた「ジークフリート」に繋がる前段の物語。主軸となる英雄ジークフリートの出自を明らかにしておきたかったのでしょう。
 「ラインの黄金」が物語の枠組みを示し、「ジークフリート」「神々の黄昏」が叙事的出来事を物語るものだとすれば、「ワルキューレ」はかなり叙情に寄った物語といえます。思想的にも他の三夜が、「権力」「欲望」「愛の呪い」など、どろどろとした心情を軸に展開するのに対し、「ワルキューレ」では堅固な掟を“通じ合う気持ち”が覆してゆく。そこには純潔と官能が併存する愛の世界が現出します。拠り所とした出典は「ヴォルスンガサガ」。ここからこのような世界を創り出してしまうワーグナーの創作力は驚異です。しかもその中に、以降につながる数々の鍵を埋め込んでいる。その作劇力の非凡さも示導動機の使い方と相まって見事としか言いようがありません。

<参考資料>
ワーグナー「ニーベルングの指環」第1夜「ワルキューレ」
  NHK-BSザルツブルク音楽祭2017公演 BD
   ペーター・ザイフェルト(ジークムント、アニヤ・ハルテロス(ジークリンデ)
   ヴィタリー・コワリョフ(ヴォータン)、アニヤ・カンペ(ブリュンヒルデ)
    クリスティアン・ティーレマン指揮:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
  CD-BOOK 魅惑のオペラ: バレンボイム指揮:バイロイト祝祭管弦楽団 他1991公演 (小学館)
最新名曲解説全集 歌劇編U(音楽之友社)
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
 2024.06.30 (日)  ワーグナー「ラインの黄金」 原典との照合
 我がクラシック友達T.M.氏は三菱商事フィナンシャル部門のトップを務め、退職後は投資コンサルタント会社を経営、ワールドワイドに活躍するビジネスマンです。得意先にドイツの会社がある関係で夏には度々バイロイト祝祭劇場にも出かけています。「バイロイトは古代ギリシャの円形劇場を模しているので見やすいのですが、冷房がないからやはり暑い。椅子は木製で硬く長時間耐えるのは大変です。で、ウォルフガングの娘の時代になってからは、作りが突拍子もなくてね。やはりオーソドックスな演出の方がいいですよ」などと話しています。ウォルフガングとはリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の孫ウォルフガング・ワーグナー(1919-2010)のこと。娘はカタリーナとエファの姉妹。リヒャルトの曾孫ですね。今、この二人がバイロイトの制作運営を全面的に仕切っています。
 私も彼女たちのプロダクションを毎年テレビで見ますが、T.M.氏の云う通りまるで感心いたしませぬ。例えば、2019年の歌劇「タンホイザー」。このオペラ、主人公の騎士タンホイザーが、愛欲の都ヴェーヌスブルクと芸術と純潔の殿堂ワルトブルクを行き来し「愛欲/純愛」の挟間で葛藤、最後は彼を慕う純潔な女性の犠牲によって救われる といういかにもワーグナーらしい身勝手な思想による物語なんですが、このプロダクション、ヴェーヌスブルクがなんとサーカス団の移動トラックになっている。そこには愛欲の女神ヴェーヌスと共に黒人の道化と小人が乗り込んでいる。しかも彼らは殿堂ワルトブルクに乱入してタンホイザーを煽りまくる。いやはやもう見ちゃおれんほどの珍演出。ところが、ワーグナーの勇壮荘厳な音楽がこんなヘンテコ演出を救っちゃうんですね。偉大なるかなワーグナーの音楽です。私はここでワーグナーの曾孫姉妹に言いたい。奇をてらうだけでは曽祖父の音楽に失礼ですよと。

 今回取り上げるのは「ニーベルングの指環」の序夜「ラインの黄金」です。これが「指環」の序夜なのですが、ワーグナーが初めに台本に着手したのは「ジークフリート」で、1848年、ワーグナー35歳のとき。彼はこれを「ジークフリートの死」と「若きジークフリート」の二部に分けました。後に前者は「神々の黄昏」、後者が「ジークフリート」となります。これらの物語はゲルマンの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に基づいていますが、これは前回のクラ未知で記述した通り。これに先立つ「ワルキューレ」はアイスランド伝承の「サガ」から、「ラインの黄金」は北欧神話の「エッダ」と「ニーベルンゲンの歌」から、夫々採られています。面白いことにワーグナー「指環」の台本は完成形と逆の順番で書かれたことになります。
 このように、ワーグナーは「指環」の台本はすべて自身で書いています。オペラの作曲家として、これは異色中の異色といえます。モーツァルトもロッシーニもヴェルディもプッチーニも、私の知る限り、自ら台本を書いた作品は皆無です。やはり、少年時代にシェイクスピア劇に夢中になっていたことが、他の作曲家と一線を画す大きな理由の一つとなっているのでしょう。

 「ラインの黄金」の台本が完成したのは1852年11月。作曲開始は1853年11月で翌1854年5月には完成。以下「ワルキューレ」が1856年4月、「ジークフリート」と「神々の黄昏」は、間に「トリスタンとイゾルデ」、「マイスタージンガー」の作曲が入ったため、夫々1871年2月と1874年11月に完成しました。曲作りの方は完成形の順番通りということですね。1848年の着手から26年の歳月が流れたことになります。

