クラシック 未知との遭遇
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2026/08/27 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜K364番外編7〜丙午の年のビートルズとベンチャーズ、そして美空ひばり

2026/07/31 (金)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編6〜桑田佳祐とユーミン
2026/06/29 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編5〜竹内まりやと山下達郎
2026/05/31 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編4〜中島みゆきの「黄金型」
2026/04/30 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜K364番外編3〜ベニー・グッドマンとビリー・ホリデイ

2026/03/31 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編2〜エディット・ピアフと越路吹雪
2026/02/28 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編1〜クラシック音楽編
2026/01/27 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 後編

2025/12/18 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 前編

2025/11/30 (日)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還
2025/10/27 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜トーマス・リンリー
2025/09/30 (火)  石井宏先生の想い出〜モーツァルトのことなど

2008年5月〜2025年8月のコラム
 2026.08.27 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜K364番外編7〜丙午の年のビートルズとベンチャーズ、そして美空ひばり
 今年は丙午。丙午生まれといえば八百屋お七が有名ですが、Wikipediaによると生まれは寛文8年(1668年)とある。これは丙午ではありません。なぜ? それはそれとして、前回の丙午は1966年でした。
 この年、私は大学3年生。学業はさておき、オーケストラ部の運営責任学年となり、元気溌溂、充実の学生生活を送っていました。前年から下宿を国分寺に移したことから、ダービー当日、下宿の連中と意気揚々府中競馬場に繰り出し、競馬/馬券を初体験。何も知らずに5種の単勝馬券を買って観戦。優勝は9番のテイトオーでしたが、掲示板の一番下に自分が持つ馬番が出たので「獲った獲った」と大騒ぎして払い戻し所に。そこでおばさんに「これは一着を当てる馬券、あんたのは5着だからハズレだよ」と諭されギャフン。とんだ競馬初体験でした。今は買うも払い戻すもすべて機械。味気ない時代になったものです。

(1) ザ・ビートルズとザ・ベンチャーズ

 1966年はビートルズ来日というメモリアル・イヤー。「ビートルズが教えてくれた」の吉田拓郎はじめ、矢沢永吉、ユーミン、南こうせつ、小椋佳、タケカワユキヒデ、奥田民生、福山雅治、斉藤和義、スピッツ等々、およそJ-POPのミュージシャン/ソングライターでビートルズの影響を受けなかった者はいないんじゃないかとさえ思います。ただ一人の例外を除いて。その人の名は山下達郎。RCA時代、彼とビートルズの話をしていた時、「僕は聞くと影響されるのがわかっているから、ビートルズは聞きません」とキッパリ言っていました。まっこうアンチ・ビートルズの意見。これもビートルズの影響といえばいえるでしょう。
 “影響”を通り越して、ビートルズを“目指して”福岡から上京したのが財津和夫をリーダーとするチューリップでした。先日のNHK「SONGS」の中で、財津はこう語っています。
九州から出て行った僕らも、リバプールから出て行ったビートルズになれるんじゃないか、なんて、とてつもない大望を抱いていました。衝撃を受けた曲はThere’s A Place。雑とも思える野性的なパワーと自由そのもの表現に心奪われました。
 ビートルズを目指したチューリップは、「心の旅」、「夏色のおもいで」、「青春の影」、「サボテンの花」、「虹とスニーカーの頃」など次々にヒットを飛ばしました。が、これらの中に「黄金型」はありません。一方、彼らが信奉するビートルズの膨大な楽曲の中にも、「黄金型」は聞き取れません。やはり、この師にしてこの弟子ありでしょうか。

 1960年代、ビートルズ以上に日本の楽壇に影響を及ぼしたのはベンチャーズかと。「東芝洋楽部の輝かしい日々」(森俊一郎著)によると、1965年度のベンチャーズのレコード売り上げはビートルズを上回ったとか。東芝EMI洋楽部は、この年の1月、来日したベンチャーズのライブ・レコーディングを敢行。そのアルバム「ベンチャーズ・イン・ジャパン」を夏の再来日時にぶつけ50万枚超の売り上げを記録。スピーディーかつアグレッシブな戦略で見事大ブレークを成し遂げました。
 来日は今日まで70回超を数え、この間、日本ではエレキブームの到来〜グループサウンズの隆盛など、ベンチャーズの影響は計り知れないものがあります。が、それ以上に特筆すべきは、歌謡界への楽曲提供ではないでしょうか。ヒット曲を発売順に下記。

