クラシック 未知との遭遇
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2026/02/28 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編1〜クラシック音楽編
2026/01/27 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 後編

2025/12/18 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 前編

2025/11/30 (日)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還
2025/10/27 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜トーマス・リンリー
2025/09/30 (火)  石井宏先生の想い出〜モーツァルトのことなど
2025/08/31 (日)  百人一首を離れて〜遊行柳を尋ね、西行/芭蕉を偲ぶ
2025/07/31 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 7〜My Favorite 4 果てしなき望郷の歌
2025/06/26 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 6〜My Favorite 3 長嶋茂雄さん追悼
2025/05/27 (火)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 5〜My Favorite 2
2025/04/25 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 4〜My Favorite 1
2025/03/28 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 3〜僧たちの歌
2025/02/21 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 2〜天皇の歌を中心に
2025/01/20 (月)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 1〜大河ドラマ「光る君へ」女流歌人の歌

2008年5月〜2024年12月のコラム
 2026.02.28 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編1〜クラシック音楽編
 なんとまあ、今回の総選挙、高市自民、予想外の圧勝でした。結果は素直に受け止めるしかないですが、どう考えても物事を深く見つめているとは思えないオバハンたちの「早苗ちゃん」なんか言うオシ活もどきの行動を見ると、わが国の危うさに心安らかざる思いがいたします。さらには、裏金議員のほぼ全員の当選は、一体、この国の倫理観はどうなっちゃったんだ の危惧を禁じ得ません。
 そんなモヤモヤ感を、一時的にでも、払拭してくれたのは“りくりゅう”ペア一夜復活の逆転劇でした。失敗にメンタルが崩壊した龍一くんを見事に立ち直らせた璃来ちゃん。そして、二人力を合わせて最高の結果を実現させる。この絆の力こそ人間が生きる上で最も大切で尊いもの。近年、これほど爽やかで感動的な出来事は稀でした。
 では気分も新たに、今回はK364番外編とまいりましょう。

 今回のテーマは、2023年8月16日「クラ未知」でも取り上げた「黄金の音型」(以下黄金型)です。なんとこれがモーツァルト「協奏交響曲」K364第2楽章に含まれているのです。当該箇所はヴァイオリンで示される第1主題の第3音からの“ミラシド”。このヒット曲のDNAともいえる音型がモーツァルトを起点に世界の音楽に拡がっている状況を取り上げてみましょう。まずは、クラシック音楽編です。

(1)ヴァイオリン協奏曲の名曲2題

*チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 第2楽章
 チャイコフスキーはモーツァルトの音楽が大好きでした。少年時代に聴いた弦楽五重奏曲 ト短調 K516に涙したという逸話を聞いたことがあります。そんなチャイコフスキーが、“愛する”ヴァイオリニスト ヨシフ・コーテクと一緒に作った傑作が、ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 です。第2楽章冒頭に出現するメイン・テーマ。このメランコリックな旋律が正真正銘「黄金型」なのです。

*メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 第1楽章
 冒頭、わずかの序奏後に現れるヴァイオリン・ソロは「ミラシド」音形ではありません。が、ミ・ラ・シ・ドの4音から成り立っています。これは「黄金型」の変形といえるでしょう。このロマンティックな名曲は、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーと共に4大ヴァイオリン協奏曲という向きもあります。
 RCAのクラシック制作のレジェンド黒川昌満氏が、1960年代に編成したヤッシャ・ハイフェッツ奏でるメンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(いうところのメンチャイ)にサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」を加えた徳用盤は、評論家の顰蹙を買いながらも、大ベストセラーとなりました。入社したての私は、新橋の商品倉庫で、この豪華版の重たいレコードを毎日セッセと出荷したものです。この商品番号SX2002のLP盤こそ「黄金型」3大名曲だったんですね。

(2)チェコの2大名曲

*スメタナ作曲「モルダウ」>
 チェコ国民学派の祖スメタナの交響詩「モルダウ」の主題は「黄金型」そのものです。この曲は連作交響詩「わが祖国」の第2曲。二つの水源から流れ出す大河の一滴が次第に大きくなり、民族の祝宴の踊り〜聖ヨハネの急流〜ビシェフラト(高い城)を経てプラハ市内に流れ込みエルベ川に合流するまでを描く描写性豊かな名曲です。
 「わが祖国」は高い城〜モルダウ〜シャールカ〜ボヘミアの森と草原より〜ターボル〜ブラニークの6曲からなり、ボヘミア(チェコ)の神話、風土、歴史を描いています。毎年行われる「プラハの春音楽祭」は、スメタナの命日である5月12日、チェコ・フィルハーモニーが演奏するこの曲によって幕が開きます。

*ドヴォルザーク作曲:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」第4楽章
 ドヴォルザークは、1892年、新設されたナショナル音楽院の院長としてニューヨークに招かれます。祖国愛の強い彼は最初この要請に躊躇しますが、結果的に受諾しました。その理由は? SL大好き人間だったドヴォルザークがSL先進国アメリカに興味を示したことも一因といわれています。アメリカでは、1869年、大陸横断鉄道が開通していました。ドヴォルザークは、暇を見つけては、グランドセントラル駅あたりに通っていたものと思われます。
 アメリカ滞在中、ドヴォルザークがよく立ち寄ったのがアイオワ州スピルヴィルでした。ここは美しい自然に囲まれたチェコ移民の街。黒人やインディアンの旋律に触発されたドヴォルザークは故国ボヘミアのような街スピルヴィルで交響曲「新世界より」を書き上げました。第4楽章の冒頭、まるで驀進するSLのような力強く勇壮な旋律が「黄金型」なのです。

(3)フランスと北欧

*フォーレ作曲:夢のあとに
 やさしい眼差し 澄み切った声 君の姿を幸福な気持ちで夢見ていた
 だが 夢が目覚めたときのはかなさよ
 夜よ あの夢を返してくれ 戻ってくれ輝かしき人よ 神聖なる夜よ

 こんな世界を歌ったフォーレの歌曲「夢のあとに」はまごうことなき「黄金型」です。美しさと儚さを高貴なヴェールが覆う。この崇高さこそがフォーレの音楽の特質です。「夢のあとに」は、「シシリエンヌ」(ペレアスとメリザンド)、「おお、イエズスよ」(レクイエム)と並ぶフォーレ畢生の名旋律です。詩の精神が、どこか吉田美奈子歌う「夢で逢えたら」(大瀧詠一 詞曲)に似ているのも親しみが持てますね。
 「夢のあとに」は、ドラマ「北の国から95“秘密“」のラスト近く、不倫駆け落ちした蛍(中島朋子)を五郎(田中邦衛)が根室・落石を尋ねる場面で、インストゥルメンタル編曲音源が使われていました。雪降りしきる荒涼とした太平洋を背景に流れる「夢のあとに」の旋律。そこに佇む父と娘。娘に「何をしようとおれは味方だから」と言う五郎さんの台詞にいたく心打たれたものです。そんな五郎の崇高さがフォーレの精神と重なり合い、「夢の中に」の「黄金型」がこの場面を印象的に包んでいました。

*グリーグ作曲「ソルヴェイグの歌」
 北欧ノルウェーの作曲家グリーグは文豪イプセンから戯曲「ペール・ギュント」の付帯音楽の依頼を受けます。当初、自分の音楽性は抒情的で小品向き、劇的な曲調が求められる音楽は無理 と二の足を踏んだようです。ところが、やってみると、劇性豊かな傑作が完成。そこには一皮むけたグリーグがいました。チャレンジは人間を進化させるのです。
 主人公ペールは空想家、ほら吹き、野心家、こわいもの知らず、女好き、冒険好き。早い話がとんでもないハチャメチャ人間。では彼の冒険譚を下記。
ペールにはソルヴェイグという純情な恋人がいる。なのに、とある結婚式に列席したあとその花嫁イングリッドを略奪する。が、すぐに彼女に飽きたペールは冒険の旅に。山の魔王の宮殿では魔王の娘に言い寄られるがこれは振り払い、いったん故郷に戻り、母オーゼの死を看取る。ペール、心機一転アフリカはモロッコに出向き大金を得る。が、盗賊に全財産を巻きあげられ、今度はアラビアに。そこで酋長の娘アニトラに心奪われるが、ソルヴェイグが夢に現れ、里心が芽生える。次に行ったのがゴールドラッシュに沸くカリフォルニア。そこで金鉱を掘り当て巨万の富を得る。ここでペールは「俺ももう年だ 故郷へ帰ろう」と船を出すが難破して稼いだ大金はすべてパー。やっとのことで故郷に戻ったペールを待っていたのは年老いたソルヴェイグだった。ペールはソルヴェイグの腕の中で安らかな眠りにつく。
 幾多のペールの冒険に付けたグリーグ渾身の劇的音楽の中で、清らかで優しい一服の清涼剤的な歌こそが「ソルヴェイグの歌」。これまさに典型的な「黄金型」なのです。

 本日はこれから、“メンチャイ”ヴァイオリン協奏曲〜スメタナ「モルダウ」〜ドヴォルザーク「新世界より」〜フォーレ「夢のあとに」〜グリーグ「ソルヴェイグの歌」を「黄金型」を確認しながら夫々極上の演奏で楽しみたいと思います。このコンテンツは後記しておきます。

<参考CD>
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
  ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn) ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団(1959)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
  クリスティアン・フェラス(Vn) カラヤン指揮:ベルリン・フィルハーモニー(1965)
スメタナ:連作交響詩 「わが祖国より」
  クーベリック指揮:チェコ・フィルハーモニー(1991)
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」
  ドラティ:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1980)
フォーレ:「夢のあとに」
  バーバラ・ヘンドリクス(S) ミシェル・ダルベルト(P)(1988)
グリーグ:「ソルヴェイグの歌」
  イルゼ・ホルヴェク(S) ビーチャム:ロイヤル・フィルハーモニー(1957)
 2026.01.27 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 後編
 あっと驚く、いきなり解散。高市さん、支持率の高いうちに衆院の過半数233越えを確定し、面倒な連立相手日本維新の会の影響力を削ぐなどして政権基盤の安定化を目論んだ。この選挙は「高市早苗が総理大臣でよいのかどうかの審判」ときた。思い上がりも甚だしい。進退を賭けると言いながら、目標を「与党で過半数」と最低限に設定する狡猾さ。裏金議員を公認し政治と金の話は封印する。物価高の元凶・円安と長期金利上昇の主因である「責任ある積極財政」とやらには、市場任せと逃げるだけ。置いてきぼりの農政改革。国民に迷惑かけまくりの「台湾有事」発言には言及なし。アホな有権者が作る高支持率を背景に「信なくば立たず」と内容スカスカの記者会見を総括したのであります。
 一方、対抗馬の一番手・新党「中道革新連合」は、選挙目当ての野合との批判に「太田光さんに言われたように、暴走族となって革ジャンを着て全国を走り回ります」のアホ発言。斉藤さん、野田さん、大丈夫!?
 いずれにしても、選挙は水物。結果は2月8日にならないと正直判りませんが、高市さんの得意満面姿だけは見たくない。そんな高市総理に一つだけお願い。
 あなたの不用意な「台湾有事」発言で困っている人が数多います。レアアースを生活の糧にしている製造業者、中国への輸出を当てにしていた漁業関係者等々。彼らの生活はそれこそ“存立機危機事態”。中国の我が国への輸出規制は物価高の一つの因でもあるわけで、まずは国民に謝ってから選挙戦を始めてくださいな。発言を撤回しろとは言いませんが、国民への謝罪は必須です。言いたいことはゴマンとありますが今回はこのあたりで止めておきましょう。
 では、本題に入ります。

<「協奏交響曲 変ホ長調 K364」と大司教ヒエロニムス・コロレドに関する石井宏先生の見解>

 1779年夏。マンハイム〜パリ旅行後の作品、例えば「協奏交響曲 変ロ長調 K364」は悲しみを伴った異例の音楽である。その音の襞は複雑であり、モーツァルトの脱出の願いが鬱積して、音楽の裏側に密着しているようにもみえる。

 この第2楽章―アンダンテハ短調―は実に異例の曲である。そもそもモーツァルトの音楽は、いついかなるときでも、音楽としての秩序を保っており、どんなに激しい情動が楽譜の裏に姿を見せるようなことがあったとしても、表向きは流麗な音楽として身を律しているものなのである。
 ところがこの第2楽章ハ短調のアンダンテは別物だ。詠嘆の旋律がむき出しに歌われるようにできており、まるでチャイコフスキーの音楽のようだ。ここでは明らかに、モーツァルトは常軌を逸しており、本来の高貴な美学を忘れて一つの醜態を演じている。まるでそれは、やむにやまれぬ内面の感情の渦が、露骨に、醇化の度を経ずに、そのまま音楽の中に吐き出されているように見える。これまさに“モーツァルトの崩壊”である。このような異常な作品を書かなければならなかったところに、モーツァルトのこの夏のつらさがあったといっていいだろう。

 これにはなにかほかにも理由があっただろうか。譜を分析してみればすぐにわかることだが、このアンダンテでは(のみならずどの楽章でも)、独奏のヴァイオリンとヴィオラは、まさに異様なほどに対等に扱われている。ヴァイオリンの歌った歌は必ずヴィオラが寸分たがわず歌い返し、二つの楽器はまるでその価値と身分の対等さを競うかのように同じ楽型に固執し、カデンツァに至っても、ヴィオラはあくまでも同じ能力があることを主張して、相手とぴったり同じ音型を繰り返して譲らない。二つの楽器の対等の競合に異常なほどの執着をみせているといえる。これをヴィオラの側から見れば、ヴァイオリン奏者に対する競合の意思というか、敵意というか、なにかの執念を以て追い回しているようにもみえる。

 ここで思い出されるのは、モーツァルトが大司教と衝突をしてザルツブルクを飛び出す前の年に、大司教はブルネッティという一人のイタリア人のヴァイオリニストを高い給料で雇い入れていたという事実である。これは、従順なブルネッティを重用して、不遜なモーツァルト父子に当てつけをするという意図と考えられる。

 大司教ヒエロニムス・コロレドは自分でも多少ヴァイオリンをいじるが、難しい箇所は弾けないといった程度のアマチュアだった。この大司教が、遊びで弦楽四重奏を、ほかの楽士をまじえてやるとき、ブルネッティを自分の隣に坐らせて、難所にさしかかると、隣のブルネッティを促して弾かせる。易しそうな箇所にくるとまた大司教が弾く・・・・・といった痴態を演じるのだ。
 もちろんモーツァルトは頼まれてもそんな阿呆な役目は引き受けなかったはず。こんな拷問のような役目をしてくれる部下は可愛いわけで、大司教の“ご寵愛”は自然とブルネッティの方に傾いていく。モーツァルトを差し置いて、ブルネッティという凡庸なヴァイオリン弾きを重用する大司教に対し、彼の不満は頂点に達していたはずである。

 そういう事情を踏まえてこの異様なほどにヴィオラがヴァイオリンに敵意を燃やす協奏交響曲をみるとき、この初演のときのヴァイオリン奏者はブルネッティで、ヴィオラの奏者はモーツァルトではなかったかと思えてくるのである。
 この曲の初演に際し、ヴァイオリンをイタリア人が弾き、ヴィオラをモーツァルトが弾いたという記録はない。しかし、この露骨な書法はその推論を可能にしてくれるものである。ならば、このヴィオラは、あくまでヴァイオリンを愚弄するために書かれたものと考えてもいいだろう。そして、この闘志は、大司教に対する挑戦でなくてなんであろう。実は、ブルネッティの給料はモーツァルトの5倍以上だったといわれている。彼は今、大司教の眼前で、自分がそのイタリア人と同じ、あるいはそれ以上の腕前であることを立証してみせたかった ということである。
 ちなみにここではモーツァルトは、ヴィオラを半音高く調弦してこの曲を弾いている。のちにパガニーニも、この演奏効果を上げるために自分の楽器を半音高く調弦したことは知られているが、モーツァルトも、ヴィオラのくすんだ響きを、明るいヴァイオリンの響きに負けないように半音高く調弦して張り合ったのであろう。

 以上は石井宏著「素顔のモーツァルト」の該当部分を短縮転載したものです。なんと見事な推論でしょうか。モーツァルトの状況から心情の洞察そして楽曲への投影。まるで推理小説のような面白さです。巷間、我が国モーツァルト研究の第一人者は海老澤敏氏、と位置付けられているようですが、石井宏先生こそその座に相応しいと私は考えます。

 K364は、第3楽章で、それまでの憂鬱さを忘れたかのように、屈託なく軽快に曲を締めます。これはまるで、モーツァルトが、「何も解っちゃいない大司教にはかまっちゃおれん。自分は我が道を行く」という吹っ切れた心情のように聞こえます。事実彼は、1781年、歌劇「イドメネオ」をミュンヘンで上演大成功を収め、その勢いを駆ってウィーンで独り立ち、結婚の報告に実家に戻った以外は、二度とザルツブルクへの地を踏むことはありませんでした。「協奏交響曲 変ホ長調 K354」は、モーツァルトの、故郷ザルツブルクへの決別の楽曲だったのかもしれません。

<参考資料>
素顔のモーツァルト(石井宏著 中公文庫)
 2025.12.18 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 前編
 なに トランプ大統領に平和賞? まさかと思ったら、頭にFIFAの文字がついていました。国際サッカー連盟FIFAがトランプ氏に「平和賞」を与えたということです。平和には人権尊重と民主主義の精神が欠かせません。人権を無視し力で異論を封じる。こんなトランプのような非人道的独裁者に「平和賞」は最も遠い存在なはず。一体FIFAはどうなっちゃった? ちょっと違うんじゃない? 来年のサッカーワールドカップを楽しみにしている身にとって、どこか違和感を感じる今回の出来事ではありました。では、本題に入りましょう。

<「協奏交響曲 変ホ長調 K364」に関する記述の数々>

 モーツァルトにちょっと奇妙な名曲があります。「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)変ホ長調」K364。何が奇妙かといえば、ヴァイオリン・パートとオーケストラ・パートは変ホ長調で書かれているが、ヴィオラ・パートはニ長調これをそのまま演奏すれば終始不協和音で音楽になりません。ではどうするか?ヴィオラの弦を半音分締めて実質変ホ長調にすればよいのです。モーツァルトはなぜこんな面倒なことをしたのでしょうか?