 では「ニーベルングの指環」序夜「ラインの黄金」の登場者とあらすじを記しましょう。最初にワーグナー作品と原典での登場者名を対照併記します。そのあとあらすじを記しますが、最後に 【照合】欄を設けて ←で 原典との関連性を記します。関連する事柄は太字で明記します。( )内は原典名です。
  
<ラインの黄金> <原典>
最高神ヴォータン オーディン(エッダ)
ヴォータンの妻フリッカ フリッグ(エッダ)
フリッカの妹フライア フレイヤ(エッダ)
3人のノルン 3人のノルニル(エッダ)
火の神ローゲ ロキ(エッダ)
ニーベルング族アルベリヒ アルベリヒ(ニーベルンゲンの歌)
巨人族ファーフナー 火を噴く龍ハーフナー(ニーベルンゲンの歌)

<第1場>ライン河の水底
 ライン河の黄金を守る3人の乙女が戯れているとアルベリヒという二―ベルハイムから来た小人が割り込んでくる。アルベリヒが言い寄るが乙女たちはからかうばかりで相手にしない。そんな中、彼女らは「黄金から指環を作った者は世界の権力が手に入る。ただし、そのためには愛をあきらめなければならない」と話す。アルベリヒは乙女が我がものにならないのなら愛を断念して「黄金から指環を作って復讐してやる」と宣言する。

【照合】
“ライン河に黄金”の図式は、映画「ニーベルンゲン第2部」で、ジークフリートがクリームヒルトに遺したニーベルンゲンの財宝をハーゲンがラインの河底に隠匿する場面があるが、おそらくそこからヒントを得ていると思う。

<第2場>天上界〜神々の世界
  世界は、地底ニーベルハイムに住むニーベルング族(小人族)と地上に住む巨人族とヴェルズング族(人間族)、そして天上の神々という三つの層に分かれている。
 最高神ヴォータン、その妻フリッカ、フリッカの妹フライア、火の神ローゲ、その他神々が完成した城ヴァルハラを満足げに見上げている。だが、ヴォータンはその裏で、城を作らせた巨人族のファーゾルトとファーフナーの兄弟に「完成した暁には義妹のフライアを授げる」と約束している。但しこれは、狡猾な策謀家ローゲから「フライアをやらずに済むようにするからとにかく作らせてしまいなさい」との助言があったため。巨人族兄弟がフライアを所望したのは、彼女が美しいからだけではなく、彼女だけが不老不死・若さを保つリンゴを育てることができるからだ。
 ヴォータンはローゲに「フライアを渡さずに済む方法は何なのだ」と詰め寄る。ローゲは「フライアの代わりとなるものなどありません。がただ一つ、愛を諦めた男がラインの河底から奪い取った黄金を鍛えあげて作った指環ならばとって代われるかもしれません。なにしろこの指輪を手にしたものは世界を征服できるというのですから」。ヴォータンは巨人兄弟にこの話をすると「ならば指環をフライアの代わりにしてやってもよい」と答え「それまで担保としてフライアは預かる」と言い残して立ち去る。フライアが連れ去られたことで神々たちは見る見る若さを失ってゆく。

【照合】
ヴォータンの妻はフリッカで結婚の女神 もしやヴォータンは恐妻家?
←オーディンの妻はフリッグ 女神の中で最も優れているという(エッダ)

ヴォータンが独眼なのはフリッカを妻とするための担保としたから
←オーディンが独眼なのは、片目を巨人族が保有する知恵と知識が詰まった泉を飲ませてもらうための担保としたから(エッダ)

フリッカの妹フライアは不老不死のリンゴを育てる不可欠な女神
←フリッグに次いで優れているのがフレイヤ という記述あり(エッダ)

ヴォータンの槍は権力の象徴で名は無い
←オーディンの槍は最強でグングニルという名がある(エッダ)

ヴォータンの命令で城を造ったのは巨人族の兄弟ファーゾルトとファーフナー
←オーディンの命令で城を造ったのは巨人族の鍛冶屋が手配した超強力な1頭の馬(エッダ)

火の神ローゲは悪知恵の働く策謀家
←巨人族のロキは仕事はできるが狡猾さも天下一品 と書かれている(エッダ)

<第3場>地底に広がるニーベルハイム 小人族アルベリヒとミーメが住むところ
 アルベリヒは弟ミーメに隠れ兜を作らせる。これと指環でニーベルハイムを支配することに。そこに、ヴォータンとローゲがやって来る。無論指環や財宝を強奪するためだ。ローゲは言葉巧みにアルベリヒを誘導、隠れ兜で蛙に変身させたところを捕まえ縛り上げる。

【照合】
アルベリヒは隠れ兜を使ってニーベルハイムを支配する
←ジークフリートは隠れ兜でグンターとブルンヒルトの結婚を手助けする(ニーベルンゲンの歌)