二人の銀座 1966(作詞:永六輔 唄:山内賢&和泉雅子)
北国の青い空 1967(作詞:橋本淳 唄:奥村チヨ)
京都の恋 1970(作詞:林春生 唄:渚ゆう子)
京都慕情 1970(作詞:林春生 唄:渚ゆう子)
雨の御堂筋 1971(作詞:林春生 唄:欧陽菲菲)

 さて、この中に「黄金型」はありやなしや・・・・・

二人の銀座は、もともと「Ginza Nights」というインストゥルメンタル曲でしたが、永六輔が詞を付けて歌謡曲仕立てにしたもの。「黄金型」は、Cメロの「銀座ふたりだけの〜星もネオンも」の下線部分に現れます。
北国の青い空は、出だしの「風に巻かれた」からしてまごうことなき「黄金型」です。
京都の恋は、「恋によごれた女は 明日から 白い京都の片隅で 想い出を捨てるの」の下線部分に「黄金型」がはっきりと聞き取れます。
もう一つの京都モノ「京都慕情」には「黄金型」はなく、「ヨナ抜き長音階」で出来ています。“恋に汚れた”女を歌う「京都の恋」は情感の音形「黄金型」、京都の景色など長閑な叙情の「京都慕情」はヨナ抜き音階で作る。日本を知り尽くしたザ・ベンチャーズの曲作りのスキル、感服するばかり。
雨の御堂筋は、Bメロの「夜の いちょう並木は枯葉をおとし」下線部分が「黄金型」です。

 このように、ベンチャーズ歌謡曲は「黄金型」のオン・パレード。翻って彼らのインスト曲ではどうかといえば、わずかに「急がば回れ Walk Don’t Run」の中に見られるくらい。それも「ミラシド」のミ→ラが下降という変則系となっています。これは「黄金型B」と名付けておきましょう。
 ザ・ベンチャーズは、日本の歌謡界のために、「黄金型」を駆使してヒット曲を量産してくれた大恩人アーティストである ということができます。

(2) 美空ひばり「悲しい酒」の不思議

 大瀧詠一は日本語ロックの創始バンド「はっぴいえんど」のメンバーですが、その根底に持つ歌謡曲への造詣の深さは半端ありません。1989年12月NHK-FM放送、美空ひばりを語りつくす「ひばり島珍道中」は、そんな彼の蘊蓄満載のラジオ特番。この音源は我がジャズの師BrownieK氏から譲り受けたもの。洋楽畑の彼がなぜこれを録音したのか。これも謎?

 この中で、大瀧氏は「もしひばりさんの最高作が『悲しい酒』1966(作詞:石本美由起 作曲:古賀政男)でなかったとしたら、どういう風な特番になるか。これが本日の眼目です」と切り出して、変わった珍しいひばり楽曲を数々披露。最後に「悲しい酒」に言及します。以下、番組を再現してみましょう。
まずはこの曲、「ロカビリー剣法」1958。これぞひばりさんの最高作!? ロカビリーといいながらこれはブギウギですがね。そういえば、ひばりさんのデビュー曲も「河童ブギウギ」1949でした。そして、「日和下駄」1954。これはブギウギ・ピアノと永井荷風の世界の融合作品。着想が凄い。お次は「リンゴ追分」1952。この曲は、謂わば、ジャズと追分のミックスという実験作品。実験作を普通に流行歌にしちゃうひばりさんの凄さには感服あるのみです。「クリスマス・ワルツ」1953も秀逸。これ、ひばりさんの最高歌唱の一つじゃないでしょうか。クリスマス・ソングといえば「ホワイト・クリスマス」など外国曲専門の時代に日本のクリスマス・ソングを歌う。山下くんの「クリスマス・イブ」の先駆でしょう。先駆といえば、さきほどの「ロカビリー剣法」はじめ、「ひばりのツイスト」、「ひばりのチャチャチャ」、「すたこらマンボ」、「お祭りマンボ」、「ひばりのドドンパ」などなど、これらは橋幸夫さんのリズム歌謡に先んじます。
レコード大賞受賞のグループサウンズの雄ブルーコメッツと共演したのが「真赤な太陽」1967。シャープス&フラッツの原信夫さんの作曲。原さんにはこの他に「むらさきの夜明け」1968という佳曲があります。そういえば村田英雄さんにも「太陽に祈ろう」というGS楽曲がありました。で、「真赤な太陽」ですが、この曲、実は黛ジュンが企画アルバムのために録音しているんです。が、結果はお蔵。これは、当時、日本のレコード会社は歌手も作家も専属制をとっていて、業界には「持ち歌」という概念がまだ蔓延っていたからでしょうかね。