 モーツァルトの名著として定評あるメイナード・ソロモン「モーツァルト」では、第2楽章 Andante におけるヴァイオリンとヴィオラの掛け合いにおける仔細な追跡があるものの、ヴィオラの調性についての記述はありません。
 独自の視点でモーツァルト像を提示したロビンス・ランドン著「モーツァルト」〜音楽における天才の役割 ではこの楽曲そのものへの言及がない。

 海老澤敏著「超越の響き〜モーツァルトの作品世界」の該当部分は以下の通り。
 この「協奏交響曲」と直訳される「サンフォニー・コンセルタント」のジャンルは、とりわけパリで、あるいはマンハイムやロンドンでも、もてはやされていた特別なジャンルで、大都会、とりわけ音楽都市の大きな演奏空間で紹介されるものであった。その「サンフォニー・コンセルタント」という大都会用の協奏作品を、モーツァルトは、1779年の夏か秋の初めに、ふたたび意に添えぬまま立ち帰ってきたザルツブルクの町で試みるのだ。「ヴァイオリンとヴィオラのためのサンフォニー・コンセルタント 変ホ長調 K364」がそれである。
 モーツァルトはなぜ、このような曲を、ザルツブルクで書いたのか。モーツァルトは、すでにコンツェルトマイスターのポストを擲っていたのではなかったか。自分でヴァイオリンを受け持って弾き、名技を披露する必要もない。あれほど軽蔑もしていたザルツブルクの人たちに、今さらパリの流行楽曲をコピーして聴かせたところでなにになろう。
 “巷間”、日本におけるモーツァルト研究の第一人者 とされる海老澤敏氏も、ヴィオラの調性にはまったく触れていません。記述はほぼモーツァルトがこの楽曲を書いた状況に限られています。文中のキイ・ワードは、「マンハイム」、「パリ」、「意に添えぬまま立ち帰ってきたザルツブルク」、「すでにコンツェルトマイスターのポストを擲っていた」etc・・・・・これらは、前後の文章を省いたため解り難さは否めません。しかるに、これらの事象は、今後の展開上、踏まえておく必要があるので、氏の記述を若干補足しておきます。

 ザルツブルク宮廷は大司教ヒエロニムス・コロレド(1737-1812)が治めるローマ教皇直轄地です。モーツァルトはここの宮廷オーケストラの楽士として働いていました。雇用主は当然コロレド大司教ということになります。ところがこの労使関係は最悪・・・・・長い休暇を取ってヨーロッパ各地に出かけ、宮廷に顔を出し、コンサートを開く。稀代の天才が行うコンサートやオペラの上演は喝采の連続。ザルツブルクに帰ってきても、下手ながらヴァイオリンを弾く大司教の相手など、おかしくってやっていられない。更には「ここにはオペラのできるまともな劇場がない」と不満をあらわにする・・・・・大司教にとって、才能を鼻にかけ言うことを聞かないモーツァルトは、不愉快極まりない存在だった訳です。
 もともとイタリア人贔屓の大司教はイタリア人演奏者を優遇。1776年、ブルネッティというヴァイオリン奏者をイタリアから招き入れ、モーツァルトの上に据えてしまいます。ヴァイオリンの技量においても誰にも引けを取らないとの自負があるモーツァルトの自尊心は大いに傷つけられます。なんとか1年間頑張ってみたものの、1777年8月、遂に我慢の限界に達し辞表を提出。そのときのモーツァルトの手紙。
大司教様
神より才能を授けられている身としては それを活かすのが務めと存じます
私の辞職をお許しください
 これじゃ、大司教もカチンときますわね。そんなことは意に介さず、モーツァルトは1777年9月、職探しの旅に出ます。今回はいつもの父の代わりに母が同行。これがミュンヘン〜アウクスブルク〜マンハイムパリへの旅でした。
 大見栄を切って意気揚々と旅に出たものの、職探しは思うに任せず、パリでは最愛の母を亡くすなど旅は散々の結果。1779年1月、傷心のモーツァルトは止む無くザルツブルクに帰ってきます。無職となったモーツァルトに、父は大司教に頼み込み、なんとか宮廷オルガニストの地位を確保してやります。コンサート・マスターに戻ることはありませんでした。そして、1779年の夏ごろ作曲したのが「協奏交響曲 変ホ長調 K364」でした。

 次に、「協奏交響曲 変ホ長調 K364」のMy所有CDのライナーノーツを検証します。

柴田龍一氏 ハイフェッツVn プリムローズVla ソロモン指揮:RCAビクター交響楽団(RCA)
      ジュッリVn ジュランナVla パドヴァ室内管弦楽団(Claves)
家里和夫氏 グリュミオーVn ベリッチャVla ワールト指揮:コンセルトヘボウ管弦楽団(DECCA)
満津岡信育氏 ラウテンバッハーVn コッホVla ケルテス指揮:バンベルク交響楽団(DENON)
三浦淳史氏 パールマンVn ズーカーマンVla メータ指揮:イスラエル・フィル(DG)

 唯一満津岡氏だけが「調性」に触れています。その記述を下記。
2つの独奏楽器の内、ヴィオラを半音低いニ長調で記譜し、半音高く調弦して演奏することによって、響きにはりと輝きを与える書法が採られており、ヴァイオリンとヴィオラが対等に渡りあいながら、楽曲が進んでゆく
 以上のように、「協奏交響曲変ホ長調 K364」の重要なポイントにして容易に判る特徴であるヴィオラの調性についての言及は、想像をはるかに超えたお寒いものでした。当然のことながら、この楽曲と大司教コロレドとの関連に関する記述も皆無です。

 ならば、いよいよ真打の登場です。その人の名は石井宏。先生の見解は2026年1月の「クラ未知」で紹介します。どうぞお楽しみに。では皆さま よいお年をお迎えください!

<参考資料>
モーツァルト (メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルト〜音楽における天才の役割 (ロビンス・ランドン著 石井宏訳 中公新書)
超越の響き〜モーツァルトの作品世界 (海老澤敏著 小学館)
 2025.11.30 (日)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還
<プロローグ>
 MLBワールドシリーズはドジャースの劇的勝利=二連覇で幕を閉じました。MVPは見事かつ献身的なピッチングでチームを勝利に導いた山本由伸投手。彼のフィジカル・トレーナー矢田修氏は、「来季はおーっと言うような球を投げるようになる」とさらなる進化を示唆しました。大谷翔平は3年連続4回目のナリーグシーズンMVPに輝きました。彼に残された勲章はサイ・ヤング賞と打撃三冠王でしょうか。二刀流が本格化したら同時達成も夢ではない!? あとはキャリアで、ベーブ・ルースの714本塁打と94勝にどれだけ迫れるか、バリー・ボンズのMVP7回を越えられるか といったところでしょうか。こんなすごい選手が日本人で同時代にいる。誇らしくも驚くべきことです。
 ワールドシリーズが終わってMLBロスの毎日ですが、私にはモーツァルトがいる。モーツァルトの音楽がある。石井先生の教えを紐解きながら、さらなる深みへ探求を進めてゆきたいと思います。
 今回は、モーツァルトのザルツブルク時代(1756−1781)の恩師ミヒャエル・ハイドンとの交流について考察します。

<ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還>

 ヨーゼフ・ハイドンの弟ミヒャエル(1737-1806)は1763年からザルツブルク宮廷オーケストラの楽長の地位にありました。副学長はレオポルト・モーツァルト。その息子ウォルフガングは1769年から無給のコンサートマスターを務めます。そんな関係から、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルト家は、互いに高い音楽知性の持ち主ということもあり、家族ぐるみの良好な付き合いをしています。因みに、ミヒャエル・ハイドンは、生涯ザルツブルクを離れることなく、この地で一生を終えています。

 ウォルフガングは1769年末に第1回のイタリア旅行に出発、1771年3月まで滞在しました。旅も終わりに近づいた1771年3月、パドヴァでアラゴーナ大公ジュゼッペ・ヒメネスから舞台劇の依頼を受けます。帰郷後の1771年夏、作曲に取り掛かります。テキストは「救われたベトゥーリア」。ピエトロ・メタスタージオが旧約聖書「コディットの書」から題材をとりイタリア語で書いた宗教劇の台本です。さあ、これをどう料理するか? まだ宗教作品に不慣れだったウォルフガングは父に相談したことでしょう。そのとき、そばにいた姉のナンネル、「去年、二人の留守中に、ハイドン先生が新作の宗教劇を上演しているわ」と弟に教えたのではないでしょうか。ならばと、ウォルフガングは何をおいてもとミヒャエル・ハイドンに教えを仰いだと思われます。
 ミヒャエル・ハイドンは、前年1770年8月31日、オラトリオ「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」をザルツブルクで上演していました。これは日本のキリシタン大名高山右近が主人公。秀吉/家康がモデルとされるショウグン様から「信仰を捨てよ、さもなくば死だ」と迫られるも、信仰を捨てずに死を選ぶ。しかし、彼の強固な信仰心が周囲に畏敬の念を抱かせ、死を免れ称賛を受けるという物語。
 当時、ヨーロッパのカトリックはプロテスタントの攻勢に危機感を抱き、この手のカトリック至上の物語の上演が数多行われていたようです。遠い異国にこんな立派なキリスト者がいる! 信仰のためには死をも恐れない高山右近は布教において格好の題材だったのでしょう。また細川ガラシャ主人公の舞台劇もあったようです。

 ウォルフガングは「キリスト者の忠誠」を参考にして初めての宗教劇「救われたベトゥーリア」を作曲するのですが、まずはその物語を下記。
イスラエルの小国ベトゥーリアは強大なアッシリアの軍に囲まれ水路を絶たれ壊滅寸前に追い込まれる。首長オツィーアは「臆病になるな 臆病は神への冒涜だ」と説くが、種族の長カ―プリと貴婦人アルミタールは「こんな状況でどんな希望があるというのか」と嘆き、打開策を示さないオツィーアを責める。オツィーアは「5日間援軍が来なければ降伏しよう」と決意する。
とそこに、美しくも気高いマッセの貞節な寡婦ジュディッタが登場。「アッシリアの軍に門を開けるとは何事ですか、私が乗り込みます」と言い放ち敵陣に向かう。
敵将ホロフェルネスの側近アルキオールは「ベトゥーリアの民は神に忠実。負けることはない」と和睦を進言するが、将の怒りを買い追放されベトゥーリアの陣に逃げてくる。オツィーアは「あなたのことは私が守る」と彼を受け容れる。
敵陣に乗り込んだジュディッタが戻り「私が敵将を殺した。敵軍は混乱して逃げ出した」と報告。ベトゥーリアは解放されたのである。この状況を見て、アルキオールは神の加護の力を感じ「アブラハムの神のみを信じる」と改宗を宣言。アルミタールとカープリは神を疑ったことを恥じ悔いる。
皆はジュディッタの勇敢な行動を称えるが、ジュディッタは「私への称賛は不要です。ただ神が導いてくださっただけですから」と叙唱。民衆は「偉大な神を称えよう」と賛辞の合唱を歌う。
 ここに付けたモーツァルトの音楽がなんとも凄い! 誠実な首長オツィーア、疑心暗鬼なアルミタール、勇敢なジュディッタ〜各々性格の違いを音楽が的確に表現する。敵将を殺す場面では不気味な、神を語る場面では敬虔な音楽等、状況に応じた楽想を紡ぎ出す。そして、終曲「偉大な神を称えよう」では比類なき感動を聞く者に与える。これが15歳の少年の為せる業なのか! 驚異としか言いようのない作曲術です。

 宗教劇「救われたベトゥーリア」K118の終曲「偉大な神を称えよう Lodi al gran Dio」にはミヒャエル・ハイドンの宗教劇「キリスト者の忠誠」の中の合唱曲「カンターテ・ドミノ」の旋律がそのまま引用されています。そしてまた、「救われたベトゥーリア」で描かれた異教からの改宗、「キリスト者の忠誠」に表された高山右近のキリスト者としての忠誠心は、カトリックの優位性を示す共通項ともいえるでしょう。

 ではここで、上記結論に至った過程を少々。きっかけは2013年初頭あたりの飲み会で、「モーツァルトとフリーメイソンの関係を知りたいなら、良い本があるよ」と石井先生に教えていただいたことでした。早速、勧められた「フリーメイスンとモーツァルト」(茅田俊一著 講談社現代新書)を購入。ひと通り読み終えたあと、そのあとがきに目を見張りました。その内容を下記。
私(著者)はザルツブルクでザルツブルク大学音楽学部のゲアハルト・クロル教授とヨハン・ミヒャエル・ハイドン協会の話をしていたが、その折、同教授から、ミヒャエル・ハイドンの宗教劇「キリスト者の忠誠」(ピエタス・クリスティアーナ)のコーラス「カンターテ・ドミノ」が、そのままモーツァルトのオラトリオ「救われたベトゥーリア」K118=74Cの終曲に転用されていることを聞かされた。
 これは実に興味深い記述 と感じたものの、自分自身で音として検証確認できなければ意味がありません。そこで直ちにコンテンツ探しに走ります。モーツァルトの方は映像商品がすぐに見つかり即購入。しかし、ミヒャエル・ハイドンの方は音も映像も全く見当たりません。それもそのはず、この作品、初演以来このかた、再演された記録がないようなのです。
 これじゃ検証不可能と半ばあきらめていた矢先、何気なくネットを見ていたら、「高山右近とぴっくす」なるサイトにぶつかりました。そこには「京都府南丹市で『キリスト者の忠誠』が上演された」との情報がありました。チャンス!とばかり主宰者の方にメールをしたところ、ドイツ人の学者シャウベッカー・デトロフ氏から堪能な日本語で電話をいただきました。その内容を下記。
私は、数年前、ザルツブルクのベネディクト修道院の屋根裏の資料室で「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」の楽譜を見つけました。台本を書いたのはフローリアン・ライヒスシーゲルというザルツブルク神学校の修辞学の教授でした。当時カトリック教会はプロテスタントの台頭に対抗するためドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ各地に神学校を多数創設しました。その時創設されたザルツブルク神学校は、ローマ教皇庁直轄の地ということもあり、カトリックの振興に殊更熱心でした。ライヒスシーゲル教授は、この目的のため、毎年、カトリックに関わる舞台劇を、卒業生と共に上演したのです。その1770年の出し物が「キリスト者の忠誠」で、作曲は、ザルツブルク宮廷楽長のミヒャエル・ハイドンに依頼しました。初演は、1770年8月31日、卒業式の日に行われました。
この作品は、初演以降再演されたという記録がなく、私はこれを高山右近の国日本で上演する決意を固めました。妻の歌手井尻有香と一緒にこのプロジェクトを進め、2002年12月1日、南丹市日吉町郷土資料館で232年ぶりの復活上演を果たしました。そのビデオがあるので是非ご覧になってください。お貸ししますよ。
 何たる情報と望外のご厚意! 感謝あるのみでした。VHSが届き、所有していたモーツァルトの「救われたベトゥーリア」と照合。「カンターテ・ドミノ」が両者に全く同じ音形で使われていたことを確認できた時の喜びは、自身の音楽研究の中でも格別に感動的な瞬間でした。

 「カンターテ・ドミノ」の旋律は「トーヌス・ペレグリーヌス」といわれる教会旋法の一つ。モーツァルトはミヒャエル・ハイドンから受け継いだこの旋法を忘れることなく持ち続け、1791年、最後の作品「レクイエムニ短調」K626の入祭文 Introitus のソプラノ・ソロ「主を褒め称え歌うにふさわしきはシオンなり Te decet hymunus, Deus in Sion」に転用します。未完のこの作品を補完したジュスマイヤーは、最終章「ルクス・エテルナ Lux aeterna」に、この部分を繰り返します。
 作家でオーディオの鬼才五味康祐は、名著「西方の音」の中で、「モーツァルトの『レクイエム』のソプラノが歌う『シオンにて賛歌を主に捧ぐるはふさわし、天主よ』ほどに敬虔で美しい詠唱を私は他に知らない」と述べています。この旋法は数多の人々に感銘を与えているのです。