<第4場>ライン河畔の山上
 ヴォータンとローゲは縛り上げたアルベリルヒを引き立て地上にやって来る。アルベリヒに命令を出させニーベルングの財宝を運び込ませる。財宝と合わせ隠れ兜も指環までも取り上げる。ヴォータンは「今や最も強大な支配者へと私を高めるものを得た」と高笑いし、アルベリヒを解放してやる。アリベルヒは「わしは指環に呪いをかけた。指環を持つものはその呪いから決して逃れられない。指環の支配者は指環の奴隷となる」と捨て台詞を吐き立ち去る。
 ファーゾルトとファーフナーがフライアを連れて登場。ヴォータンはフライアと引き換えに財宝と隠れ兜はいいが指環だけは渡せないと言い張る。そこに知恵の女神エルダが現れてこう言う。「今あるものはすべてが終わり世界に暗黒の日々が近づいています。呪いのかかった指環は捨てなさい」。ヴォータンこれを聞き容れフライアは解放される。  このあと巨人兄弟に争いが起こり、結果、ファーフナーがファーゾルトを殺し代替え品を独り占めして立ち去る。
 雷神ドンナーは雷を呼び、幸福の神フローは城への虹の橋を架ける。神々はヴォータンが名付けたヴァルハルに入城の歩を進める。
 ローゲは「自分は神々と行動を共にするのが恐ろしい。彼らは終末に向かっている」と言いながら、黄金を盗まれて嘆くラインの乙女には「その黄金はもう返らない。お前たちは神々の新しい輝きに浴して今後は幸せに楽しむがいい」と二枚舌を使う。
 一件落着に見えるヴァルハル築城とフライア奪還だったが、物語は神々の未来に暗雲を投げかけて幕となる。

【照合】
アリベルヒはニーベルング族に財宝を造らせ、それを元手に世界を支配する野望を持つが、それらはヴォータンら神々に奪い取られる
←アリベルヒが作らせた財宝はジークフリートに奪われる(ニーベルンゲンの歌)

 今回は「ラインの黄金」を約2時間半観てまとめました。一つ、面白かったのは、本来神と云えば高潔全能の存在のはずですが、ここに登場する最高神ヴォータンはかなりいい加減な神様だということです。
 例えば、ファーゾルトに「ヴォータン、あなたは神々の長なのにすぐ考えを変えてしまう。契約はちゃんと守るべきだ」と諭されと、「まじめにとるとは何事か。ただ冗談で契約しただけなのに」と実に不誠実な対応をする。また妻フリッカには「あなたはいつも自分勝手。つまらない権力や支配欲のためなら愛情や女性の価値を平気でないがしろになさる」となじられる。さらには、「指環は盗めばいい。盗んだものを盗んで何が悪い」など、およそ神らしからぬセリフを吐く。とまあ、こんな不埒な神々だから最後に終焉を迎えるのは当然の帰結 と感じてしまいます。このあたり、ワーグナーの神への思いは、同じプロテスタントでありながら、J.S.バッハのような絶対的敬虔さではなく、ある種の疑念を抱いていたのではないか とさえ考えてしまいます。このあと、そんなワーグナーの宗教観についてもメスを入れられたら と思います。
 次回は第1夜「ワルキューレ」を掘り下げてみましょう。

<参考資料>
ワーグナー「ニーベルングの指環」序夜「ラインの黄金」
 DVD サヴァリッシュ指揮:バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団 他1989公演 (東芝EMI)
 CD ベーム指揮:バイロイト音楽祭管弦楽団 他1966公演 (日本フォノグラム)
 CD-BOOK 魅惑のオペラ: バレンボイム指揮:バイロイト祝祭管弦楽団 他1991公演 (小学館)
最新名曲解説全集 歌劇編U(音楽之友社)
クラシック音楽史大系6:オペラの世紀(パンコンサーツ)
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」 2019バイロイト音楽祭公演BD
 2024.05.22 (水)  ワーグナーの「指環」を原典から考察する
 ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は上演に4夜、16時間も要するとてつもない大作です。かつてFMえどがわDJ時代に“下町のクラシックじいさん”といわれていた私は、CD、DVDを各4セットづつを所有、何度か見聴きしてはいますが、とてもその全貌を把握できてはおりませぬ。とそんな折、Brownie K氏から無声映画「ニーベルンゲン」第1部「ジークフリート」と第2部「クリームヒルトの復讐」BDを借りることができました。これはワーグナーが「指環」を作る原典となったゲルマンの叙事詩を映画化した1924年ドイツの作品。陰謀渦巻く心理描写、愛憎心理の葛藤等が、深遠な古代ゲルマンの森、不気味な洞窟、絢爛たるニーベルンゲンの財宝、壮麗な宮殿、迫力ある戦闘シーンなどの映像共々、見事なリアリティで描かれており、活き活きとした活弁とも相まって、4時間40分、まさに釘付け。ドイツ文化の底力を感じさせられました。
 見終わって、5月22日はワーグナーの誕生日でもあるし、今月の「クラ未知」は「指環」を取り上げるしかないな と思うに至りました。

 ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」4部作は1848年に構想して1874年に完成。1876年、ワーグナーの理想を実現するためバイエルン国王ルートヴィヒUが莫大な国費を費やして建設したバイロイト祝祭劇場で初演されました。
 台本を書くにあたって、ワーグナーが参考にしたのはゲルマンの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」と北欧神話「エッダ」「ヴォルスンガサガ」、そしてギリシャ悲劇です。ギリシャ悲劇はその構成に影響を与えており、序夜「ラインの黄金」〜第1夜「ワルキューレ」〜第2夜「ジークフリート」〜第3夜「神々の黄昏」という“三部”構成は、アイスキュロスの悲劇「オレステイア」三部作に倣ったものといわれています。一方、「ニーベルンゲンの歌」、「エッダ」、「ヴォルスンガサガ」は作劇上の礎となったもの。ここではその概要を考察します。