とはいえ、もし「他人の楽曲歌うべからず」が絶対的約束事だったとしたら、この曲はこの世に存在しなかったことになります。美空ひばりさんの「悲しい酒」です。これ、ひばりさんのオリジナルではありません。北見沢惇さんという方が1960年に発表された曲なんですね。それを6年後の1966年、ひばりさんがカバーして「日本の最高作」となったわけです。
 このように、大瀧さんの放送は面白いことこの上なしです。「ロカビリー剣法」は、机竜之介、柳生但馬守、千葉周作、鞍馬天狗、丹下左膳、国定忠治など名だたる剣豪・師範が続々登場、大瀧さんの「最高作?」の判定には肯けますね。日和下駄リンゴ追分は「黄金型」内包ですが、これを機会に、私手持ちのひばりCDで「黄金型」の存在をチェック。その結果を列記しておきます・・・・・越後獅子の唄、私は街の子、ひばりの花売り娘、あの丘越えて、娘船頭さん、ひばりの三度笠、哀愁波止場・・・・・思ったよりたくさんありました。

 「悲しい酒」の北見沢ヴァージョンの尺は3:32。ひばりヴァージョンは3:53。ひばりの方がややスロー・テンポ。これは、同じ古賀政男作品「影をしたいて」の藤山一郎(オリジナル)と森進一(カバー)の差異に似ています。放送中、大瀧氏は「北見沢の唱法は『影をしたいて』の藤山一郎に倣ったもの」という興味深いコメントを発しています。

 大瀧詠一が「日本の最高作」と判定した美空ひばりの悲しい酒は「黄金型B」でした(別れ涙のあじがする)。1コーラス後にセリフが入りますが、これは発売後に付加したもの。これについてはこんな逸話が残っています。
1966年6月10日、「悲しい酒」発売に合わせ、美空ひばり「お七かんざし〜栄光の歌声」と題する新宿コマ劇場座長公演が6月7日に開幕した。ひばりはそのリハーサルで、レコーディング時よりも遅いテンポで歌ってみた。この方が情感が乗る、しかし、間奏で間伸びがする。そこで、即、作詞の石本美由起に「1番と2番の間にセリフを入れたいの」と要請。コマ劇場で初披露すると、そこかしこからすすり泣きが聞こえてきた。以後、ステージではこのスタイルで歌うことに。レコードも、翌年3月15日発売の4曲入りEP盤を皮切りにセリフ入りが定着した。因みにオリジナル盤3:53に対しセリフ入りは4:51となっている。
 最後に、今は亡きある評論家先生が呟いていたミステリー話を付け加えさせていただきます。
美空ひばりの「悲しい酒」がカバーだというのは知ってるよね。これ、6年前に北見沢惇という男の歌い手が歌ったのがオリジナル。ひばりにこの話をすると嫌そうな顔をしていたよ。自分の持ち歌と思いたかったんだね。北見沢はどうなったか。ひばりの発売日の約2か月後の8月9日、自堕落な生活の果てに病死したとされている。でも俺はどこかきな臭いものを感じる。ひばりが三代目に可愛がられていたのは周知の事実。彼女の興行を行うために神戸芸能社まで作っちゃったんだからね。カバーを嫌がっているひばりに忖度して何かが動いたんじゃないかと。無論これは俺の想像に過ぎないし、ひばり本人があずかり知らぬことではあるけれど、カバーの発売日とオリジナル歌手の死の奇妙な符号が、何かを感じさせるんだよな。
 次回の「黄金型」話もお楽しみに。おあとがよろしいようで。