 だが、話はこれで終わりません。ミヒャエル・ハイドンは亡くなる年、1806年、自身最後の作品「レクイエム変ロ長調」の「入祭文」と「最終章」に、なんと「トーヌス・ペデグリーヌス」をこちらも再度転用したのです。
 ミヒャエル・ハイドン「キリスト者の忠誠」→モーツァルト「救われたベトゥーリア」→「レクイエム ニ短調」→ミヒャエル・ハイドン「レクイエム変ロ長調」を繋いだ「トーヌス・ペデグリーヌス」の旋律。モーツァルトの生誕地でありミヒャエル・ハイドンの生涯の職場であったザルツブルク。そこで芽生え育まれた二つの精神が、時空を超え思いを寄せあう自他の中で呼応し合った、これは奇蹟の往還といえるのではないでしょうか。

<エピローグ>
 物価高が止まりません。高市政権の物価高対策は、「責任ある積極財政」などと銘打ってはいるものの、円安という根本原因に蓋をするバラマキ頼みのツケ刃。その効果は一時的。18兆3000億円という巨大補正予算は、財源の6割が赤字国債。財政悪化必至、風前の灯火の体。コレ、「無責任な放漫財政」と言い換えるべきでしょう。
 そこで必殺の替え歌を一つ。題して「みだれ上」。上は「カミ」と読んでください。その心はお上=国。それでは、美空ひばりの名曲「みだれ髪」のメロディーに乗せてどうぞ。

                    みだれ上
                 上のみだれに
 目をやれば
                 赤
字財政 風に舞う
                 肉屋
 魚 パンに米屋
                 どこもかしこも 物価が高い
                 無策高市 涙をしぼる

 おあとがよろしいようで。

<参考資料>
モーツァルト(メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルトとフリーメイスン(茅田俊一著 講談社現代新書)
西方の音(五味康祐著 新潮社)
DVDモーツァルト:宗教劇「救われたベトゥーリアK118」(ユニバ−サル)
  クリストフ・ポッペン指揮:ミュンヘン室内管弦楽団
VHSミヒャエル・ハイドン:宗教劇「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」
  シャウベッカー・デトルフ監修 南丹市日吉町資料館でのライブ映像
CDミヒャエル・ハイドン「レクイエム変ロ長調」 MH838
  Georg Grün指揮:マンハイム・カンマーフィルハーモニー
CDモーツァルト「レクイエムニ短調」K626
  カール・リヒター指揮:ミュンヘンバッハ管弦楽団&合唱団
 2025.10.27 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜トーマス・リンリー
 去る10月11日、石井宏先生を偲ぶ会に参加させていただきました。先生を囲んで音楽会、飲み会、ゴルフなど、約20年間、楽しくも有意義な時間を過ごしたお仲間もほぼ私一人になってしまいました。
 先生を紹介してくれた会社の先輩黒川昌満氏、先生最後の著作「モーツァルトはアマデウスではない」の出版に際し集英社との仲介をされた福島輝男氏、TBS時代からのお付き合いの中原教之氏らは、鬼籍に入られ、私より遥かに古いお付き合いの長谷川勝英氏は健康上の理由で参加できませんでした。ご一緒したのは、先生の奥様「松岡三恵コンサート」のCD復刻に多大なご尽力いただいた東洋化成 田中知樹営業本部長ただ一人でした。
 目黒のご自宅には数十人の方々が集まり、先生のご冥福を祈り、想い出話に花を咲かせました。御年94歳でこの盛況!? 亡くなる直前まで元気に活動を続けてこられた証です。
 娘の牧さんが「父が使用していたネクタイ、よかったらお持ちください」と仰るので、遠慮なくブルーのLANVINを一本いただきました。これから、あるかもしれない勝負日のために、大切にしたいと思います。
 石井先生といえばモーツァルト。「クラ未知」、しばらくは先生に教えていただいたモーツァルトの生涯と作品、彼に纏わる人物など、思い出すままに綴ってみたいと思います。まずはモーツァルトが認めた天才音楽家を。

モーツァルトと同世代 イギリスの天才少年 トーマス・リンリー

 モーツァルトの父レオポルトは、ウォルフガング5歳のとき、勝手に作曲する姿を見て、我が子の「天才」を確信。以来、本気になって英才教育を施すようになります。もちろんその中にはヨーロッパ各地の旅も含まれます。目的は息子の才能を伸ばすことでしたが、一方で、ザルツブルクの宮廷ヴァイオリニストというしがない地位からの飛躍という意図もありました。息子の才能を利用して、自身の立身出世を目論んだという訳ですね。
 レオポルトが我が子を最初の旅に連れ出したのは、モーツァルト6歳のとき。13歳までに、ミュンヘン〜ウィーン〜パリ〜ロンドン〜ブリュッセル〜アムステルダム等への旅を行い、あとは音楽の本場イタリアを残すのみとなりました。
 1769年12月、父と子は満を持してイタリアに旅立ちます。オーストリアからイタリアへ渡るには難所ブレンナー峠を越えなければなりません。険しい山道を走る馬車の旅は13歳の少年にとって決して楽なものではなかったはず。しかし、モーツァルトは母への手紙に「最愛のママへ、僕の心は本当にうれしくてすっかりとろけそうです」と書いています。辛さよりも憧れが上回る。そんなワクワク感が伝ってきます。また、モーツァルトは後年、旅についてこう述べています〜「僕は断言しますが、旅をしない人はまったくあわれな人間です。凡庸な才能の人間は旅をしようとしまいと凡庸なままですが、優れた才能の人はいつも同じ場所にいればだめになります」。
 イタリアに入ったモーツァルトは、ロベレート〜ヴェローナ〜ミラノ〜ボローニャで公開コンサートやオペラの上演、また作曲上の研鑽を行うなど、充実の日々を過ごしたあと、ルネサンスの都フィレンツェにやってきます。そこで出会ったのがトーマス・リンリーでした。

 トーマス・リンリー(1756-1778)はイングランド出身の音楽家。作曲家の父のもとでヴァイオリンと作曲を学び、7歳のときにはブリストルで演奏会を開くなど神童としての名声を馳せていました。姉のエリザベス・アンと共にジョイント・コンサートも行っており、このあたり、姉ナンネルと一緒にコンサート・ツアーをしていたモーツァルトと重なるものがあります。1768年から1771年にかけてイタリアに赴き、フィレンツェのピエトロ・ナルディーニにヴァイオリンと作曲を師事しました。
 モーツァルトと出会ったのは1770年4月、フィレンツェの宮廷詩人の家でした。同い年の二人はすぐに意気投合、デュオを楽しみ、音楽への想いを語るなど、互いの才能を認め合い友情を深めてゆきました。しかし、モーツァルトは次の目的地ローマに向かうため、二人の逢瀬は一か月に満たないものでした。
 モーツァルトが旅立つ日、宿舎を訪れたリンリ―は彼に手紙を渡します。そこにはこう書かれていました。
 「とうとう君とお別れの日がやってきました。喜びは涙に変わるけど僕は再び君と会えることを願う。君の心から僕が消え去らないように、僕は君をずっと愛し続けるだろう」
 リンリ―はモーツァルトの乗った馬車をいつまでもいつまでも立ち尽くし見つめていたということです。旅の途中、その年の9月、今度はモーツァルトがフィレンツェのリンリ―に手紙を書きます。
 「友よ、僕が常に変わらぬ愛をもって存在することを信じてくれ」。

 イングランドに戻ったリンリ―は音楽家として顕著な活動を行います。作品は、劇音楽「テンペスト」、「シェイクスピアの魂への頌歌」、歌劇「ドゥエンナ」、オラトリオ「モーゼの歌」など多数あるのですが、シアター・ロイヤルの火災等で楽譜のほとんどが消失してしまいます。
 そして1778年の夏、リンリーはリンカンシャーのグリムズソープ城に滞在中、ボートの事故で溺死してしまいます。享年22歳、天才音楽家のあまりにも儚い一生でした。
 彼のことを、同時代のイングランドのテノール歌手マイケル・ケリー(1762-1826)は、こう惜しんでいます。「リンリ―は真の天才だった。もし、生きていれば、音楽界の最大の誉れの一人になっていただろう」。

 マイケル・ケリーは、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の初演(1786年5月)でドン・バジリオとドン・クルツィオの二役を演じるなどして、ウィーンに度々出かけモーツァルトも会っています。二人がトーマス・リンリーについてあれこれ話しただろうことは想像に難くありません。彼の言はモーツァルトの言と考えてもいいと思います。

 その後のイギリスにおいて、高名な作曲家といえば、エルガー、ディーリアス、ホルストあたりでしょうか。ドイツ、イタリアは言うに及ばず、フランス、ロシアなどに比べても、遥かに地味、見劣りすることは否めません。モーツァルトが認めた天才トーマス・リンリー。彼がもしもっと長生きしていたなら、英国の音楽事情はずっと豊かなものになっていたかもしれません。

 一言〜トーマス・リンリーを“イギリスのモーツァルト”と呼ぶ向きもあるようですが、これはいかにも陳腐に過ぎるでしょう。モーツァルトの前にモーツァルトなし、モーツァルトの後にモーツァルトなしです。でもまあ、キダ・タロー氏を“浪花のモーツァルト”というよりはマシでしょうか。

<参考文献>
少年モーツァルトの旅(石井宏著 音楽之友社)
モーツァルト(メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルトの手紙(高橋英郎 小学館)
LP「MICHAEL KELLY &MOZART」(DECCA)
NHK-BS毎日モーツァルト(2006年OA)
 2025.09.30 (火)  石井宏先生の想い出〜モーツァルトのことなど
 残暑のはず、なのに、いまだ猛暑極まる先月末、悲しい知らせが届きました。一人娘の牧さんから「父・石井宏は8月15日94歳にて永眠いたしました」。悲しさ、淋しさ、懐かしさ、感謝と様々な感情が錯綜して湧いてきます・・・・・どうぞ安らかにお眠りください。

 石井先生に初めてお会いしたのは2005年秋。翌年、モーツァルト生誕250年を控え、「That’s Mozart」なるRCA原盤によるモーツァルト名曲集を企画して、そのライナーノーツのお願いに閑静な目黒のご自宅に伺ったときでした。
 その数年前、「なかにし礼モーツァルト・コレクション」に書いていただいたときは、会社の先輩M.K.氏にお任せしたのでお会いしていませんでしたが、いただいた文章に衝撃を覚えていました。深い洞察力、構成の論理性、文体の軽妙さはこれまでお目にかかったことがない新鮮なものだったからです。
 子供のころからクラシック音楽に親しみ、「音楽の友」「レコード芸術」をガイドにLPレコード〜CDを多数蒐集してきた私でしたが、石井宏という名前にはあまり馴染みがありませんでした。先生は1930年生まれ。同世代の評論家には、宇野功芳、高崎保男、海老沢敏氏らが名を連ねます。そんな中でも、抜群の筆力を持つ石井先生がなぜメジャーな存在ではないのか?と訝ったものです。
 ご自宅のオーディオ装置は、スピーカーはJBL4341、そこに豊潤さを出すためUltra Supper Tweeterを付加するという、なかなかに凝ったものでした。ジャズに最適とされるJBLでクラシックを聴く〜オーディオ界の名匠瀬川冬樹氏のコンビネーションを想起させました。
 先生手作りの肴に田酒をいただきながら格別な音を聴き、音楽談議に花が咲く。まさに至福のひととき。気がつけば日付が変わっていました。

 そんな出会いをスタートに、先生とのお付き合いは、毎月の飲み会、ホームコース「東松苑ゴルフ倶楽部」でのゴルフなど、かなり濃密に推移しました。ゴルフの際は目黒駅付近で待ち合わせ、ナンバー1756(モーツァルトの生年)の愛車Eclipse Spyderに同乗させていただきました。
 その都度先生から、深遠な音楽の話、興味深いTBS時代のお仕事のこと、クラシック界の裏話、マスコミ論、政治への考察、ヨーロッパ文化、日本文化への言及など、話題は縦横に飛び交い、いつも話が尽きることがありませんでした。このようなお付き合いを通じて、自分として、なんとなく人間としてのレベルが向上してゆくような実感を覚えたものです。「クラシック未知との遭遇」を始めたのは2008年5月。先生とのお付き合いで「書く」という行為に興味を持ち、これがきっかけの一つになったことは間違いありません。
 今回は、先生との関りから演奏観を根底から変えることになったモーツァルトの名演奏について記そうと思います。

<石井宏が推すモーツァルトの名演>
 石井先生が推奨するモーツァルト名曲の名演奏は「モーツァルトベスト101」(石井宏編 新書館)の「石井宏のこの1枚を聴け!」コーナーにあります。選定する姿勢は凛として確固たるもの。世の演奏論でこれほどまでに説得力ある文章に出会ったことはありません。余人をもって代えがたしとはまさにこのことでしょう。ここは先生の推薦文(要約もあり)を軸に記させていただきます。

(1) シャーンドル・ヴェーグ指揮:ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ
  モーツァルト:セレナード、ディヴェルティメント集 (1986〜1990録音 CAPRICCIO)
1940年から50年代にかけてヴェーグ四重奏団を率いていたシャーンドル・ヴェーグが、引退後教鞭を執ったザルツブルクのモーツァルテウム音楽院の教師たちで組織したカメラータ・アカデミカを率いて録音したモーツァルトのセレナードやディヴェルティメントは16曲で6枚のCDに収められている。もし、モーツァルトのセレナードやディヴェルティメントが欲しいという方は、私はためらうことなくこの6枚のセットを推すものである。ことこのジャンルに関しては右顧左眄する必要は全くない。迷わずこのセットを買えばよいのである。
 「迷わずこのセットを買えばよいのである」。これほど単刀直入毅然たる推奨文にはお目にかかったことがありません。もう買うしかないと新宿TOWERレコードに飛んでいきCAPRICCIOの10枚組を購入しました。先生の推薦セットより数曲付加されたものでした。
 家で最初に聴いたのは「弦楽のためのディヴェルティメント ニ長調 K136」。CDプレイヤーのPlayボタンを押したとたん、活き活きした音の躍動が身体中を貫きます。それは感動を通り越して驚愕ともいえるものでした。全20数曲、すべてがこんな生命力と躍動感に満ちた演奏なのです。まさに石井宏氏の「迷わずこれを買えばよい」です。この方は信頼するに値する と感じた瞬間でした。

(2) クリフォード・カーゾン(ピアノ) ベンジャミン・ブリテン指揮:イギリス室内管弦楽団
  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466 (1970録音 LONDON)
サー・クリフォード・カーゾンはチェルビダッケ同様に録音嫌いであったため、“モーツァルト弾き”として称えられながら、そのディスクの数はひどく少ない。若いころは難曲や現代曲をバリバリと弾いていた彼は50歳を超えるころからモーツァルトを中心とする古典派に転向した。そして激しさも、天上的な静けさも、同時に内包させ、音楽の内的な緊張を弾き出すことのできる稀有なピアニストとなったのである。
  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595 (1970録音 LONDON)
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲は異常な曲である。ほとんど息を止めたような静謐な空間のみがあって時間がないような・・・・・。その世界をものの見事に弾き出しているのが、クリフォード・カーゾンの死後、追悼盤として発売されたこのディスクである。死の予感がある音楽。死の予感がある演奏。オーケストラの指揮はベンジャミン・ブリテン。この上なくすばらしい。
 K466については、お付き合いのあったなかにし礼さんがこう言っていました「モーツァルトの音楽はね、フリーメイソン入会後劇的に変わるんだよ。例えばピアノ協奏曲の第20番。この第1楽章の冒頭を聞いてごらん。音楽が沈むんだよ。ハイドンまでの音楽は浮遊するだけだったけれどモーツァルトは沈むんだ」。確かにその通りです。
 そして、石井先生推薦のカーゾン&ブリテン盤。第1楽章冒頭のオケ部分。61小節と64小節に現れるクレッシェンドの絶妙さ。この部分だけでもブリテンのセンスと凄さが覗われます。オケの導入が終わって静かに弾き出されるカーゾンのピアノの透明感。まるで黒水晶のような輝きです。
 K595は、随所にモーツァルトそのもののような愉悦感を漂わせたバックハウス盤と清澄そのもの彼岸の音楽が聞こえるこのカーゾン盤が双璧の名演奏でしょう。

 カーゾン&ブリテン盤はK466と595のカプリング。生前、石井先生からジャケットにサインをいただいたCDは私の宝物の一つです。

(3) シュティッヒ・ランダル「モーツァルト歌曲集」(1961録音 ACCORD)
モーツァルトの歌曲というと「エリーザベト・シュヴァルツコップ」(日本名エリザベート)なんてお答えになるのはどなたですか。そう、彼女の録音のピアノ(ギーゼキング)はすばらしいですね。でも、あの厚塗りのメイク術のような歌い方がほんとうにそれほど宣しいものですか。「私はうまいでしょう、歌唱技術ってこういうものよ」と歌っているようではありませんか。騙されたと思ってスティック=ランドール(シュティッヒ・ランダル)と聴き比べてください。
 これまたレコード評論に一石を投じるすさまじい文面です。巷で名演の誉れ高いシュワルツコップ&ギーゼキングの録音を一刀両断に斬って捨てる。こんな潔い文章は滅多にあるものではありません。これはもう聴いてみるしかないと今度は渋谷TOWERレコードで購入。モーツァルトの歌曲6曲を含む4枚組のセットでした。
 すみれ〜夕べの想い〜夢のすがた〜おいで、いとしのツィターよ〜春への憧れ〜クローエに〜別離の歌・・・・・なんという清澄さ。そして、漂う気品。不純なものを一切排してしかも冷たくならない穏やかな肌合い。これぞモーツァルトの世界と感じたものです。