(1)ニーベルンゲンの歌

 「ニーベルンゲンの歌」の成立は13世紀初頭。元になったのは口承で伝えられてきたニーベルンゲン伝説です。映画「ニーベルンゲン」に沿って内容を把握しておきましょう。なおニーベルンゲンはニーベルングの複数形。太字はワーグナーの「指環」と関連あるワードです。

第1部:ジークフリート
 ジークムント王の息子ジークフリートは天下無双の強者。ニーベルンゲン族の鍛冶屋ミーメの下で刀鍛冶の修行に励んでいる。技術を習得し強い剣を作り上げたジークフリートは、ミーメの仲間の古老から聞いた絶世の美女クリームヒルトを娶ろうと、ブルグント国の都ウォルムスに向かう。クリームヒルトはライン河畔に栄えるブルグント国の王女なのだ。
 途中、火を噴く龍ハーフナーが現れ行く手を遮るが、これを自ら鍛いた剣で倒す。そこで龍の返り血を口にしたジークフリートは小鳥の言葉がわかるようになる。更にその先で、ニーベルンゲン族の首領アルベリヒに命を狙われるが逆襲、名剣バムルング隠れ兜、そしてニーベルンゲンの莫大な財宝を手に入れる。
 ウォルムスに着いて、城主グンター王にその妹クリームヒルトとの結婚を申し出る。するとグンターは、自分にも結婚したい相手がいる。その名はブルンヒルト。アイスランドの王女にして男勝りの強者。彼女との間をとりもってくれれば妹をやる と言う。ジークフリートは承諾し二人はアイスランドに出向く。結婚を申し込むグンターにブルンヒルトは「私との戦いに勝てば」との条件を出す。まともじゃ勝てないグンターは、ジークフリートに、「隠れ兜を使い自分の身代わりになって戦ってくれ」と頼む、結果、これに勝ったグンター(といっても実際に勝ったのはジークフリートだが)とブルンヒルト、そしてジークフリートとクリームヒルトの二組の結婚式が行われる。
 グンター王にはハーゲンという叔父が後見人としてついている。ブルンヒルトは、実は自分を破ったのは隠れ兜で身を隠したジークフリートだと知ってしまう。彼女はハーゲンに「ジークフリートを殺してほしい」と懇願する。不死身のジークフリートにも唯一の弱点があることを知るハーゲンは、狩りのあと、そこを突きジークフリートを殺す。最愛の夫を殺されたクリームヒルトはハーゲンへの復讐を誓い、ブルンヒルトは自害する。

第2部:クリームヒルトの復讐
 強大なフン帝国の王アッチラは寡婦となったクリームヒルトを妃に求めている。ところが、ジークフリートを失ったクリームヒルトには人を愛する気持ちを失っており、夫ジークフリートを殺したハーゲンへの復讐心だけが残っていた。そして、その目的を達するためアッチラ王との結婚を承諾する。
 フン帝国に入ったクリームヒルトは、アッチラ王に「麗しき女王よ、わが命を女王に捧げる」と誓わせる。そして、ハーゲンを含むブルグントの一族を帝国に招き入れフン族との戦闘に巻き込む。そこでハーゲンを撃ち、本懐を遂げる。その過程でクリームヒルトも死に、グンターはじめすべての登場人物は死に絶えてしまう。
(2)北欧神話「エッダ」

 「エッダ」は数百年にわたる歌謡の集成として9〜13世紀に成立した北欧神話を伝える文書群のこと。この源流にはニーベルンゲン伝説が含まれているため、「ニーベルンゲンの歌」と重複する部分が少なからずあります。本章では、谷口幸男著:「エッダとサガ〜北欧古典への案内」を参考に、ワーグナーの「指環」との関連を探ります。まずは参考資料の要約を下記。関連ワードは太字で記します。

<神話から>
 世界の中心には主神オーディンが居座る。神族と巨人族の間には争いが絶えず、戦場で死んだ兵士たちはオーディンの城ヴァルハラに祀られる。ヴァルハラに仕える乙女はワルキューレと呼ばれ、武装して馬にまたがり空中を駈ける。彼女たちは、オーディンの意志に従って闘い、戦死者をヴァルハラに運ぶ。オーディンにはがいて、世界で見聞したことを主人に報告する役割を果たす。オーディンはまたルーン文字の神でもある。彼の妻はフリッグといい、女神の中でもっともすぐれている。フリッグに次いですぐれた女神はフレイヤである。
 神々の宝は巨人から生まれた小人族が作る。彼らのスキルは高く、作る武器や装飾品は見事なものだ。泉のほとりには3人のノルニルがいて、彼女たちは人間だけでなく神々の運命をも司る。
 あるときオーディンは巨人族が所有する知恵と知識が詰まった泉を飲ませてもらうため自身の眼を抵当として巨人族に渡した。オーディンはまた常にグングニルという最強の槍を持ち歩く。この槍こそオーディンの力の象徴なのだ。
 ロキという巨人がいる。仕事はできるが狡賢さも天下一だ。オーディンは巨人の鍛冶屋に砦の建設を命ずる。鍛冶屋は超強力な馬を使って1年半で完成させるから、報酬にフレイヤをくれという。オーディンこれを認める。工事が始まる。馬の能力は絶大で、期日までに完成しそうになる。これは大変ということで、オーディンはロキに取り決めを無効にするよう働きかけよと命ずる。ロキは牝馬を使って馬を遠ざけ完成を遅らせた。結果フレイヤを差し出さずに済んだ。