<参考資料>
「ひばり島珍道中」〜NHK-FM1989年12月O.A.録音CD
「東芝EMI洋楽部の輝ける日々」(森俊一郎著 シンコーミュージック)
「ひばり伝〜蒼穹流謫」(斎藤慎爾著 講談社)
 2026.07.31 (金)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編6〜桑田佳祐とユーミン
 39日間にわたって繰り広げられたFIFAワールドカップはスペインの優勝で幕を下ろしました。連日の熱い闘いはなかなかでしたが、熱戦の裏に垣間見えるFIFAの金権主義と権威志向は、興ざめの極。インファンティーノ会長とトランプの見え見えの蜜月ぶりも胸クソ悪し。ワールドカップお前もか!世界はどんどん悪くなる!! 選手に罪はないんですがね。
 森保ジャパンは、またもや決勝ラウンドの初戦で敗退。最高の景色どころか新たな景色も見ることなく終わってしまいました。史上最強のチーム、世界との差は著しく縮まっている、目標は優勝。これらの掛け声も虚しい結果となりました。前回大会で日本に負けたスペインが優勝。初出場のカボベルデの健闘、ランキング31位のノルウェーが日本を破ったブラジルを撃破する。日本は、確かに力はつけているかもしれないけれど、世界はもっと強くなっている。この状況を素直に受け止めて再出発するしかないですね。たゆまなき努力あるのみ。期待しましょう。

 さて、今回は達郎&まりや夫妻とも仲の良い桑田佳祐(1956-)&原由子夫妻のサザンオールスターズを取り上げましょう。

 サザンオールスターズ(SAS)の大ヒット曲チャコの海岸物語(1982)は紛れもない「黄金型」。冒頭の「海岸で若い二人が」に始まって、1コーラスの中に全部で3度出現します。これまさに「黄金型」の権化といえるでしょう。
 因みに、チャコとは飯田久彦氏のこと。1960年代、「悲しき町角」、「ルイジアナ・ママ」、「花咲く街角」などスマッシュ・ヒットを連発。洋楽カバー時代のアイドル的存在でした。その後、裏方に転じ、ビクター音楽産業(株)ではディレクター/制作部長としてピンクレディーを筆頭に数々のアーティストを育て、会社の屋台骨を支えました。その後はテイチクの社長、エイベックスの役員を歴任、業界の顔として長年活躍し続けました。もしかしてまだ現役なのかな?
 そんな飯田さんですが、この方、偉いのに、とにかく腰が低い、人当たりがいい、謙虚、優しい。誰からも好かる人格者でした。あの桑田くんが「心から好きだよ」と歌うのですから間違いありません。
 ミュージシャンから音楽業界への転身組は数多ありまして、ザ・スパイダーズの田辺昭知(田辺プロダクション社長)、ザ・リガニーズの新田和長(BMGファンハウス社長)、ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫(コロムビア ディレクター)、トワ・エ・モアの芥川澄夫(東芝EMI ディレクター)、アダムスの松崎澄夫(アミューズ社長)、ソルティー・シュガーの山本コウタロー(音制連会長)、高橋隆(ビクター音産 ディレクター)、NSPの平賀和人(キャニオンレコード ディレクター)、パープル・シャドウズの岡村右(BMGディレクター)、ザ・ボルテージの蛎崎広柾(BMGディレクター)等、最後の二人を除いて、錚々たる面々が並んでいます。

 匂艶THE NIGT CLUB(1982)のエンディング「匂う女の舞うトルバドール」の部分にも「黄金型」がクッキリと聞こえます。
 この歌、NIGT CLUBで男も濡れる 女も立たす 薄手のブラ 裸の中身も透かす 身体ごとナメるように ・・・
・・エロチックなワードが脈絡なく連なって、挙句は「匂う女の舞うトルバドール」と来る。一体ナンノコッチャと思わせながら、エロい熱気がビンビンと伝わってくる。タイトルも“虹色”ならぬ“匂艶”。言霊の魔術師桑田佳祐の真骨頂といえるでしょう。