 石井先生とのお付き合いは約20年に及びました。想い出は深く限りないものでした。今回記したモーツァルト/演奏評を始め、著作物、ゴルフ、グルメなどテーマ〜エピソードは尽きることがありません。これらについても順次述べさせていただきたいと思います。

<参考資料>
「モーツァルトベスト101」(石井宏編 新書館)
「なかにし礼 モーツァルト・コレクション」解説文(BMGファンハウス)
 2025.08.31 (日)  百人一首を離れて〜遊行柳を尋ね、西行/芭蕉を偲ぶ
 8月お盆の頃、うだるような暑さを逃れて、息子家族と共に那須に行ってきました。東京とは比較にならない涼しさです。那須は、息子が二拠点生活をすべく、昨年別荘を購入した地。内装DIYを習得した息子が、リビングや風呂場、ベランダなどアチコチに手を入れて、リフォームを完成。一年で、見違えるような姿に生まれ変わりました。なかなかヤルものです。
 那須といえば芦野の遊行柳。芦野は白河の関に通じる街道の要所。別荘からは車で30分、そう遠くはありません。滞在初日、家族5人を引き連れて、といっても、私の趣味に皆を従わせ、息子運転の車に同乗しただけですが、孫が俳句を詠むなど、みんな結構楽しみました。

 快晴の青空の下、眼前に緑一面田園風景が広がります。遊行庵という休憩所から標識に従って田んぼのあぜ道を歩くこと数分。偉丈夫堂々たる遊行柳が出迎えてくれました。これが、西行が佇んだ、芭蕉が立ち寄った、あの遊行柳なのか!感激で一瞬、目の前が霞んでしまいました。

 「遊行柳」には、「道の辺の柳」、「清水流るの柳」、「朽ち木の柳」などの別名があります。歴史を辿るとこれらの名の由来がわかってきます。

 西行法師(1118-1190)は、1143年26歳の時、第1回目の奥州行脚に出ます。奥州の入り口・白河の関を前に那須・芦野宿に立ち寄り、そこに立つ柳に身を寄せこんな歌を詠みます。

      道の辺に 清水流るる 柳かげ
               しばしとてこそ 立ちどまりつれ
<清教寺訳>
 道のほとり 清水が流れる脇に立つ柳の涼しい木陰に
 ほんの少しのつもりで立ち寄ったのに 思わす時を過ごしてしまいました

 「清水流るる」とあるので、小川か何かがあると思ったのですが、ありません。西行の時代にはあったのか、それとも、この柳は何代目かの柳ゆえ、西行の柳は別の場所にあったのかもしれません。いずれにしても、この柳の下にたたずんでいると、しばし暑さを忘れ気分も和らぎます。「道の辺の柳」と「清水流るる柳」という呼称は西行の歌が由来なのです。

 「朽ち木の柳」については、時宗の開祖一遍上人が、芦野巡化の折、使用の杖が根付いて巨木となり、これを「朽ち木の柳」と呼ぶようになった との伝承があります。

 箱根駅伝第8区にある遊行寺脇の登り坂は厳しい勾配のためコース屈指の難所として有名です。遊行寺は時宗の総本山。開祖一遍を初代として住職は代々遊行上人と呼ばれています。
 19代遊行上人(尊皓上人)は、東北への教化の途中、芦野を訪れます。そこに朽ちた柳の老木がありました。しばしその場にいると、柳の精が老翁となって現れます。これを見た上人は老翁を成仏へと誘いました。これも朽ち木のもう一つの言い伝えです。

 これらの伝承を基に、観世小次郎信光 (1450-1516) が作ったのが能「遊行柳」です。シテ(主役)は老翁にして柳の精。ワキ(脇役)は遊行上人。舞台は白河の関辺りに置き換えられています。
 柳の脇に謡曲(能の脚本)「遊行柳」の板札がありました・・・・・ひとりの老人が遊行上人を、西行法師が歌を詠んだという朽ちた柳に案内する。上人は老人に念仏を授けると老人は消え去る。夜更け頃、上人の前に柳の精の化身となった老翁が現れ、十念を得て成仏できると感謝の舞を舞う・・・・・幽玄夢幻、鮮やかな能世界の現出です。
 これで、「野辺の柳」、「清水流るる柳」、「朽ち木の柳」、「遊行柳」、すべてがつながりました。謡曲「遊行柳」は伝承の集大成ということになります。

 芦野の柳の集大成が謡曲「遊行柳」ならば、これを世間一般に広めたのは松尾芭蕉(1644-1694)でしょう。
 芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは元禄2年(1689年)3月27日(旧暦)、芦野に着いたのは4月20日でした。この年は、敬愛する西行法師の500回忌に当たり、芭蕉は当然このことを意識していたでしょうが、「おくのほそ道」草加の宿の項には、「ことし、元禄二年にや、奥羽長途の行脚、ただかりそめに思ひ立ちて」と あえて偶然を装っています。芭蕉らしいレトリックです。
 とはいえ、旅の目的の一つは西行法師の歌枕を辿ること。芦野の里にある西行法師の柳を訪ねることは、はなから心に決めていたことでしょう。そこで詠んだ芭蕉の句と前後文を現代語訳で下記。
西行法師が「清水流るる柳かげ」と歌に詠んだ有名な柳は芦野の里にあって、今は田のあぜ道に残っている ここの領主戸部なにがしが、「その柳をお見せしたい」などと、折にふれておっしゃっていたのを、当時それはいったいどのあたりにあるのだろうと思っていたが、ようやく今日こうして、その柳のかげに立ち寄ることになった

      田一枚 植えて立ち去る 柳かな

その昔、西行法師が立ち寄った柳の下で、しばし感慨にふけっているうちに、自分も早乙女たちにまじって田一枚を植える奉仕をした それは西行や亡き戸部殿に対する鎮魂の意味をこめた幻想だった やがて我にかえって、感無量の思いで柳のもとを立ち去ることにした
 田植えをしたのは芭蕉なのか村人なのか? そんな議論があるようですがそれはどちらでもいいでしょう。芭蕉が西行へのオマージュから、かの柳に留まり、しばし感慨にふけっていたのは間違いないところ。そして、西行の「立ちどまりつれ」を「立ち去る」と詠んで完結させるのです。500年の時空を超えた二人の交情。芭蕉のこの裁量こそ、涯てしないロマンといえるでしょう。

 柳の脇にはこの句の句碑がありました。出発前にこれを覚えた小学4年生の孫のYouくんは「これよく読めないね」と言いながら「田一枚・・
・・・」と音読していました。Youくんは、既にクラ未知に登場したRay
ちゃんの弟です。

 柳の向こうには上の宮というお社があって、Youくんが大鈴を鳴らしたら、なぜか小鈴が落ちてきました。そこで一句。

      夏休み 鐘を鳴らして 鈴ポロリ

 鳴らした鈴を鐘に置き換える。Youくん芭蕉並みの変換!じじバカかな? これを俳句投稿箱に入れて、みんな、遊行柳に別れを告げました。

 “柳”といえば、「柳よ、泣いておくれ」Willow Weep for Me が浮かびます。

   Willow weep for me 柳よ 私のために泣いておくれ
   Bend your branches down along the ground 地面に付くまで枝を垂らし
   and cover me Listen to my plea そして私を包み 私の願いを聞いておくれ

 恋を失った悲しさに、柳に泣いてほしいと願う失恋の歌です。作詞・作曲は女流作家アン・ロネル。ジャズのスタンダード・ナンバーだけに数多の録音がありますが、これを機会に、Brownie K氏に教示いただき、名演奏をいくつか聴いてみました。白眉はなんといってもビリー・ホリデイです。恋の相手がろくでもない男ばかりだったLADY DAY。そんな彼女の切ない思いが憑依したかのような迫真の「柳よ、泣いておくれ」。心打たれずにはいられません。

 柳の花言葉は「悲哀」Sadnessとか。日本と西洋では柳に違いがあるようですが、西行や芭蕉にひと時安らぎを与え、アメリカでは失恋者の悲しみに寄り添ってくれる。洋の東西を問わず、柳は慈愛の象徴なのかもしれません。

<参考資料>
 西行(白洲正子著 新潮文庫)
 おくのほそ道<全>(角川文庫)
 芦野宿 秋草木花 萬葉紀行(鏡正明 制作著作)
 2025.07.31 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 7〜My Favorite 4 果てしなき望郷の歌
 戦後80年。なんだかんだ頑張ってきた日本も、アチコチにガタが生じてきました。最大のガタツキは政治の混迷。政権与党は腐れきり、新興勢力はポピュリズムに走る。みんなが目先の受けに躍起となり、未来の危機には目をつぶる。こんな日本に誰がした!
 とまあ、小生も齢80、そうならないように、ガタの来た身体の総点検をすることにいたしました。胃カメラ、大腸内視鏡、肺のCTスキャン、咽喉の点検、脇腹/背中の痛み治療。頭はひとまず置いておきまして・・・
・・。
 私がこんな気になったのは、クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」の一節でした。Fase The Truth 真実と向き合う です。怖れず厭わず、真実と向き合うこと。この大切さをフレディ・マーキュリーから教わりました。だから、日本もしっかりと向き合ってほしい。1000兆を超す財政赤字、下落する国債の格付け、税制の抜本改革、格差是正、エネルギー問題、原発廃炉、汚染水、核廃棄物の処理、核兵器禁止条約への参加、アメリカ追従の外交、軍事費の増大、沖縄地位協定の是正、地球温暖化、少子高齢化、経済再生と構築、食糧自給、農政改革、被災地復興など 向き合うべき問題は多々あります。
 今夏の参院選、候補者はおしなべて受け狙いに走る。中長期的大局的な問題に取り組むのが良識の府・参議院のはず。なのに、聞こえてくるのは、真の原因を伏せた物価高対策、財政悪化を慮らない消費税廃止論、バラマキ?いやそうじゃない、政治を地方から中央へ、パンダを呼びますなど、これが参院選のマニュフェスト? 情けなし! 参議院は即刻廃止=一院制にすべきです。政治家の皆さん、目先の人気取りを止めて、本質に向き合ってくださいな。そう思う酷暑極まる此夏であります。

 今回の百人一首は、果てしなき望郷の想いが籠った安倍仲麿の歌を取り上げます。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
             三笠の山に 出でし月かも
<超訳>
 同じだよね・・・・・? 今ボクが長安の夜空で見ている月とむかし奈良の三笠山に
 出てる月、同じなんだよねぇ みんなとお別れは辛いけど 早く日本に帰りたいよ

<清教寺訳>
 大空遥か眺めると 月が輝いている それはまた
 懐かしい奈良の都 三笠山に出た月と同じなのだろうか

 安倍仲麿(698-770)が生きたのは奈良時代。16歳のとき、遣唐留学生として唐の都長安に。同行者には吉備真備がいた。学力優秀だった仲麿は科挙の試験に合格、時の皇帝玄宗に仕えることになります。玄宗に目をかけられた仲麿は、遣唐使の接待役など、要職を与えられました。唐に来てから35年、その間、吉備真備は日本に帰国しています。望郷の念消えやらぬ仲麻呂は遂に皇帝の許しを得て帰国することに。そのお別れの宴で詠んだのがこの歌でした。
 ところが、屋久島に向かった仲麻呂の船は暴風に遭って安南(今のベトナム)に漂着。やむなく陸地ずたいに唐に戻った仲麿は二度と日本の土を踏むことはありませんでした。彼の望郷の念はいかばかりだったでしょうか。この歌はまた、百人一首の中で、唯一、外国で詠まれた歌でもあります。

 望郷の歌(曲)は数々あります・・・・・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」、スメタナ:連作交響詩「我が祖国」、ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」より「我が想い金色の翼に乗って」、ワーグナー:歌劇「タンホイザー」より「巡礼の合唱」、ジョン・デンバー「故郷へ帰りたい」、カントリー曲「思い出のグリーングラス」、ビートルズ「ペニーレイン」、春日八郎「別れの一本杉」、三橋美智也「リンゴ村から」、北原謙二「ふるさとのはなしをしよう」、千昌夫「北国の春」、森進一「望郷」、北原ミレイ「石狩挽歌」、細川たかし「望郷じょんから」、中島みゆき「ホームにて」、長野県歌「信濃の国」など。
 そんな中、我が故郷の歌「信濃の国」は別格として、My Favorite No. 1 は「我が心のジョージア GEORGIA ON MY MIND」です。作詞:スチュアート・ゴレル、作曲:ホーギー・カーマイケル(1899-1981)のこの歌は1930年に作られました。
Gorgia Georgia The whole day through
ジョージア ジョージア 日長一日
Just an old sweet song Keeps Georgia on my mind
古くて甘いあの歌が ジョージアを想い出させてくれる
I said Georgia Georgia A song of you
ジョージア ジョージア 君の歌が
Comes as sweet and clear As moonlight through the pine
月の光が松の木の間から差し込むように 甘くはっきりと聴こえてくる
Other arms reach out to me Other eyes smile tenderly
他の人の腕が差し伸べられても 優しく微笑みかけられても
Still in peaceful dreams I see The road leads back to you
私は穏やかな夢の中で あなたへ続く道を辿る
I said Gorgia Georgia No peace I find
ジョージア ジョージア 私は安らぎを見出せない
Just an old sweet song Keeps Georgia on my mind
そんな時も 古くて甘いあの歌が いつも心に息づいている
 数年前、盟友 Brownie K 氏に「GEORGIA ON MY MIND」100% なるCDを作ってもらいました。全17曲 GEORGIA ON MY MIND ばかり〜レイ・チャールズ、ミルドレッド・ベイリー、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロング、ウィリー・ネルソン、ジョー・スタッフォード、ジャンゴ・ラインハルトなどなど、いずれ劣らぬ名唱/名演揃いです。夏の夜、静かに、これらの異なる GEORGIA ON MY MIND を嗜むのは格別の趣があります。
 最右翼はなんといってもレイ・チャールズ(1930-2004)でしょう。歌が誕生した1930年、ジョージアに生を受けた彼こそが「我が心のジョージア」のジャスト申し子と言えます。

 レイ・チャールズは、アトランティック時代、「旅立てジャック」「アンチェイン・マイ・ハート」「ホワット・アイ・セイ」などのビッグ・ヒットを飛ばした後、1960年、ABCへ移籍してリリースしたのが「我が心のジョージア」でした。それまでのR&Bゴスペル調とは違った趣のバラードは大ヒット。初のビルボードTOP100第1位に輝き、押しも押されもしないスーパー・スターとなりました。そんな彼に、1961年3月、事件が発生します。
 生まれ故郷ジョージア州オーガスタ、ペインカレッジでのコンサート。公民権法成立前、人種差別公然のアメリカ南部の、これは、客席が白人と黒人に分けられた所謂隔離公演でした。これを知ったレイは激怒。コンサートをキャンセル。白人プロモーター提訴。レイ、契約違反で敗訴。ジョージア州は彼の州内での活動を禁止しました。愛する故郷のこの仕打ちに、彼の胸の内はいかばかりだったでしょうか。
 レイは、その後、1962年、「愛さずにはいられない」のビッグ・ヒットを飛ばし、グラミー賞を数々受賞するなど顕著な活動を続けます。公民権法は、1963年、ワシントン大行進を経て、1964年、成立します。因みにマーティン・ルーサー・キング牧師とレイはジョージア州出身の同世代同士。そして、遂に、1979年、ジョージア州議会はレイに謝罪、活動禁止を解き、「我が心のジョージア」を州歌に制定します。レイ・チャールズ、8年越しの思いが叶った瞬間でした。