 神々〜巨人〜人間の間には争いが絶えず、遂に世界は終末を迎える。そして海中から新しい大地が浮かび上がる。

<英雄伝説から>
 シグムント王の息子にヘルギがいる。ヘルギは抗争が絶えないフンディング族を制圧、フンディング殺しの異名を取った。
 シグムント王にはもう一人、気高く武勇にすぐれたシグルスという名の息子がいる。幼少期を母の再婚先で過ごし、小人のレギンの養育を受ける。レギンはグラムという名剣を鍛えてシグルスに与え、グラニという立派な馬も授ける。レギンの兄ファーヴニルが父の遺産を独り占めし龍の姿に身を変えているので、レギンはシグルスに協力を促し龍の住み家に出向く。シグルスは見事龍を刺し殺す。その時、龍(ファーヴニル)の血が口に入ると鳥の言葉がわかるようになる。鳥が話すには「レギンは兄に復讐するためにお前を唆したのだ」と。これを聞いて憤ったシグルスはレギンを刺し殺しファーヴニルの財宝を手中にする。
 国への帰り道、山上に大きな光焔を見る。そこに進むと、火の中に武装した兵士が横たわっている。兜を外すとそれは女で、ブリュンヒルドというワルキューレだった。オーディンに背いたため焔に囲まれ眠らされていたのだ。彼女は恐れを知らぬ者としか結婚しないと心に決めていた。火焔を乗り越えて起こしてくれたシグルスこそ自分に相応しいと感じ、二人は結婚の約束をする。
 シグルスはギョーキ王のもとを訪れる。王には息子グンナルホグニと娘グズルーンがいる。シグルスはグズルーンの母に忘れ薬を飲まされ、ブリュンヒルドとの婚約を忘れさせられてしまう。そしてグズルーンを妻にすることに。
 グンナルはブリュンヒルドとの結婚を願っており、シグルスとグズルーン、ホグニは求婚の旅に同行する。結果、ブリュンヒルドはグンナルの妻となるも、彼女の思いはシグルスに向いたまま。そして、ブリュンヒルドとグズルーンの口論から事態は暗転、悲劇的結末へと向かう。
(3)ヴォルスンガサガ

 「エッダ」が北ゲルマン人に伝えられた神話〜英雄伝説を歌謡形式による韻文で書かれたものであるのに対し、「サガ」は、12〜13世紀、アイスランド人が様々な伝承を散文で記したものです。「指環」との関連でいえば、その中の「ヴォルスンガサガ」が最も深いつながりがあります。源流にニーベルンゲン伝説があるので、「エッダ」と内容的に重複する部分も多いのですが、散文で書かれていることもあって、「エッダ」にはない補足的記述も一部見受けられます。ここではその補足部分を「指環」と関連するものに限って考察しておきます。
「エッダ」に登場するシグムント王に至る系譜は、オーディンを起点にシギ〜レリル〜ヴォルスング〜シグムントという流れになる。シグムントにはシグニューという妹がいる。ある宴席に、見知らぬ片目の老人が現れ、木の幹に剣を刺し、「これを引き抜いた者にこの並びない名剣を与える」と言い残して消える。老人がオーディンであることは言うまでもない。一同みな試みるも誰一人抜けず、シグムントだけが抜くことができた。その後、シグムントとシグニューは床を一つにしてシンフィヨトリという男の子を生むことになる。
 以上、ワーグナーが参考にしたといわれるゲルマン/北欧の伝承作品群を見てきましたが、ワーグナーはこれらを「指環」においてどう取り込み料理したか? 次回から「指環」4作に沿って考察しようと思います。

<参考資料>
映画「ニーベルンゲン」第1部 第2部(フリッツ・ラング監督1924独)BD
「エッダとサガ〜北欧古典への案内」 谷口幸男著(新潮社)
最新「名曲解説全集」第19巻「歌劇U」(音楽之友社)
ワーグナー:楽劇「ニーベルンゲンの指環」全4作(小学館「魅惑のオペラ」)DVD-BOOK