 レイ・チャールズが歌う「我が心のジョージア」も安倍仲麿が詠んだ「天の原・・・
・・」も懐かしくも切ない望郷の歌といえるでしょう。

<参考資料>>
小倉百人一首冊子
WEB-SITE レッツ百人一首
映画「Ray」DVD (ユニバーサル)
TBS-BS「Song To Soul〜我が心のジョージア」
 2025.06.26 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 6〜My Favorite 3 長嶋茂雄さん追悼
 6月13日の朝日新聞に「『ミスタープロ野球』なんという冒涜!」という、実に刺激的なタイトルの随想文が掲載されました。書いたのは私の大好き(?)な蓮實重彦氏(1936-)。この方、誰もが褒め称える快挙、例えば2011年のなでしこジャパンのWC制覇にも、「アメリカのモーガンの先制ゴールには美学があったが澤穂希の同点ゴールには美しさがない」などと、思いもよらないケチをつける。2016年、三島由紀夫賞受賞の際には、「こんな受賞、はた迷惑。まったく喜んではいない。80歳の私にこんな賞を与えるのは日本の文化にとって実に嘆かわしいこと」などと皮肉タップリの弁。では、その長嶋茂雄追悼の辞を要約します。
6月4日付のさる日刊紙に「長嶋茂雄さん死去」の8文字が横組みの白ヌキで印刷され、その脇に「ミスタープロ野球」という大きな活字が縦組みで読みとれる。嗚呼、なんという事実の歪曲!なんという死者への冒涜! 亡き長嶋氏と同じ昭和11年生まれで当年89歳になるこのわたくしが断言しておくが、読売巨人軍に入団してプロとして歩み始める以前の長嶋氏は、すでに東京六大学リーグの選手時代から、神宮球場のスーパースターだった。どうしてマスメディアはその厳粛な事実を無視できるのか。
 なんのことはない。長嶋茂雄はミスター“プロ野球”なんかじゃない。既に東京六大学でのスーパースターだった。お前たち、知らないのか。てなことですかね。それにしても「ミスタープロ野球」という世間周知の代名詞を「事実の歪曲、死者への冒涜」と決めつける。なんとユニークな人でしょう。
6月4日、巨人軍はロッテとの試合に臨んだ。この試合は長嶋氏の追悼試合だった。私はその惨めたらしさ死者に対する冒涜を読み取って立腹した。いつものビジターのユニホームの袖に黒い喪章をつけただけでゲームに臨む監督やコーチ、選手たちを見て、そんな恰好で死者が本当に喜ぶとでも思っているのか とひたすら怒り狂った。一世紀に一度あるかないかの好機なのだから、喪章などひっぺがし、全員が背番号3で背中を飾った特殊なユニホームを晴れやかにまとって試合に臨むべきと考えたからだ。それこそ永久欠番「3」のまたとない利用法というものではないか。合衆国の大リーグなら、必ずそうしたはずである。わたくしは、またしても、令和日本の後進性を心底から嘆いた。
 長嶋さんが亡くなったのは6月3日。その翌日の試合に臨んだ巨人軍は、全員背番号「3」の特別仕立てのユニホームで試合すべきだ・・・・・とひたすら怒り狂う。訃報直後の試合。新しく誂える時間はないでしょうに。ここは、喪章で何が悪いのか。しかもそこにアメリカに対する日本の後進性を見て取って心底嘆く。先生、あれこれ怒り狂っていたら、体に悪いんじゃありませんか。
 要はこの方、自分はお前さんたちとはモノの見方が違うんだ ということを示したい人一倍承認欲求の強い人なんでしょうね。物事を斜に人を下に覗る偏屈ジイさん。そこで私が命名いたしましょう。「斜見覗下彦」さん。
 マスコミが”ミスタープロ野球“長嶋茂雄の存在の大きさをこぞって称賛する中、こんな言い様でしか死者を追悼できない彼のスタイル。まさに唯一無二。でもこれこそが蓮實氏のミスターへのオマージュなのかもしれません。

 枕が長くなりました。今月は、無理矢理長嶋茂雄にかこつけて、2首を取り上げましょう。

(1) 藤原道綱母の嘆きの歌

歎きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
          いかに久しき ものとかは知る
<超訳>
 ぜんぜんわかってないよね あなたを待つ夜の長さも 私の寂しい気持ちも

 作者は藤原道綱の母寧子(936?-995)。平安時代の生活様式がわかる貴重な作品「蜻蛉日記」の作者です。大河ドラマ「光る君へ」では財前直見さんが演じていました。
 寧子は藤原兼家の妾。久しぶりにやってきた夫になかなか戸を開けず、翌朝、萎んだ菊の花を添えて送った歌がコレ。ぜんぜん自分のところに来てくれない恨みつらみを強烈に示したわけです。拗ねて恨んで自己表現。もっと私の良さをわかってよ という強烈な承認欲求。どこか蓮實のジイさんに似ているような。

<清教寺訳>
 歎きながら 一人寝る夜が明けるまでの間は どんなに長いものなのか
 あなたわかっているの わかってないでしょうね

(2) 紀友則の名歌

ひさかたの 光のどけき 春の日に
          しづ心なく 花の散るらむ
<超訳>
 どーして、そんなに急いで散っちゃう?
 いい天気だよ 一緒に日向ぼっこしようよ

 作者の紀友則(845?-907)は、宮内権少輔・紀有友の子で「土佐日記」の著者紀貫之のいとこ。40歳にしてやっと官位についたのんびり屋の官人で歌人。
 のどかな春の日にあわだだしく散ってゆく桜の花。やさしさに包まれた世界の中に、散らねばならない人の世の哀愁〜真理を感じさせます。大らかな明るさとスピーディーなあわただしさ。「ひさかたの」は光、空、日、月、星の枕詞。まさにミスターにピッタリではありませんか。

 何を隠そう私も、ご多分に漏れず、長嶋茂雄の大ファンでした。会社をサボって引退式を見に行った社の先輩M.K氏ほどではありませんが。
 1957年11月3日、立教大学の長嶋が当時の六大学新記録8号ホームランを打ちました。小学6年生だった私は、模型キットの店「少年の店」のテレビに映る、長嶋の跳ねるようにダイヤモンドを一周する姿を食い入るように見つめたものです。なんというダイナミックな躍動感! これが私の長嶋茂雄初体験でした。それからというもの、事あるごとに長嶋さんを追いかけました。無論、長野の田舎少年、テレビで見るだけではありましたが。
 1958年、巨人軍に入団、私は中学1年生。長嶋プロデビューの日、国鉄スワローズの金田正一投手から4打席4三振を喫した光景は自宅のテレビで見ました。その年の日本シリーズ。長嶋の活躍で巨人はハナから3連勝。ところがそこから神様・仏様・稲尾様の超人的な活躍で日本一は西鉄ライオンズの手に。その毎日の試合は学校帰りの電気店の店頭のテレビで見たものです。当時の日本シリーズはすべてデイ・ゲームでしたから。
 1959年6月25日、天覧試合のサヨナラ本塁打もリアル・タイムで見ています。そのころ、毎朝、新聞で打撃成績を確認、巨人が負けても長嶋さんがヒットを打っていればゴキゲンでした。
 そんな大好きだった長嶋さんはもういない。淋しい限りです。謹んでご冥福をお祈りいたします。

<清教寺訳>は長嶋節で
 もうどうなんでしょう 春の日差し陽光ですか そこに桜チェリーの花びらが
 ひらひらと舞い落ちる これぞジャパン特有のビューティフルな情景ですね
 そこには自然のリアルな摂理 人生のメランコリーな真理が なんと言いますか あるんですねえ
 ワンダフルなこの歌 百人一首の いわゆる一つの MVPではないでしょうか ではわたしはこれで

<参考資料>
朝日新聞6月13日
小倉百人一首冊子
WEB-SITE レッツ百人一首
 2025.05.27 (火)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 5〜My Favorite 2
 5月27日は百人一首の日とか。1235年のこの日、藤原定家(1162-1241)が百人一首を色紙に書き上げ小倉山荘に送った と彼の日記「明月記」に記載されています。一方、5月20日は不肖私の誕生日。遂に傘寿80歳になってしまいました。

 ボケ防止にやっている暗記物、現在、大きな数単位を暗記中。万(0が4つ)から始まって無量大数(0が68個)まで17個・・・・・万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。
 こんなもの憶えても、ほとんど何の意味もないのですが、80歳になってつらつら、いったい私はあと何秒生きられるのか?なんてことを考えたりしましてね。大きく100歳まで生きるとして、あと20年。これなら大きな単位数になるのでは、と思い計算してみました・・・・・1日は3600秒×24=8万6400秒、1年は8万6400秒×365=3153万6000秒、20年で6億3072万秒。なんじゃこんなもんかいな! 億の単位で済んでしまいました。因みに人生100年時代、100歳でも31億5361万秒に過ぎません。
 では、もっと大きい数字はないものか。そこで、谷川俊太郎さんの詩集「20億光年の孤独」の20億光年とは何メートルなのか、を計算してみます。光の速さは毎秒29万9792.458km、1光年は9兆4600億km。20億光年では189垓2000京km、メートルに換算すると18杼9200垓mとなります。これでも杼止まり。一体、穣以上はどんな時に出てくるのか? とまあ、こんなたわいのないことをやっていたずらに時を過ごしています。で、この計算、なにしろこんな大きな数字を扱ったことがないので、正しいかどうか自信なし。間違っていたらごめんなさい。

 では、百人一首といきましょう。今回は小野小町の歌を取り上げます。

花の色は うつりにけりな いたずらに
           わが身世にふる ながめせしまに
<超訳>
 長い雨が降って、桜が散るように、ワタシの人気だって衰えていくの
 あーもうこんなんだったら、もっとチヤホヤされている時に楽しめばよかったのかしら?
 ちょっと虚しいけど、ぜんぜん構わないわよ

<清教寺訳>
 花が色褪せるように 私の容色もむなしく衰えてしまいました
 長雨が降るごとく ただぼんやりと物思いにふけっている私です

 作者小野小町は生没年不詳。出自は出羽国郡司小野良真の娘というのが有力だが諸説あり。小町というのは小野家の采女(朝廷に仕える女官)の世襲名とする説が有力だがこれまた諸説あり。要するに諸々謎多き女性なのであります。
 誰が決めたか知らないが、小野小町は、クレオパトラ、楊貴妃と共に世界三大美女の一人とか。この言い回し、なぜか「三」が通り相場で、三大どら焼き(亀中、うさぎや、草月)なんていうのもあるくらいですから、これはもう無限。いちいち関わっていたら切りがない。なので、クラシック音楽に関するものを中心に、列記しておきましょう。で、この「三大」、ほとんどが日本人が考案したものだということです。

三大指揮者 アルトゥーロ・トスカニーニ、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター
ドイツ三大B J.S.バッハ、ベートーヴェン、ブラームス
三大テノール ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレラス
三大レクイエム モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ
三大交響曲 運命(ベートーヴェン)、未完成(シューベルト)、新世界より(ドヴォルザーク)
三大ヴァイオリン協奏曲 ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス
モーツァルト三大オペラ フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ、魔笛
ベートーヴェン三大ピアノソナタ 悲愴、月光、熱情
シューベルト三大歌曲集 美しき水車小屋の娘 冬の旅 白鳥の歌
チャイコフスキー三大バレエ曲 白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形
三大アヴェ・マリア グノー/J.S.バッハ、シューベルト、カッチーニ
三大オペラハウス スカラ座(イタリア)、パリ・オペラ座(フランス)、テアトル・コロン(アルゼンチン)
三大オーケストラ ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ
三大音楽コンクール ショパン、チャイコフスキー、エリザベート王妃国際
三大ピアノ スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン
三大ギタリスト エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ
戦国三英傑 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
戦国三悪人 斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家
維新三傑 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允
三大怨霊 菅原道真、平将門、崇徳院
三大悪妻 コンスタンツェ(モーツァルト)、クサンティッペ(ソクラテス)、ソフィア(トルストイ)
三大珍味 キャビア フォアグラ トリュフ

 私が小野小町という名前を知ったのは「男はつらいよ」の寅さんのバイの口上だったような気がします。それはこんな風。
物の始まりが一ならば 国の始まりは大和の国 島の始まりが淡路島
泥棒の始まりが石川の五右衛門なら ばくち打ちの始まりは熊坂の丁半
続いた数字が二 兄さん寄ってらっしゃいよは吉原のカブ
仁吉が通る東海道 仁木の弾正お芝居の上での憎まれ役
続いた数字が三 三三六歩で引け目がないが 産で死んだが三島のおせん
おせんばかりが女子じゃないよ 京都は極楽寺坂の門前で
かの小野小町が呑まず食わずで野垂れ死んだのが三十三
 この口上から当方、小野小町という人は33歳という若さで亡くなった とばかり思っていました。なるほど美人薄命。ところが実際は違っていて、一説には享年69歳とも。晩年を過ごしたといわれる京都補陀洛寺(通称小町寺)には、年老いた自分の姿を見て驚愕したと伝えられる小町姿見の井戸や小町老衰像など所縁の遺物があります。小町はここを基点にして各地を放浪したようで、秋田から京都の間に数多くの墓が存在しています。このように、いつどこで亡くなったかも定かじゃない。これまた謎多き美女の左証でしょうか。

 それにしても、この歌は凄い。まず、表現の二重性が半端ない。「花の色」は花(桜)の色と女の容色、「うつりにけりな」は色褪せると容色が衰える、「世にふる」は夜に降ると世を経る、「ながめ」は長雨と眺め が掛かる。これほどまでの裏筋仕込みは空前絶後。テクニックの極致でしょう。まるでJ.S.バッハの音楽づくりの様、名作「フーガの技法」を彷彿とさせます。
 女性はかつて美しければ美しかったほど容色の衰えを気に病むものなのでしょう。これは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の元帥夫人を想起させます。夫人には若き愛人がいて、現れた清楚な娘に彼を譲る。早い話が、不倫清算のおハナシなのですが、劇中では、自らの容色の衰えを嘆く場面がそこかしこに見られます。女性の心理は洋の東西を問わず といったところでしょうか。

 表現を織り込む精緻な技巧。心情の自然な表出。非の打ちどころない完成度。小野小町のこの歌こそ百人一首の最高傑作。私はそう信じます。なので、今月はこれ一首といたしましょう。ではまた来月。

<参考資料>
小倉百人一首冊子
WEB-SITE レッツ百人一首
 2025.04.25 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 4〜My Favorite 1
 前回までやや系統的に選定してきましたが、今回からはお気に入りの歌をランダムに取り上げようかと。謂わばMy Favorite百人一首でしょうか。 お気に入りがどのくらいあるかはわかりませんが、それが尽きたところで百人一首テーマを終了しようと思います。

(1) 蝉丸の名作

これやこの 行くも帰るも 別れては
           知るも知らぬも 逢坂の関
<超訳>
 ここ!ここぉ〜!ここだよ 逢坂の関って
 いろんな人が行って帰ってを繰り返す場所
 いってらっしゃ〜い!お帰り!

 作者の蝉丸は生没年不詳。「今昔物語」に雑用係の無位の雑色と書かれたかと思えば、「平家物語」では醍醐天皇の第四皇子とされている。実に謎多き人物です。確かなことは、晩年、逢坂の関の近くに住み、常時人々を観察していたということ。でもここにも謎が。能には彼をモデルにしたとされる「蝉丸」という演目があって、そこには琵琶を弾く盲目の皇子「蝉丸」がシテ(主役)として登場します。ならば関所で何をどう見ていたのか。きっと肌で気配を感じていたのかもしれませんね。
 逢坂の関は山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の境にあり京〜東国の出入り口となっています。逢坂は“逢ふ坂”との掛詞となっておりここでもこのニュアンスが籠められています。1月の「クラ未知」に書いた清少納言の歌「世に逢坂の関はゆるさじ」も同相です。

 この歌の特徴は何といってもリズム感でしょう。これや/この、行くも/帰るも、知るも/知らぬも〜これらの対には実に心地よいリズムがあります。そこに無常観が見え隠れする。私これ、ブラームスの交響曲第4番の第1楽章冒頭を想起します。6度下降/3度上昇が4度繰り返される。そのため息のようなリズム感に晩年のブラームス特有の悲哀が滲む。日本の和歌と西洋音楽との関連。この符合、なんとも不思議で嬉しい気がします。

<清教寺訳>
 出てゆく人 帰ってくる人 知り合いもいれば他人もいる
 人々はここで別れ出逢う これがかの有名な逢坂の関

(2) 落語も楽しい在原業平の傑作

千早振る 神代も聞かず 龍田川
          から紅に 水くくるとは
<超訳>
 聞いたことがないよね ミラクルが多い日本でも
 龍田川をこんなにもビューティフルな真紅に染めちゃうなんて!

<清教寺訳>
 神代の昔から聞いたこともない 龍田川の紅葉 なんて美しいのだろう

 作者在原業平朝臣(825-880)は平城天皇の孫。容姿端麗、眉目秀麗。昔から美男の代名詞であり、「伊勢物語」の主人公ともいわれています。歌人としても優れ、六歌仙の一人。「古今和歌集」30首をはじめ87首が「勅撰和歌集」に収められています。

 東京都の都民の鳥は「ゆりかもめ」ですが、その由来が在原業平の歌とか。それが、

   名にし負はば いざ言問わむ 都鳥
               わが思ふ人は ありやなしやと

 業平が東国へ向かう中、現在の浅草/向島あたりで詠んだとされています。ここに登場する都鳥が「ゆりかもめ」なのです。
 1975年、東京都は投票によって都民の鳥を選定しました。そこで1位になったのが「ゆりかもめ」。ゆりかもめは業平の歌にあるように、昔から通称「都鳥」(みやこどり)と言われていた。都民の鳥としてこれほど相応しい鳥はない という訳ですね。

 墨田川には「言問橋」という橋がありますが、これも同じ業平の歌に因んだものとされています。ところが、歴史を考証すると、業平がこの歌を詠んだのは言問橋の少し上流に架かる白髭橋あたりだったようです。ではなぜ? 犯人は“言問団子”の創業者!?
 時は江戸時代末期、今の言問橋の向島側に団子屋がありまして。店主、売り上げイマイチの団子に何かキャッチーな名前はないかと思案。ふと在原業平の歌がおおよそこの付近で詠まれたことを思い出し、「言問団子」と名付けました。これが当たって団子は売れに売れて現在に至ります。やはりネーミングは大切。かの信玄餅も同じでしょうか。
 当時、そのあたり、渡しはあれど橋はなし。橋が架けられたのは、1923年、関東大震災の復興事業の産物としてでした。橋は「言問団子」にあやかって「言問橋」と名付けられました。団子が先、橋が後 というわけです。いずれにしても、言問団子も言問橋も言問通りも 源はこの業平の歌 ということになります。

 話がそれました。百人一首に戻りましょう。落語に「千早振る」という演目があります。これは江戸時代の演目で業平の百人一首を題材としたお噺です。

 八つあんに娘がいて、学校で百人一首を勉強している。そこで先生が生徒に一首を与えて明日までにこの意味を考えてくるように言う。娘に与えられたのは在原業平の「千早振る 神代も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは」。娘に訊かれるが、無学な八つあん、さっぱりわからない。そこで博識を自認するご隠居さんに尋ねる。が、ご隠居さんもわからない。でも、わからないでは博識の沽券にかかわる。そこでなんやかやと話をデッチ上げることになるのであります。
 龍田川というのは川の名前じゃない。実は相撲取りの名だ。真面目に稽古に励んで大関にまで出世する。ある日タニマチの招待で吉原に行く。そこにいたのが花魁のトップ千早太夫だ。あまりの美しさに龍田川は一目惚れ。何とかお相手をと願うも、千早、「わけあって、あちきは相撲取りが嫌いでありんす」ときた。ならば妹の神代を所望するも、神代は「姉さんの嫌なものはあちきも嫌でありんす」と拒否。龍田川、千早には振られ、神代も言うことを聞かない。これが千早振る 神代も聞かず 龍田川だ。
 千早に振られた龍田川、この一件から見る見る成績が落ち遂には廃業の身となってしまう。そして故郷に戻って傾きかけた家業の豆腐屋を継いだ。一生懸命働くこと3年。豆腐屋は見事に立ち直り大繁盛。
 そんな或る日、店にやせ細った女がやって来る。「三日三晩何も食べていないので、そこにあるおからをお恵み下さい」と。「お安い御用で」と龍田川、女の顔を見ると、なんとそれはあの憎っくき千早だった。「お前にやるおからなんぞあるもんか」と女を突き飛ばす。女はフッ飛んで井戸に落ちて死んでしまう。これがから紅に 水くくるとは ということだ。
 とご隠居さん。そこで八つあん、「よくわかりました。これで娘に顔が立つというもんです。でも一つ、最後の『とは』ってのは何なんです」。これに答えてご隠居さん「『とは』は神代の本名よ」。これがオチ。

 数年前、クラシック友達のH氏が主催する「百合丘寄席」によくお邪魔していました。そこで聞いた瀧川鯉昇師匠の「龍田川」が初の龍田川体験でした。師匠の軽妙洒脱な話しっ振りに大いに楽しませてもらったものです。You-tubeを見ていたら、師匠が「龍田川」を演っています。なんと舞台を南千住〜モンゴルに設定、実にシュールな物語に読み替えています。あれから十数年、古希を迎えて益々研究心旺盛な鯉昇師匠に 天晴れ! では、おあとがよろしいようで・・・・・。

<参考資料>
 小倉百人一首冊子
 WEB-SITE レッツ百人一首
 CD & You-tube 瀧川鯉昇の落語「千早振る」
 2025.03.28 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 3〜僧たちの歌
 百人一首の中に僧の歌は10首あります。今回はその中から、86西行法師、69能因法師、8喜撰法師の歌を取り上げましょう。

(1) 西行法師
 歎けとて 月やはものを 思はする
           かこち顔なる わが涙かな
<超訳>
 「もう会えないワ」なんて 月は言わない
 この涙は貴女のせいで流れてるんだ

<清教寺訳>
 月は 嘆きなさいなどと 物思いさせるものなのか いやそうではないだろう
 なのにわたしは まるで月のせいだといわんばかりに 涙している

 西行 (1118-1190) は北面の武士をしていましたが、23歳の時、官位も妻子も捨てて出家します。自由を求める彼が宮中の人間関係にうんざりしたから ともいわれています。そんな西行の心に宿った叶わぬ恋心。それが後鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子へのものだったといいます。この歌はそんな切ないばかりの胸の内を詠ったもの というのが定説です。もしや西行は一生この方に思いを馳せながら旅を続けていたのかもしれませんね。ベートーヴェンが不滅の恋人をブラームスがクララ・シューマンを思い続けたように。
 百人一首は各歌人のベスト1を集めたオムニバス という向きがありますが、こと西行に関してはどうでしょう。彼にはより有名な歌が多々あります。例えば。

 願わくは 花の下にて 春死なむ
          その如月の 望月のころ

 この意味は文字通り、「死ぬのなら2月 満月のころ桜の花の下で」 というもの。同じ構文で中島みゆきに「船を出すのなら9月」という曲があります。みゆきさん、恐らくこの西行の歌を踏まえているはず。流石の見識!
 西行研究で名高い白洲正子さんは、「死ぬなら年の瀬、人は忙しくて私の死なぞ誰も気にも留めないから」といって実際12月26日に亡くなっています。これ、元総理・細川護熙氏が語っていました。
 名高いこの歌、当方は辞世の歌と思っていましたが、若いころの作だということでした。若くして出家するような人は若いころから常に「死」と向き合っていた ということでしょうか。グスタフ・マーラーは「物心ついてから死を意識しない時期はなかった」と言っています。これは幼少期に兄弟姉妹を次々となくしたという境遇のなせる業なのでしょう。交響曲第6番などを聴くと、どこか西行の死生観に通じるものがあるように思えます。

 西行の歌で私が最も好きな歌はこれ

 心なき 身にもあはれは 知られけり
           鴫立沢の 秋の夕暮れ

 三句切れ体言止めのこの歌は前の歌とは違いその意味を深く考えさせられます。ポイントは「心なき身」とはどういうことなのか? ということ。「あはれ」は日本人特有の感性・幽玄なるもの=「物のあはれ」のこと、「知られけり」は感じられる、「鴫立沢」はみちのくへの旅の途中で立ち寄った相模国大磯の地名、「秋の夕暮れ」は文字通り。なので、文脈的に難しくはない。とはいえ、作者は「心なき」にどんな意味を込めたのか が解らないと理解したことにはならないと思うのです。

 仏教における究極の境地を「空」という。「空」とは単なる「無」ではない。万物は個々独立して存在するにあらず、必ず何かの関連をもって存在する。このような「縁起観」に基づく無の状態が「空」ということのようです。
 出家した西行はこの境地を求めて旅をしていたはず。ならば、この歌の「心」とは「空」のことではないか。したがって、「心なき身」とは「未だ修行途上で『空』の境地に達していない自分」と解釈できるのではないでしょうか。

 白州正子さんは著書「西行」の中でこう述べています。
殆どの学者が、この歌を、ものの哀れを感じない(俗世の煩悩を超越した)世捨て人にも、鴫の飛び立つ沢の夕暮れは哀れに思われる、と説明しているが、何か釈然としないものがある。その説が間違っているというわけではないが、心というものについて、苦労を重ねた作者にとって、「心なき身」とは、ひと言で片づけられるような簡単なものではなかった筈である。
 この白州さんの記述から、私が出した解釈も安易な気がします。世の中は答えの出ない問いばかり・・・・・なぜ戦争はなくならないのか、正義とは、人生とはetc 。浅学非才の私なんかが、「心」とは「空」 などとひと言で片づけられるわけがありません。だからといって、答えを求めることを諦めたくはない。考えることを放棄したくはない。これからも、たとえ答えが出なくても、投げ出さず考えつづけたいと思います。

<清教寺訳>
 未だ「空」の境地に達していない未熟な私にも
 鴫立沢の秋の夕暮れは物のあはれを感じさせてくれるのです

(2) 能因法師
 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は
         龍田の川の にしきなりけり
<超訳>
 みてごらん! ペルシャ絨毯みたいな 龍田川を

 能因法師(988-1050)は、26歳の時、エリート官僚の道を捨て出家、放浪の旅に出て歌を詠みました。西行の先輩格といえます。

 もみじが風に乗って飛び川を錦に飾る〜ワープ感、モダン感、見立てのスキル。スペキュタクラーな美意識が見事です。

<清教寺訳>
 三室の山の紅葉は 風に乗って龍田川に飛び 錦となって川面を飾る

(3)喜撰法師
 わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
          世をうぢ山と 人はいふなり
<超訳>
 ほっといてよ!もう〜! 誰になんと言われようと ここは良い場所なんだから
 勝手にヒッキーと呼べばいいさ

 喜撰法師は生没年不詳、出自不詳、表記は窺仙・窺詮・基泉・喜泉など数々。真作と認められるのはこの歌だけ。確かなことは宇治山に隠棲したことくらい と実に謎多き人物です。
 人に何と思われようがこの暮らしは何事にも代えがたい〜そんな世捨て人の孤高な満足感がじんわりと伝わってきます。ここは<清教寺訳>の代わりに、替え歌で締めましょう。

<清教寺替歌>
 わが庵は 都のたつみ 木場なれど
          世を楽人と 人はいふなり

 では今回はこのあたりで。また来月。

<参考資料>
 小倉百人一首冊子
 WEB-SITE レッツ百人一首
 西行 (白州正子著 新潮文庫)
 2025.02.21 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 2〜天皇の歌を中心に
 百人一首の中に天皇(上皇)の歌は8首あります。今回はその中から、2持統天皇、77崇徳院、100順徳院と一つの付を取り上げましょう。

(1) 持統天皇
 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
           衣干すてふ 天の香具山
<超訳>
 ん?ヤバくない? 春が終わっちゃって、今年も夏が、もう来ちゃってるらしいのよー。
 だって、香具山に白い着物が干してあるってよー。

 この歌はいろいろ解釈があるようで。「令和」という年号を決めたといわれている国文学者中西進さんはこう仰っています。「香具山というのは神様の山なんです。そこに洗濯物を干すなんてありえません。この白妙の衣というのは雪のことなんですよ。そうすると夏というのがひっかる。歌の解釈は難しいものです」。
 これを聞いて当方はこんな解釈をしました〜「干す」には「欲す」という意味が籠められているのではないかと。これならば「今は夏だけれど雪であって“欲しい”」という気持ちが含まれる。
 持統天皇(645-703)は夫・天武天皇と共に新しい日本の建設のために尽力していました。二人には草壁の皇子という優秀な後継者がいた。ところが彼は若くして亡くなってしまう。期待の星を失った母の無念はいかばかりだったでしょうか・・・・・今は夏だけど雪の降るころ彼はまだ生きていた。そのころであって“欲しい”。これならば中西説の矛盾も解消できるし母・持統天皇の気持ちも籠ると考えました。
 ところがこの解釈に法隆寺のリュウちゃんから待ったがかかります。「自分は天の香具山あたりによく行くけど、雪が降ってもあの山は白くなりませんよ。よかったら一緒に行きませんか」。そう、リュウちゃんは香具山のある藤原京跡の近くに住んでいるのです。これは中西先生に対する反論なのですが、それを踏まえた私に対してのものでもあります。地元に住むリュウちゃんの言い分も尊重しなくては と思ってはみたものの、解釈を覆す気にはなれません。そんな私の訳を下記。

<清教寺訳>
 春が過ぎて今は夏 香具山に雪が降り積もっていたころは 吾が子はまだ生きていた
 今は雪などあるはずもないが 山が雪に覆われていたあのころに戻って欲しいものだ

(2) 崇徳院
 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の
            われても末に あわむとぞ思う
<超訳>
  無理なんだ今は でも時が流れたら 必ず君に会いにゆくよ 約束する

 崇徳院 (1119-1164) は5歳で天皇に即位するも実権は父・鳥羽上皇にあり、上皇になった数年後、保元の乱で弟の後白河天皇に敗れ讃岐に流されます。これはそんな薄幸の天子の切なる思いが籠った歌。

 NHK 2017年下期朝ドラ「わろてんか」は吉本興業の創始者吉本せいの物語。劇中の登場人物・落語家月の井団真の十八番が「崇徳院」。北村有起哉演じる団真が頻繁に「瀬をはやみー」と発していたのを思い出します。
 落語「崇徳院」はこんな噺〜出会った娘に一目惚れした若旦那が恋煩いで寝込んでしまう。大旦那は倅のためにその娘を探してやろうと思う。手がかりは別れ際に手渡された「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の」と書かれた紙片だけ。これは有名な崇徳院の歌の上の句。下の句は「われても末にあわむとぞ思う」だから、その娘もきっと会いたがっているはず と推察する。そして、娘探しを出入りの職人熊五郎に頼む。熊五郎は人の集まりやすい風呂屋や床屋で「瀬をはやみー」と叫び続ける。そして遂に反応があって娘が見つかる。熊五郎、喜び勇んで床屋の鏡を割ってしまう。「どうしてくれるんだ」と迫る床屋の店主に、「割れても末に買わんとぞ思う」と返す。

 この歌の解釈としては、落語のように別れた恋人に再会したいという気持ちを詠ったもの というのが定説ですが、もしかして、戦い敗れて流された上皇の復権を願う切なる気持ちも重なっているのではないか と思ったりもします。そんな読みを込めて訳を下記。

<清教寺訳>
 川の流れが速く 岩に堰き止められた急流が二つに分かれてしまう がいずれまた
 一つに合流するように あなたにもう一度逢いたい そして 昔の自分に戻りたいものだ

(3) 順徳院
 百敷や 古き軒端の しのぶにも
         なほあまりある 昔なりけり
<超訳>
 あーあ 草ボーボーじゃん 昔はよかったんだよねー なつかしいなー

 順徳院 (1197-1242) は、1221年、尊敬する父・後鳥羽上皇を助け承久の乱に参戦するも敗れ、佐渡に流され、そこで没しました。この歌は彼が20歳のころの作品。武士の時代が到来し栄華を誇った貴族の時代が遠ざかる。「昔はよかったなあ」という気持ちが伝わってきます。

 デューク・エリントン楽団に「昔はよかったね」という曲があります。1941年、デュークがASCAP(米国作家出版者協会)と対立し、自身の作品が演奏できなくなってしまったとき、息子のマーサーが作ったのがこの曲。軽快で乗りのよい曲想はエリントン楽団の人気ナンバーになっています。「昔はよかった」と思う息子が親父を助ける。コレ順徳院/後鳥院の図式に似ているような気がします。この原題は”Things Ain’t What They Used To Be”。直訳すると「昔のようにはいかない」ですが、「昔はよかったね」は名訳です。

<清教寺訳>
 宮中で 古びた軒端に生えるしのぶ草を見るにつけ
 昔の御代は 偲んでも偲びきれるものではありません

(付) 美智子上皇后
 かの時に 我がとらざりし 分去れの
            片への道は いずこ行きけむ

 2月5日、NHK-Eテレで、美智子上皇后さま(1934-)の歌集「ゆふすげ」からの紹介番組がありました。以前ならこの手の番組は見なかったと思うのですが、百人一首に親しんで和歌が身近に感じられるようになったからでしょうか、興味深く拝見することができました。全部で30首ほどの御歌が取り上げられていましたが、どれもみな、上皇様への愛情や国民に寄り添う気持ちなど、温かく優しい御気持ちが現れていました。
 そんな中で一首だけ異質な歌がありました。それが冒頭に掲げた歌です。お詠みになられたのは1995年、61歳のとき。「かの時」とは、1959年、明仁皇太子との結婚を決意した時 ということになるでしょう。もしこの道を選んでいなければ、自分はどんな人生を歩んでいたのだろうか という御気持ちなのですね。
 我々庶民も、人生の分岐点は多々あります。あの時ああしていなければいったいどんな人生を送っていたのだろうか なんて時折考えることがあります。また、人生選んだ道はもう戻れないのだから選ばなかった片方を想像しても意味がない と言う人もいます。
 美智子さまの選んだ道は、一般家庭から皇室に入るという、我々とは比べものにならない、まさに異次元の分岐点だったはず。それは相当な覚悟の選択だったでしょう。そんな、上皇后さまが、皇室に入られて30数年経ったころ、「もう一方の道はいかばかりだっただろうか」と述懐している。これは衝撃的でした。と同時に、素直な御気持ちを吐露される自由さに少なからず安堵感も覚えました。昨年卒寿を迎えられた上皇后さま、健やかに、と願うものであります。

<参考資料>
 小倉百人一首冊子
 WEB-SITE レッツ百人一首
 NHK-Eテレ「美智子さまが詠んだ歌」
 2025.01.20 (月)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 1〜大河ドラマ「光る君へ」女流歌人の歌
 昨年末なんとなくデスクの引き出しを覗いていたら、赤茶けた一冊の冊子が出てきました。表紙は「小倉百人一首」。これはこの年、七回忌を行った母の遺品とすぐに気づきました。子供のころ、正月になると家では親族や知り合いが集まって百人一首大会をやるのが常でした。母はかなりの腕前だったようです。

 2024NHK大河ドラマは「光る君へ」でした。世帯視聴率は歴代ワースト2位だったとか。舞台の平安時代は戦国時代などに比べればダイナミックな動きに乏しく、出てくる人物がほぼ藤原ばかりとかなり特異な内容。これが裏目に出たのかもしれません。でも、紫式部を演じた吉高由里子の魅力が光っていたし未知なる世界に入り込めて、私としては大いに楽しめました。  そんな中、母の形見の「小倉百人一首」冊子が出てきたわけで、パラパラとめくっていると、紫式部の歌がある。その他大河の登場人物、清少納言、和泉式部、赤染衛門の歌もある。美女の誉れ高い小野小町も、落語に登場する在原業平も、昔の朝ドラに出てきた崇徳院もある。
 近年、老化防止策として「何でも丸暗記」を励行していまして、このところ「日本人ノーベル賞受賞者30人」、「日本の世界遺産26」が完了。次なるターゲットを探っていたところ、この「小倉百人一首冊子」にブチ当たり、これだと思い立ち、「光る君へ」関連など気に入った歌を選んで丸暗記を試みたというわけです。普段使い馴れない言葉ゆえ苦労しましたが、何とか30首ほどを憶え切りました。