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2014/11/10 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究9〜バッハ不易流行その1「対位法」
2014/10/25 (土)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究8〜「旅に病んで」の深意
2014/10/10 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究7〜果てしなき不易流行
2014/09/025 (木)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究6〜「おくのほそ道」に「不易流行」を探る
2014/09/05 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究5〜芭蕉における「不易流行」の概念
2014/08/05 (火)  Jiijiのつぶやき〜葉加瀬太郎 間違いだらけの音楽講座
2014/07/25 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート 番外編〜出た!蓮實重彦のとんでもない論評
2014/07/20 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート6 〜 ドイツ優勝と大会総括
2014/07/13 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート5 〜 最後に綻んだファンハール采配
2014/07/11 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート4 〜 戦犯はダビドルイス
2014/07/08 (火)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート3 〜 ベスト4出揃う
2014/06/30 (月)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート2 〜 グループリーグに異変
2014/06/26 (木)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート1 〜 日本終戦にJiijiの提言
2014/06/25 (水)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究4〜「おくのほそ道」に見る対置 Contraposition の妙
2014/06/10 (火)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究3〜J.S.バッハ シンメトリーの意識
2014/05/25 (日)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究2〜「ゴールドベルク変奏曲」に見る宇宙観
2014/05/05 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究1〜芭蕉の宇宙観
2014/04/15 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する7〜ある作曲家の論評
2014/04/01 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する6〜拝啓 神山典士様
2014/03/20 (木)  Jiijiのつぶやき〜春なのに
2014/03/11 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する5〜フィクサーXの存在
2014/03/01 (土)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する「最終回」〜長木誠司はとんでもない
2014/02/25 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する3〜許光俊の前代未聞の推奨文
2014/02/20 (木)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する2〜本当に知らなかったのか?
2014/02/16 (日)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する1〜空前絶後の事件
2014/02/10 (月)  Jiiijiのつぶやき〜春呼ぶクラシック
2014/01/25 (土)  クラウディオ・アバド追悼
2014/01/20 (月)  Jiijiのつぶやき〜年末年始エンタメ編
2014/01/10 (金)  Jiijiのつぶやき〜年末年始スポーツ編
2013/12/15 (日)  閑話窮題〜GlobalクリスマスSongs
2013/12/05 (木)  晩秋断章〜今年の秋は回帰がテーマ
2013/11/20 (水)  上原浩治&ボストンの奇跡2〜「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」
2013/11/10 (日)  上原浩治&ボストンの奇跡1〜それは「スイート・キャロライン」から始まった
2013/10/31 (木)  閑話窮題〜天野祐吉さん死す
2013/10/25 (金)  閑話窮題〜「ベートーヴェンとベートホーフェン」
2013/10/10 (木)  私的「下山事件論」最終回〜時代に殺された下山定則
2013/09/15 (日)  閑話窮題〜突然の贈りもの
2013/09/02 (月)  閑話窮題〜「風立ちぬ」を観て
2013/08/25 (日)  私的「下山事件論」5〜事件当時の情勢
2013/08/10 (土)  私的「下山事件論」4〜矢板玄の話 後編
2013/07/22 (月)  閑話窮題〜映画「25年目の弦楽四重奏」を見て
2013/07/20 (土)  閑話窮題〜サプライズ連発のコンサート
2013/07/17 (水)  閑話窮題〜ソムリエ検定奮闘記
2013/07/10 (水)  私的「下山事件論」3〜矢板玄の話 前編
2013/06/25 (火)  私的「下山事件論」2〜犯人の行動を追う
2013/06/10 (月)  私的「下山事件論」1〜事件の本質とあらまし
2013/05/25 (日)  閑話窮題〜風薫る季節に
2013/05/15 (木)  「魔笛」と高山右近12〜松本清張「モーツァルトの伯楽」を読んで
2013/04/25 (木)  「魔笛」と高山右近11〜高山右近は「魔笛」の中に生きている
2013/04/15 (月)  閑話窮題〜今年のマスターズは二日目15番タイガーの第3打で終わった
2013/04/10 (水)  「魔笛」と高山右近10〜モーツァルトに高山右近が降臨!
2013/03/25 (月)  「魔笛」と高山右近9〜ウィーンでの再会と「魔笛」への着手
2013/03/10 (日)  「魔笛」と高山右近8〜フリーメイソンへの入会
2013/02/25 (月)  「魔笛」と高山右近7〜人生最大の転機
2013/02/10 (日)  「魔笛」と高山右近6〜ミュンヘンからウィーンへ
2013/01/31 (木)  「魔笛」と高山右近5〜シカネーダーという男
2013/01/25 (金)  「魔笛」と高山右近4〜モーツァルトとウコンドノの接点
2012/12/25 (火)  「魔笛」と高山右近3〜「ティトス・ウコンドノ」という宗教劇
2012/12/10 (月)  「魔笛」と高山右近2〜モーツァルトとミヒャエル・ハイドン
2012/11/25 (日)  「魔笛」と高山右近1〜タミーノは高山右近か?
2012/11/05 (月)  大滝秀治最後の台詞に健さんが涙したわけ
2012/10/25 (木)  リアリズムよりリリシズム〜「あなたへ」を観て読んで
2012/10/20 (土)  村上春樹と尖閣問題とノーベル賞と そして、山中教授
2012/10/05 (金)  尖閣問題の真相〜それは田中角栄の不用意な発言から始まった
2012/09/05 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックE
2012/08/25 (日)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックD
2012/08/15 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックC
2012/08/13 (月)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックB
2012/08/10 (金)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックA
2012/08/07 (火)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピック@
2012/07/25 (水)  私の中の中島みゆき5−中島みゆきは“演歌”である4
2012/07/10 (火)  私の中の中島みゆき4−中島みゆきは"演歌"である3
2012/06/27 (水)  閑話窮題〜波動スピーカーなど
2012/05/31 (木)  閑話窮題〜風薫る季節の中で
2012/05/20 (日)  私の中の中島みゆき3−中島みゆきは"演歌"である2
2012/05/10 (木)  私の中の中島みゆき2−中島みゆきは"演歌"である1
2012/04/20 (金)  私の中の中島みゆき1〜私的一元的中島みゆき論
2012/04/05 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥D 記者会見発言の真相
2012/03/20 (火)  痛快!芥川賞作家田中慎弥C 作家としての石原慎太郎
2012/03/10 (土)  痛快!芥川賞作家田中慎弥B「共喰い」を読んで
2012/03/01 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥A「ポトスライムの舟」VS「神様のいない日本シリーズ」
2012/02/20 (月)  慎んで「懺悔の記」
2012/02/15 (水)  緊急臨発!もう一つの芥川賞作品を考証する
2012/02/10 (金)  痛快!芥川賞作家田中慎弥@「神様のいない日本シリーズ」の面白さ
2012/02/05 (日)  FM放送
2012/01/25 (水)  小澤征爾 日本の宝
2012/01/10 (火)  閑話窮題〜2012新年雑感
2011/12/25 (日)  閑話窮題〜2011今年も暮れ行く
2011/12/05 (月)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション31−40
2011/11/25 (金)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション21−30
2011/11/15 (火)  閑話窮題〜リュウちゃんのシューベルト超天才論
2011/10/31 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション11−20
2011/10/25 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション1−10
2011/10/13 (木)  「究極」ついに完成
2011/09/30 (金)  「ローレライ」は「春の夢」から生まれた
2011/09/20 (火)  「白鳥の歌」から
2011/09/11 (日)  「冬の旅」から
2011/08/31 (水)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻2
2011/08/25 (木)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻1
2011/08/15 (月)  「さよならドビュッシー」を読んで〜協和音の巻
2011/07/31 (日)  閑話窮題〜とんでもないサッカー論
2011/07/25 (月)  閑話窮題〜「なでしこジャパン」クラ未知的総括
2011/07/10 (日)  閑話窮題〜「シェエラザード」にまつわるエトセトラ
2011/06/30 (木)  大震災断章[9] 圧巻の長渕 剛
2011/06/20 (月)  大震災断章[8]届け!音楽の力〜海外アーティスト編
2011/06/05 (日)  大震災断章[7]赤子の特権で踊り捧げる
2011/05/25 (水)  大震災断章[6]自民党よ、あんたに言われる筋合いはない
2011/05/20 (金)  大震災断章[5]菅直人を戴く不幸
2011/05/12 (木)  大震災断章[番外編] 東北に捧げるアダージョ
2011/05/09 (月)  大震災断章[4] エネルギー政策の正しいあり方
2011/04/30 (土)  大震災断章[3] 原発をどうする
2011/04/25 (月)  大震災断章[2] 原発事故は人災
2011/04/20 (水)  大震災断章[1] 想定外は恥
 2011/03/23 (水)  シューベルト歌曲の森へ21 なんてったって「冬の旅」14
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる 最終回>
 2011/03/10 (木)  シューベルト歌曲の森へS なんてったって「冬の旅」13
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その4>
 2011/02/25 (金)  シューベルト歌曲の森へR なんてったって「冬の旅」12
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その3>
 2011/02/15 (火)  シューベルト歌曲の森へQ なんてったって「冬の旅」11
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その2>
 2011/02/05 (土)  シューベルト歌曲の森へP なんてったって「冬の旅」10
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その1>
2011/01/20 (木)  閑話窮題――地デジ化の効用
2011/01/10 (月)  シューベルト歌曲の森へO なんてったって「冬の旅」9<いかがなものかこの本は!>
 2010/12/25 (土)  シューベルト歌曲の森へN なんてったって「冬の旅」8
<「最後の一葉」は「最後の希望」がべース の根拠>
2010/12/10 (金)  シューベルト歌曲の森へM なんてったって「冬の旅」7 <シューベルトとオー・ヘンリー>
2010/11/29 (月)  シューベルト歌曲の森へL なんてったって「冬の旅」6 <「冬の旅」は僕の分身>
2010/11/19 (金)  シューベルト歌曲の森へKなんてったって「冬の旅」5 <これですべてが読めた!>
2010/11/10 (水)  シューベルト歌曲の森へJなんてったって「冬の旅」4 <シュ−ベルト戸惑う>
2010/10/28 (木)  シューベルト歌曲の森へIなんてったって「冬の旅」3 <ミュラー順番決定の真相>
2010/10/18 (月)  シューベルト歌曲の森へHなんてったって「冬の旅」 2<「勇気」におけるミュラーの事情>
2010/10/07 (木)  シューベルト歌曲の森へGなんてったって「冬の旅」1<曲順の謎>
2010/09/22 (水)  シューベルト歌曲の森へF法隆寺のリュウちゃん6「すぐに権威にならないで!」
2010/09/03 (金)  シューベルト歌曲の森へE法隆寺のリュウちゃん5「拙速は禁物」
2010/08/23 (月)  シューベルト歌曲の森へD法隆寺のリュウちゃん4「野ばら」は鈍感?
2010/08/09 (月)  シューベルト歌曲の森へC〜フェリシティ・ロット
2010/07/26 (月)  シューベルト歌曲の森へB〜法隆寺のリュウちゃん3「ひとまず 3大歌曲集以外へ」
2010/07/15 (木)  シューベルト歌曲の森へA〜法隆寺のリュウちゃん2「涙の雨」
2010/07/07 (水)  シューベルト歌曲の森へ@〜法隆寺のリュウちゃん1「三大歌曲集」
2010/06/24 (木)  シューベルト歌曲の森へ〜プロローグ
2010/06/07 (月)  シューベルト1828年の奇跡19〜キルケゴールとシューベルトA
2010/05/30 (日)  シューベルト1828年の奇跡18〜キルケゴールとシューベルト@
2010/05/10 (月)  ショパン生誕200年 独断と偏見による究極のコンピレーション
2010/04/22 (木)  シューベルト1828年の奇跡17〜ブレンデルとポリーニ3
2010/04/14 (水)  映画「ドン・ジョヴァンニ」〜天才劇作家とモーツァルトの出会い を観て
2010/04/09 (金)  シューベルト1828年の奇跡16〜ブレンデルとポリーニ2