 そこで、「クラ未知」2025新年初頭は、大河ドラマ「光る君へ」に登場した女流歌人の歌を取り上げたいと思います。歌は原典が平仮名で書かれていますが、理解しやすいように漢字併用とします。そして今流行りの“超訳”に清教寺茜の筆名でオーソドックス訳を併記します。

(1) 紫式部
  めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に
                雲隠れにし 夜半の月影
  <超訳>
  えー!もっとゆっくり会いたかったのに!
  まるで雲に隠れた月のように探せなくなっちゃった

 紫式部は一条天皇の中宮彰子に仕える女房。彰子の父藤原道長が、天皇ともう一つ馴染めない娘と天皇の間の橋渡しを紫式部に託します。道長の願いは天皇と彰子の間に男児が生まれること。式部は「源氏物語」を書きおろし、二人に共通の興味を抱かせて溝を埋めることに成功。めでたく男児が授かることになりました。「源氏物語」はかすがいの役割を果たしたことになります。ここから道長隆盛への道が開かれるのです。

 「源氏物語」は読んだことがないので、詳しくは解りませんが、登場する多くの女性の中で、光源氏がもっとも愛した女性は紫の上だっただろうことは想像がつきます。光源氏は18歳のとき10歳の紫の上を見初めます。彼女は憧れの藤壺の姪で瓜二つ。数年後に引き取ってパートナーとして育てます。光源氏は数々の女性と浮名を流しますが紫の上への愛情は揺らぐことなく、彼女が亡くなるまで30年ほど続くことになります。

 藤原道長(966-1028)の屋敷と紫式部(973?-1019?)の家は近所だったとか。二人が幼馴染だった可能性はゼロではなく、大河ドラマ「光る君へ」はこの線で描かれています。私の歴史好きの友人は「俺は大河ドラマは見ない。あれは歴史的にデタラメだから」と言います。確かにそういう面はありますが、100%デタラメではない。大河“ドラマ”なのですから史実とドラマの整合性が勝負なのですね。「光る君へ」の大石静の脚本はこのバランスが巧みだったと思います。

 歌に戻りましょう。巡り逢えたのにすーっといなくなってしまった というのはある幼なともだちとのことでしょう。でも、光源氏と紫の上の初期段階をイメージしているのかもしれないし、もしかしたら藤原道長との関係性を踏まえているかもしれません。もちろん単なる憶測にすぎませんが、そんな想像を働かせられるのもド素人の自由さ。楽しきことこの上もなしであります。

 母の百人一首帳には「むすめふさほせ 上の句の始めが一字しかない」と書かれています。これは、これらの7文字で始まる歌は一つしかないということ。紫式部のこの句は「め」で始まるので、競技では、「め」と聞こえたら、即、取ることができるのです。

<清教寺訳>
 幼なともだちと久々に出逢ったと思ったら 確認できないままいなくなってしまった
 まるで月が雲隠れしたように

(2) 清少納言
  夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 
             世に逢坂の 関はゆるさじ
  <超訳>
  コケコッコー!って鳴いても ワタシは騙されませんわよ!

 枕草子の著者清少納言(966頃-1025頃)は中宮定子の女房。才気煥発な彼女は宮中サロンの中心的存在でした。あるとき定子が、集う女官たちに向かって、「雪が降ってきましたね。香炉峰の雪はどうなのでしょうね」と問うと、清少納言は即座に簾を上げて外の景色が見えるようにしました。これは白居易の詩を知っていればこその振る舞い。定子はますます納言を気に入ります。

 一方、ライバル彰子の女房紫式部は納言をどう思っていたか? これは紫式部日記に書かれています。曰く〜あの人、「私は利口なのよ」と偉そうな態度が見え見え。でもって、つまらないことを「いとおかし」などと面白がってみせる。わざとらしくてろくなもんじゃないワ とかなり辛辣です。

 とはいえこの歌は、教養深い清少納言らしい見事な作といえます。清少納言と逢瀬を楽しんでいた藤原行成が、突然、「おっと、仕事を思い出した」と言い残して帰ってしまいます。翌日行成から「昨夜は失礼、鶏が鳴いたもので慌てて帰りました」という意味の歌が届きます。これに応えて詠んだ歌がこれ。
 斉の武将孟嘗君が秦の兵に追われて函谷関にたどり着く。この関所は鶏が鳴いて朝を告げるまで門を開けないことになっている。ここを通り抜けないと命が危ない孟嘗君は、咄嗟に鶏の鳴きまねをして門を開けさせ逃れることができた。そんな中国の故事があります。
 函谷関は、「箱根八里」(鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲)に「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず」とあるように、険しい山道の代名詞。清少納言は函谷関と逢坂の関を対置させて機知に富んだ歌を詠みました。中国の故事に精通した納言の教養が光ります。

<清教寺訳>
 まだ夜も明けないうちに 鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても 中国の函谷関ならいざ知らず
 この日本では逢坂の関は通せないし 私に逢いに来ることも許しませんことよ

(3) 和泉式部
  あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
               いまひとたびの 逢うこともがな
  <超訳>
  ワタシもうすぐ死んじゃうかも知れないから
  天国に行く前に もう一度アナタに会いたいの

 和泉式部(978頃-?) は彰子の女房。お仲間の紫式部から「けしからぬ人」と評されるほど恋多き女性でした。そんな彼女が、死期を悟って詠んだ歌がこれ。死の間際まで恋心を捨てない和泉式部の面目躍如たる心情が覗えます。まるで平安朝の与謝野晶子!?
 なお娘は小式部内侍で、この人の歌も百人一首に載っており名歌として有名です〜大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

<清教寺訳>
 もうそこにお迎えが来ている感じだけれど あの世への想い出に
 せめてもう一度 愛しいあなたにお会いしたいものです

(4) 赤染衛門
  やすらはで 寝なましものを さ夜更けて
              かたぶくまでの 月を見しかな
  <超訳>
  来ないってわかっていたらすぐに寝たのに
  来るって言葉を信じてずっと待ってたら 月が沈む朝になっちゃった

 赤染衛門(956頃-1041?)は藤原道長の妻倫子と一条天皇の中宮彰子に仕えた女房。包容力と深い教養を合わせ持ち、女官たちの先輩格として尊敬を集めました。ドラマには、倫子の依頼を受けて「栄華物語」を書いた という挿話が登場します。
 この歌は、恋人藤原道隆(道長の兄)に待ちぼうけを食わされた妹に代わって、詠んでやった歌。衛門の父親は平兼盛との説もあり、兼盛には百人一首に載る傑出した恋の歌があります〜忍ぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで

<清教寺訳>>
 ぐずぐずしないで寝てしまえばよかった 夜が更けて
 月が西に沈むのを見るとは なんと嘆かわしいことでしょうか

 母が遺してくれた「百人一首帳」と大河ドラマ「光る君へ」のコラボとして今回は書いてみました。読んでみると百人一首はなかなか面白いものです。これからも、折に触れて取り上げてみるつもり。では、最後に大河ドラマ「光る君へ」女流歌人のキャストを記して締めたいと思います。

紫式部:吉高由里子
清少納言:ファーストサマーウイカ
和泉式部:泉里香
赤染衛門:凰稀かなめ

<参考資料>
小倉百人一首冊子
2024NHK大河ドラマ「光る君へ」



[2008年5月〜2024年12月のコラム]
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2021/03/20 (土)  中くらいなり おらが春
2021/02/10 (水)  追悼〜なかにし礼さんへの私的レクイエム第二章
2021/01/15 (金)  追悼〜なかにし礼さんへの私的レクイエム第一章
2020/12/05 (土)  チャーリー・パーカー伝記「バード」を読んで
2020/11/12 (木)  2020米大統領選挙クラ未知的総括
2020/10/10 (土)  大統領選挙から不思議の国アメリカを探る
2020/09/05 (土)  安倍政権の7年8カ月を総括する with Rayちゃん
2020/08/16 (日)  八月、父のことからワーグナーと万葉集に想いを馳せる
2020/07/13 (月)  7月雑感
〜なぜかノルウェー、そしてエリントンからベートーヴェン経由ラヴェルまで

2020/06/26 (金)  626に纏わるブラウニーとアマデウス10
〜PORTRAIT OF SIDNEY BECHETにおけるエリントンの選択

2020/05/20 (水)  626に纏わるブラウニーとアマデウス9
〜再度、瀬川先生とのやり取り、検証

2020/04/25 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス8
〜やはりプロコープ、そして瀬川昌久先生

2020/03/25 (水)  626に纏わるブラウニーとアマデウス7〜あれはジョニー・ホッジス
2020/02/25 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス6〜あれはシドニー・ベシェ
2020/01/25 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス5
〜駆け出し愛好家の「ELLINGTON UPTOWN」研究

2019/12/15 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス4
〜ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」の構造

2019/11/05 (火)  追悼 八千草薫さん
2019/10/25 (金)  626に纏わるブラウニーとアマデウス3
〜アンドレ・プレヴィン、オンリーワン

2019/09/22 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス2
〜ジャズの名手 モーツァルトを演奏する の巻

2019/08/16 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス1
〜ジャズの名手はクラシックの名曲をどう料理したか?

2019/07/13 (土)  憲法第9条自民党改正案をぶっ潰せ
2019/06/25 (火)  復興支援のモツレク、そして、新しい岡村版の提唱
2019/05/25 (土)  随想〜風薫る5月に
2019/04/25 (木)  私のオーディオ史
2019/03/31 (日)  野口久光先生の思い出
2019/02/25 (月)  NHK大河ドラマ「西郷どん」が終わって〜クラ未知的西郷隆盛論 後編
2019/02/01 (金)  クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」リポート
2019/01/20 (日)  年末年始雑感・音楽篇〜ウィーンフィル・ニューイヤーと純烈
2018/12/25 (火)  NHK大河ドラマ「西郷どん」が終わって〜クラ未知的西郷隆盛論 前編
2018/11/25 (日)  ジネット・ヌヴー賛〜稀代の天才ヴァイオリニストを偲ぶ
2018/10/27 (日)  ストラディヴァリウス考察〜奇跡、その真相
2018/09/30 (日)  さらばFMえどがわ
2018/08/31 (金)  わが母を偲んで
2018/05/25 (金)  エジソンを凌駕した知られざる偉人2〜エミール・ベルリナー
2018/04/25 (水)  エジソンを凌駕した知られざる偉人1〜ニコラ・テスラ
2018/03/05 (月)  平昌五輪 二人の長野県人メダリストの明と暗
2018/02/15 (木)  贋作昨今〜曜変天目からモーツァルト「アデライード協奏曲」を考察する
2018/01/15 (月)  2018年始雑感〜アルゲリッチ、ABC予想など
2017/12/10 (日)  一橋大学オーケストラ47年ぶりの同期会
2017/11/16 (木)  カズオ・イシグロからFMえどがわ20周年、そして、おめでとう奈良さん!
2017/10/25 (水)  小池百合子の失敗〜希望から絶望へ
2017/09/29 (金)  政変は8年周期でやってくる!?〜小池百合子は「この戦は勝てる!」と踏んだ
2017/09/20 (水)  旧Cafe ELGAR店主からのメールを読んで〜後編「誤認を訂正する」
2017/09/05 (火)  旧Cafe ELGAR店主からのメールを読んで〜前編「クラ未知」記述は不正確
2017/08/15 (火)  真夏の夜の夢〜シェイクスピア あれこれ
2017/07/25 (火)  夏のクラシック音楽〜「りんりんクラシック」から
2017/07/15 (土)  ドキュメント〜シャーンドル・ヴェーグのK137を解明する
2017/06/26 (月)  モナリザ500年目の真実 後編〜4人目のモナリザは誰?
2017/06/20 (火)  モナリザ500年目の真実 前編〜隠れていたジョコンダ
2017/05/25 (木)  安倍とトランプ、辞めるのはどっち?
2017/05/15 (月)  エルガー「愛の挨拶」とドラマ「相棒」に纏わる面白話
2017/03/25 (土)  「死なばモリトモ」問題 私感
2017/03/15 (水)  3月の「りんクラ」は「唱歌VSクラシック」の春対決
2017/02/25 (土)  追悼 船村徹〜歌は心でうたうもの
2017/02/15 (水)  第156回直木賞受賞作「蜜蜂と遠雷」はなかなかの傑作だ
2017/01/25 (水)  2017年頭雑感「スポーツ」編〜with Rayちゃん
2017/01/15 (日)  2017年頭雑感「内外情勢」編〜with Rayちゃん
2016/12/25 (日)  ボブ・ディランより中島みゆき
2016/12/10 (土)  丸山泰弘さん追悼演奏会
2016/12/05 (月)  杉並公会堂のことなど〜with Rayちゃん
2016/11/15 (火)  至福のワーグナー体験
2016/10/25 (火)  ボブ・ディランのノーベル賞受賞を抉る
2016/10/15 (土)  FMえどがわ「りんりんクラシック」
2016/09/26 (月)  奇跡の夜〜トム・ハンクスと遭遇の顛末
2016/09/25 (日)  リオ五輪を歴史で斬る 4 〜ボルト 短距離侍4 マラカナンの歓喜
2016/09/07 (水)  リオ五輪を歴史で斬る 3 〜柔道と競泳 お家芸復活!?
2016/08/31 (水)  リオ五輪を歴史で斬る 2 〜ラケット球技 奇跡の5連続ポイント
2016/08/25 (木)  リオ五輪を歴史で斬る 1 〜吉田と伊調そして内村とベルニャエフ
2016/08/10 (水)  スコッチ・ウイスキーにまつわるエトセトラ
2016/07/25 (月)  閑話窮題〜都知事選、鳥越候補のトはトンチンカンのト
2016/07/05 (火)  ブッシュミルズから「ダニー・ボーイ」が聞こえる
2016/06/19 (日)  閑話窮題〜「マスゾエはフォークだ」内田裕也
2016/05/30 (月)  葉加瀬太郎 “再度”違いだらけの音楽講座
2016/05/15 (日)  世の中 ヤキが回ってきたようで!? with Rayちゃん
2016/04/25 (月)  パクリとオリジナルの間に7〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語C
津村の詞がなかったら「瀬戸の花嫁」は誕生しなかった!?

2016/04/10 (日)  パクリとオリジナルの間に6〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語B青春の置き土産
2016/03/25 (金)  パクリとオリジナルの間に5〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語A津村、喜んだのも束の間!
2016/03/10 (木)  パクリとオリジナルの間に4〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語@津村公という男
2016/02/25 (木)  パクリとオリジナルの間に3〜浜口庫之助のリニューアル二題
2016/02/10 (水)  パクリとオリジナルの間に2〜「また逢う日まで」は阿久悠自身のパロディ
2016/01/25 (月)  パクリとオリジナルの間に1〜美空ひばり「悲しい酒」は二番煎じ
2016/01/10 (日)  個性とセンスの完全主義者ブーレーズの死を悼む
2015/12/28 (月)  2015年末放談 with Rayちゃん
2015/12/10 (木)  テロはなくならないのか?
2015/11/25 (水)  世界野球プレミア12 日韓戦の敗戦
2015/11/10 (火)  バーンスタイン&NYP 2つの幻想交響曲の秘密 後編
2015/10/25 (日)  バーンスタイン&NYP 2つの幻想交響曲の秘密 前編
2015/10/15 (木)  モツレクに斬り込む 最終回〜「レヴィン版」の欠点と岡村版の提唱
2015/09/25 (金)  モツレクに斬り込む11〜「レヴィン版」を含む3つの版を考察する
2015/09/10 (火)  戦後70年に寄せて(後編)〜戦後復興、そしてJiijiの提言
2015/08/25 (火)  戦後70年に寄せて(前編)〜日本はなぜ負けたのか?
2015/08/10 (月)  モツレクに斬り込む10〜モーンダー版は問題あり!
2015/07/25 (土)  モツレクに斬り込む9〜厚化粧を是正したバイヤー版
2015/07/10 (金)  モツレクに斬り込む8〜すべてはモーツァルトの指示
2015/06/25 (木)  モツレクに斬り込む7〜ジュスマイヤーの失敗はなぜ起きてしまったのか?
2015/06/15 (月)  モツレクに斬り込む6〜ジュスマイヤー最大の失敗
2015/05/25 (月)  これでいいのか 日本!!with Rayちゃん
2015/05/15 (金)  モツレクに斬り込む5〜「サンクトゥス」Sanctusは「孤児院ミサ」の引用
2015/04/29 (水)  モツレクに斬り込む4〜「涙の日」Lacrimosaにおけるモーツァルトの指示
2015/04/12 (日)  モツレクに斬り込む3〜コンスタンツェ その見事な裁量
2015/04/01 (水)  ちょっと変だぜ世の中が with Ray ちゃん
2015/03/25 (水)  モツレクに斬り込む2〜奇妙な三角関係
2015/03/10 (火)  モツレクに斬り込む1〜可哀想なジュスマイヤー
2015/02/25 (水)  アメリカが「モツレク」で犯した罪
2015/02/10 (火)  中東にレクイエムを
2015/01/25 (日)  映画「バンクーバーの朝日」と沢村栄治
2015/01/13 (火)  新年に寄せて with Rayちゃん
2014/12/25 (木)  2014ランダム回顧 with Rayちゃん
2014/12/10 (水)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究11〜
          バッハ第3の不易流行「バッハはユーミンの先導師」