2010/03/31 (水)  シューベルト1828年の奇跡15〜ブレンデルとポリーニ1
2010/03/21 (日)  シューベルト1828年の奇跡14〜内田光子の凄いシューベルト2
2010/03/11 (木)  シューベルト1828年の奇跡13〜内田光子の凄いシューベルト1
2010/02/24 (水)  シューベルト1828年の奇跡12〜アインシュタイン、その引用の謎C
2010/02/15 (月)  シューベルト1828年の奇跡11〜アインシュタイン、その引用の謎B
2010/01/29 (金)  シューベルト1828年の奇跡10〜アインシュタイン、その引用の謎A
2010/01/20 (水)  シューベルト1828年の奇跡9〜アインシュタイン、その引用の謎@
2010/01/11 (月)  永ちゃんとリヒテル
2009/12/25 (金)  シューベルト1828年の奇跡8〜ミサ曲第6番
2009/12/09 (水)  シューベルト1828年の奇跡7〜駒からはなれよ
2009/11/26 (木)  シューベルト1828年の奇跡6〜「グレート、この偉大な交響曲」E
2009/11/16 (月)  シューベルト1828年の奇跡5〜「グレート、この偉大な交響曲」D
2009/11/06 (金)  シューベルト1828年の奇跡4〜「グレート、この偉大な交響曲」C
2009/10/26 (月)  シューベルト1828年の奇跡3〜「グレート、この偉大な交響曲」B
2009/10/17 (土)  シューベルト1828年の奇跡2〜「グレート、この偉大な交響曲」A
2009/10/07 (水)  シューベルト1828年の奇跡1〜「グレート、この偉大な交響曲」@
2009/09/29 (火)  Romanceへの誘いG「ブラームスはワルツが好き?」
2009/09/21 (月)  Romanceへの誘いF「シューベルトはソナタが苦手?」その5
2009/09/16 (水)  Romanceへの誘いE「シューベルトはソナタが苦手?」その4
2009/08/31 (月)  Romanceへの誘いD「シューベルトはソナタが苦手?」その3
2009/08/24 (月)  Romanceへの誘いC「シューベルトはソナタが苦手?」その2
2009/08/17 (月)  Romanceへの誘いB「シューベルトはソナタが苦手?」その1
2009/08/03 (月)  Romanceへの誘いA「ドメニコ・スカルラッティとJ.S.バッハは同期の桜」
2009/07/20 (月)  Romanceへの誘い@「セザール・フランク二つの顔」
2009/06/29 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――3
2009/06/22 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――2
2009/06/15 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――1
2009/06/01 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――最終回
2009/05/25 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――8
2009/05/18 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――7
2009/05/11 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――6
2009/04/27 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――5
2009/04/13 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――4
2009/04/06 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――3
2009/03/30 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――2
2009/03/21 (土)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――1
2009/03/09 (月)  閑話窮題――チャイ5
2009/03/02 (月)  閑話窮題――「フィガロの結婚」真実の姿 後日談
2009/02/23 (月)  閑話窮題――もう一度吉田秀和を斬る
2009/02/09 (月)  生誕100年私的カラヤン考――最終章
2009/02/02 (月)  生誕100年私的カラヤン考――7
2009/01/26 (月)  生誕100年私的カラヤン考――6
2009/01/19 (月)  生誕100年私的カラヤン考――5
2009/01/12 (月)  生誕100年私的カラヤン考――4
2008/12/29 (月)  生誕100年私的カラヤン考――3
2008/12/22 (月)  生誕100年私的カラヤン考――2
2008/12/15 (月)  生誕100年私的カラヤン考――1
2008/12/01 (月)  ケネディ追悼 モーツァルト「レクイエム」に纏わる石井宏と五味康祐
2008/11/17 (月)  石井宏のこの一枚を聴け!
2008/11/10 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――7=エピローグ
2008/10/27 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――6
2008/10/13 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――5
2008/10/06 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――4
2008/09/29 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――3
2008/09/22 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――2
2008/09/15 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――1
2008/09/01 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 2
2008/08/25 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 1
2008/08/11 (月)  二つのバイロイトの第九――エピローグ
2008/08/04 (月)  二つのバイロイトの第九――その2
2008/07/29 (火)  二つのバイロイトの第九――その1
2008/07/14 (月)  続・ハイフェッツの再来
2008/07/07 (月)  ハイフェッツの再来
2008/06/30 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――最終回
2008/06/23 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――6
2008/06/16 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――5
2008/06/09 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――4
2008/06/02 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――3
2008/05/26 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――2
2008/05/21 (水)  「フィガロの結婚」〜3人の風雲児が産んだ奇跡の傑作
2008/05/19 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――1
2008/05/12 (月)  クラシック 未知との遭遇――プロローグ

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