2014/11/25 (火)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究10〜バッハ第2の不易流行「平均律」
2014/11/10 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究9〜バッハ不易流行その1「対位法」
2014/10/25 (土)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究8〜「旅に病んで」の深意
2014/10/10 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究7〜果てしなき不易流行
2014/09/025 (木)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究6〜「おくのほそ道」に「不易流行」を探る
2014/09/05 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究5〜芭蕉における「不易流行」の概念
2014/08/05 (火)  Jiijiのつぶやき〜葉加瀬太郎 間違いだらけの音楽講座
2014/07/25 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート 番外編〜出た!蓮實重彦のとんでもない論評
2014/07/20 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート6 〜 ドイツ優勝と大会総括
2014/07/13 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート5 〜 最後に綻んだファンハール采配
2014/07/11 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート4 〜 戦犯はダビドルイス
2014/07/08 (火)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート3 〜 ベスト4出揃う
2014/06/30 (月)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート2 〜 グループリーグに異変
2014/06/26 (木)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート1 〜 日本終戦にJiijiの提言
2014/06/25 (水)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究4〜「おくのほそ道」に見る対置 Contraposition の妙
2014/06/10 (火)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究3〜J.S.バッハ シンメトリーの意識
2014/05/25 (日)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究2〜「ゴールドベルク変奏曲」に見る宇宙観
2014/05/05 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究1〜芭蕉の宇宙観
2014/04/15 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する7〜ある作曲家の論評
2014/04/01 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する6〜拝啓 神山典士様
2014/03/20 (木)  Jiijiのつぶやき〜春なのに
2014/03/11 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する5〜フィクサーXの存在
2014/03/01 (土)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する「最終回」〜長木誠司はとんでもない
2014/02/25 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する3〜許光俊の前代未聞の推奨文
2014/02/20 (木)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する2〜本当に知らなかったのか?
2014/02/16 (日)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する1〜空前絶後の事件
2014/02/10 (月)  Jiiijiのつぶやき〜春呼ぶクラシック
2014/01/25 (土)  クラウディオ・アバド追悼
2014/01/20 (月)  Jiijiのつぶやき〜年末年始エンタメ編
2014/01/10 (金)  Jiijiのつぶやき〜年末年始スポーツ編
2013/12/15 (日)  閑話窮題〜GlobalクリスマスSongs
2013/12/05 (木)  晩秋断章〜今年の秋は回帰がテーマ
2013/11/20 (水)  上原浩治&ボストンの奇跡2〜「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」
2013/11/10 (日)  上原浩治&ボストンの奇跡1〜それは「スイート・キャロライン」から始まった
2013/10/31 (木)  閑話窮題〜天野祐吉さん死す
2013/10/25 (金)  閑話窮題〜「ベートーヴェンとベートホーフェン」
2013/10/10 (木)  私的「下山事件論」最終回〜時代に殺された下山定則
2013/09/15 (日)  閑話窮題〜突然の贈りもの
2013/09/02 (月)  閑話窮題〜「風立ちぬ」を観て
2013/08/25 (日)  私的「下山事件論」5〜事件当時の情勢
2013/08/10 (土)  私的「下山事件論」4〜矢板玄の話 後編
2013/07/22 (月)  閑話窮題〜映画「25年目の弦楽四重奏」を見て
2013/07/20 (土)  閑話窮題〜サプライズ連発のコンサート
2013/07/17 (水)  閑話窮題〜ソムリエ検定奮闘記
2013/07/10 (水)  私的「下山事件論」3〜矢板玄の話 前編
2013/06/25 (火)  私的「下山事件論」2〜犯人の行動を追う
2013/06/10 (月)  私的「下山事件論」1〜事件の本質とあらまし
2013/05/25 (日)  閑話窮題〜風薫る季節に
2013/05/15 (木)  「魔笛」と高山右近12〜松本清張「モーツァルトの伯楽」を読んで
2013/04/25 (木)  「魔笛」と高山右近11〜高山右近は「魔笛」の中に生きている
2013/04/15 (月)  閑話窮題〜今年のマスターズは二日目15番タイガーの第3打で終わった
2013/04/10 (水)  「魔笛」と高山右近10〜モーツァルトに高山右近が降臨!
2013/03/25 (月)  「魔笛」と高山右近9〜ウィーンでの再会と「魔笛」への着手
2013/03/10 (日)  「魔笛」と高山右近8〜フリーメイソンへの入会
2013/02/25 (月)  「魔笛」と高山右近7〜人生最大の転機
2013/02/10 (日)  「魔笛」と高山右近6〜ミュンヘンからウィーンへ
2013/01/31 (木)  「魔笛」と高山右近5〜シカネーダーという男
2013/01/25 (金)  「魔笛」と高山右近4〜モーツァルトとウコンドノの接点
2012/12/25 (火)  「魔笛」と高山右近3〜「ティトス・ウコンドノ」という宗教劇
2012/12/10 (月)  「魔笛」と高山右近2〜モーツァルトとミヒャエル・ハイドン
2012/11/25 (日)  「魔笛」と高山右近1〜タミーノは高山右近か?
2012/11/05 (月)  大滝秀治最後の台詞に健さんが涙したわけ
2012/10/25 (木)  リアリズムよりリリシズム〜「あなたへ」を観て読んで
2012/10/20 (土)  村上春樹と尖閣問題とノーベル賞と そして、山中教授
2012/10/05 (金)  尖閣問題の真相〜それは田中角栄の不用意な発言から始まった
2012/09/05 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックE
2012/08/25 (日)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックD
2012/08/15 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックC
2012/08/13 (月)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックB
2012/08/10 (金)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックA
2012/08/07 (火)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピック@
2012/07/25 (水)  私の中の中島みゆき5−中島みゆきは“演歌”である4
2012/07/10 (火)  私の中の中島みゆき4−中島みゆきは"演歌"である3
2012/06/27 (水)  閑話窮題〜波動スピーカーなど
2012/05/31 (木)  閑話窮題〜風薫る季節の中で
2012/05/20 (日)  私の中の中島みゆき3−中島みゆきは"演歌"である2
2012/05/10 (木)  私の中の中島みゆき2−中島みゆきは"演歌"である1
2012/04/20 (金)  私の中の中島みゆき1〜私的一元的中島みゆき論
2012/04/05 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥D 記者会見発言の真相
2012/03/20 (火)  痛快!芥川賞作家田中慎弥C 作家としての石原慎太郎
2012/03/10 (土)  痛快!芥川賞作家田中慎弥B「共喰い」を読んで
2012/03/01 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥A「ポトスライムの舟」VS「神様のいない日本シリーズ」
2012/02/20 (月)  慎んで「懺悔の記」
2012/02/15 (水)  緊急臨発!もう一つの芥川賞作品を考証する
2012/02/10 (金)  痛快!芥川賞作家田中慎弥@「神様のいない日本シリーズ」の面白さ
2012/02/05 (日)  FM放送
2012/01/25 (水)  小澤征爾 日本の宝
2012/01/10 (火)  閑話窮題〜2012新年雑感
2011/12/25 (日)  閑話窮題〜2011今年も暮れ行く
2011/12/05 (月)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション31−40
2011/11/25 (金)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション21−30
2011/11/15 (火)  閑話窮題〜リュウちゃんのシューベルト超天才論
2011/10/31 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション11−20
2011/10/25 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション1−10
2011/10/13 (木)  「究極」ついに完成
2011/09/30 (金)  「ローレライ」は「春の夢」から生まれた
2011/09/20 (火)  「白鳥の歌」から
2011/09/11 (日)  「冬の旅」から
2011/08/31 (水)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻2
2011/08/25 (木)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻1
2011/08/15 (月)  「さよならドビュッシー」を読んで〜協和音の巻
2011/07/31 (日)  閑話窮題〜とんでもないサッカー論
2011/07/25 (月)  閑話窮題〜「なでしこジャパン」クラ未知的総括
2011/07/10 (日)  閑話窮題〜「シェエラザード」にまつわるエトセトラ
2011/06/30 (木)  大震災断章[9] 圧巻の長渕 剛
2011/06/20 (月)  大震災断章[8]届け!音楽の力〜海外アーティスト編
2011/06/05 (日)  大震災断章[7]赤子の特権で踊り捧げる
2011/05/25 (水)  大震災断章[6]自民党よ、あんたに言われる筋合いはない
2011/05/20 (金)  大震災断章[5]菅直人を戴く不幸
2011/05/12 (木)  大震災断章[番外編] 東北に捧げるアダージョ
2011/05/09 (月)  大震災断章[4] エネルギー政策の正しいあり方
2011/04/30 (土)  大震災断章[3] 原発をどうする
2011/04/25 (月)  大震災断章[2] 原発事故は人災
2011/04/20 (水)  大震災断章[1] 想定外は恥
 2011/03/23 (水)  シューベルト歌曲の森へ21 なんてったって「冬の旅」14
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる 最終回>
 2011/03/10 (木)  シューベルト歌曲の森へS なんてったって「冬の旅」13
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その4>
 2011/02/25 (金)  シューベルト歌曲の森へR なんてったって「冬の旅」12
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その3>
 2011/02/15 (火)  シューベルト歌曲の森へQ なんてったって「冬の旅」11
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その2>
 2011/02/05 (土)  シューベルト歌曲の森へP なんてったって「冬の旅」10
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その1>
2011/01/20 (木)  閑話窮題――地デジ化の効用
2011/01/10 (月)  シューベルト歌曲の森へO なんてったって「冬の旅」9<いかがなものかこの本は!>
 2010/12/25 (土)  シューベルト歌曲の森へN なんてったって「冬の旅」8
<「最後の一葉」は「最後の希望」がべース の根拠>
2010/12/10 (金)  シューベルト歌曲の森へM なんてったって「冬の旅」7 <シューベルトとオー・ヘンリー>
2010/11/29 (月)  シューベルト歌曲の森へL なんてったって「冬の旅」6 <「冬の旅」は僕の分身>
2010/11/19 (金)  シューベルト歌曲の森へKなんてったって「冬の旅」5 <これですべてが読めた!>
2010/11/10 (水)  シューベルト歌曲の森へJなんてったって「冬の旅」4 <シュ−ベルト戸惑う>
2010/10/28 (木)  シューベルト歌曲の森へIなんてったって「冬の旅」3 <ミュラー順番決定の真相>
2010/10/18 (月)  シューベルト歌曲の森へHなんてったって「冬の旅」 2<「勇気」におけるミュラーの事情>
2010/10/07 (木)  シューベルト歌曲の森へGなんてったって「冬の旅」1<曲順の謎>
2010/09/22 (水)  シューベルト歌曲の森へF法隆寺のリュウちゃん6「すぐに権威にならないで!」
2010/09/03 (金)  シューベルト歌曲の森へE法隆寺のリュウちゃん5「拙速は禁物」
2010/08/23 (月)  シューベルト歌曲の森へD法隆寺のリュウちゃん4「野ばら」は鈍感?
2010/08/09 (月)  シューベルト歌曲の森へC〜フェリシティ・ロット
2010/07/26 (月)  シューベルト歌曲の森へB〜法隆寺のリュウちゃん3「ひとまず 3大歌曲集以外へ」
2010/07/15 (木)  シューベルト歌曲の森へA〜法隆寺のリュウちゃん2「涙の雨」
2010/07/07 (水)  シューベルト歌曲の森へ@〜法隆寺のリュウちゃん1「三大歌曲集」
2010/06/24 (木)  シューベルト歌曲の森へ〜プロローグ
2010/06/07 (月)  シューベルト1828年の奇跡19〜キルケゴールとシューベルトA
2010/05/30 (日)  シューベルト1828年の奇跡18〜キルケゴールとシューベルト@
2010/05/10 (月)  ショパン生誕200年 独断と偏見による究極のコンピレーション
2010/04/22 (木)  シューベルト1828年の奇跡17〜ブレンデルとポリーニ3
2010/04/14 (水)  映画「ドン・ジョヴァンニ」〜天才劇作家とモーツァルトの出会い を観て
2010/04/09 (金)  シューベルト1828年の奇跡16〜ブレンデルとポリーニ2
2010/03/31 (水)  シューベルト1828年の奇跡15〜ブレンデルとポリーニ1
2010/03/21 (日)  シューベルト1828年の奇跡14〜内田光子の凄いシューベルト2
2010/03/11 (木)  シューベルト1828年の奇跡13〜内田光子の凄いシューベルト1
2010/02/24 (水)  シューベルト1828年の奇跡12〜アインシュタイン、その引用の謎C
2010/02/15 (月)  シューベルト1828年の奇跡11〜アインシュタイン、その引用の謎B
2010/01/29 (金)  シューベルト1828年の奇跡10〜アインシュタイン、その引用の謎A
2010/01/20 (水)  シューベルト1828年の奇跡9〜アインシュタイン、その引用の謎@
2010/01/11 (月)  永ちゃんとリヒテル
2009/12/25 (金)  シューベルト1828年の奇跡8〜ミサ曲第6番
2009/12/09 (水)  シューベルト1828年の奇跡7〜駒からはなれよ
2009/11/26 (木)  シューベルト1828年の奇跡6〜「グレート、この偉大な交響曲」E
2009/11/16 (月)  シューベルト1828年の奇跡5〜「グレート、この偉大な交響曲」D
2009/11/06 (金)  シューベルト1828年の奇跡4〜「グレート、この偉大な交響曲」C
2009/10/26 (月)  シューベルト1828年の奇跡3〜「グレート、この偉大な交響曲」B
2009/10/17 (土)  シューベルト1828年の奇跡2〜「グレート、この偉大な交響曲」A
2009/10/07 (水)  シューベルト1828年の奇跡1〜「グレート、この偉大な交響曲」@
2009/09/29 (火)  Romanceへの誘いG「ブラームスはワルツが好き?」
2009/09/21 (月)  Romanceへの誘いF「シューベルトはソナタが苦手?」その5
2009/09/16 (水)  Romanceへの誘いE「シューベルトはソナタが苦手?」その4
2009/08/31 (月)  Romanceへの誘いD「シューベルトはソナタが苦手?」その3
2009/08/24 (月)  Romanceへの誘いC「シューベルトはソナタが苦手?」その2
2009/08/17 (月)  Romanceへの誘いB「シューベルトはソナタが苦手?」その1
2009/08/03 (月)  Romanceへの誘いA「ドメニコ・スカルラッティとJ.S.バッハは同期の桜」
2009/07/20 (月)  Romanceへの誘い@「セザール・フランク二つの顔」
2009/06/29 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――3
2009/06/22 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――2
2009/06/15 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――1
2009/06/01 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――最終回
2009/05/25 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――8
2009/05/18 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――7
2009/05/11 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――6
2009/04/27 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――5
2009/04/13 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――4
2009/04/06 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――3
2009/03/30 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――2
2009/03/21 (土)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――1
2009/03/09 (月)  閑話窮題――チャイ5
2009/03/02 (月)  閑話窮題――「フィガロの結婚」真実の姿 後日談
2009/02/23 (月)  閑話窮題――もう一度吉田秀和を斬る
2009/02/09 (月)  生誕100年私的カラヤン考――最終章
2009/02/02 (月)  生誕100年私的カラヤン考――7
2009/01/26 (月)  生誕100年私的カラヤン考――6
2009/01/19 (月)  生誕100年私的カラヤン考――5
2009/01/12 (月)  生誕100年私的カラヤン考――4
2008/12/29 (月)  生誕100年私的カラヤン考――3
2008/12/22 (月)  生誕100年私的カラヤン考――2
2008/12/15 (月)  生誕100年私的カラヤン考――1
2008/12/01 (月)  ケネディ追悼 モーツァルト「レクイエム」に纏わる石井宏と五味康祐
2008/11/17 (月)  石井宏のこの一枚を聴け!
2008/11/10 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――7=エピローグ
2008/10/27 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――6
2008/10/13 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――5
2008/10/06 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――4
2008/09/29 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――3
2008/09/22 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――2
2008/09/15 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――1
2008/09/01 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 2
2008/08/25 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 1
2008/08/11 (月)  二つのバイロイトの第九――エピローグ
2008/08/04 (月)  二つのバイロイトの第九――その2
2008/07/29 (火)  二つのバイロイトの第九――その1
2008/07/14 (月)  続・ハイフェッツの再来
2008/07/07 (月)  ハイフェッツの再来
2008/06/30 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――最終回
2008/06/23 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――6
2008/06/16 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――5
2008/06/09 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――4
2008/06/02 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――3
2008/05/26 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――2
2008/05/21 (水)  「フィガロの結婚」〜3人の風雲児が産んだ奇跡の傑作
2008/05/19 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――1
2008/05/12 (月)  クラシック 未知との遭遇――プロローグ

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