 桑田が中村雅俊に提供した恋人も濡れる街角(1982)はエロさきわどいエキゾチックなバラードの名品。冒頭からドンピシャの「黄金型」となっています。

 Wikipediaによると、桑田はこの歌、内山田洋とクール・ファイブの「恋は終わったの」(1971)をイメージして書いたそうです。2コーラス目、「あなたに抱かれた砂浜に」の部分に「黄金型」が聞き取れます。「恋は終わったの」はクール・ファイブのシングル「愛のいたずら」(1970)のB面。当時、RCAレコードの営業マンだった私は、「愛のいたずら」のワルツ・テンポと洒落たメロディー・ラインに新鮮味を覚え、これはイケルと思ったものでした。ところが、隣に坐る同僚の小嶋正義は「これは売れない。B面の『恋は終わったの』をA面にすべきだ」と上奏します。結局これは通りませんでしたが、「愛のいたずら」は不発に終わり、小嶋くんの意見が正しいことが証明されました。以後、彼の意見は営業イニシャル数字の確かな指針となったものです。あれから半世紀。彼との飲み会は現在もまだ続いています。
 「恋は終わったの」の作者は、ラテンバンド・東京パンチョスのリーダー・チャーリー石黒さんです。彼のご子息は、宣伝物等製作業の社長をしており、RCA宣伝時代に良好なお付き合いがありました。また、内山田洋とクール・ファイブのディレクターは山田競生さんで、この方、和田弘とマヒナスターズのベーシストでした。元祖転身組といえるでしょう。

 SASは「いとしのエリー」のビッグ・ヒットのあと、レコード売り上げが急降下、原由子が体調を崩しバンドを離れたことも響いたのか、ちょっとした低迷期に入ります。その間に、桑田は原由子と結婚。巻き返しを図ったのが1982年でした。1月に「チャコの海岸物語」、5月に「匂艶THE NIGHT CLUB」、9月には「恋人も濡れる街角」とビッグ・ヒットを連発。水を得た魚の如く甦ります。この1982年からを「SAS第2次黄金期」という向きも。黄金期到来を象徴する勢いとエロティシズムの3曲がすべて「黄金型」。この事実はなんとも嬉しい気がします。

 SASの所属プロダクション「アミューズ」とは浅からぬ縁がありました。私が創美企画からBMGビクターに戻ったのが1993年。以後、福山雅治のスター化での協業、音楽市場開拓のための二度にわたる中国への渡航、SASの通販商品への借用等々、長い間、真に良いお付き合いをさせていただきました。アイディアに溢れ、情熱をもって事に当たる紳士的なアミューズの皆さんには感謝あるのみです。

 お次はユーミン松任谷由実(1954-)とまいりましょう。ユーミンの歌との出会いは大学時代の下宿のお嬢ちゃんでした。そこの大家さん一家とは、卒業後も、互いの故郷を行き来するなど、家族ぐるみで仲良くさせていただいて、自分の結婚式の仲人までお願いすることになりまして。その時お宅で、中学生の娘さんがピアノの弾き語りで聞かせてくれたのが、ユーミンの「ひこうき雲」でした。あまりに見事な演奏に、即座に、「理枝子ちゃん、是非うちらの結婚式で演ってよ」ということになりました。1975年6月7日、如水会館での結婚式で披露された「ひこうき雲」は感動のパフォーマンス。しかし、後になって考えてみると、この歌「幼子が死んでしまう」歌、結婚式には全く相応しくない曲なんですね。当時、歌詞の意味を深く考えないでオファーしたオソマツでした。近年、彼女と会うと、「あのときウチラは思慮不足」と笑い合っています。彼女は、ムード歌謡の人気グループ「純烈」のメンバー後上翔太の母であります。

 前置きが長くなりました。ユーミンの「黄金型」はまちぶせ(1976)の決めフレーズ「好きだったのよあなた」に存在します。これは、三木聖子〜石川ひとみへの提供楽曲で、自身が歌う楽曲に「黄金型」は見当たりません。そういえば、竹内まりやの「黄金型」楽曲「駅」も他人への提供曲。山下達郎にはナシ。もしかして、「黄金型」はシティ・ポップスには縁遠いのかもしれません。

 先日、「昭和・平成・令和 女性アイドル50年の歴史」なる特番(テレビ朝日)がありまして、そこにはおよそ120の楽曲が登場しました。その中で、「黄金型」を有するのはこのユーミン作の「まちぶせ」と中島みゆき(1952-)が柏原芳恵に提供した春なのに(1983)の2曲だけでした。アイドルにも「黄金型」は馴染まないのかもしれませんね。

 話がちょっと横道にそれますが、「好き」というワードに「まちぶせ」以外に「黄金型」があるか否かを調べてみました。

  西郷輝彦「星のフラメンコ」〜好きなんだけど 離れてるのさ
  島倉千代子「からたち日記」〜こころで好きと叫んでも 口では言えぬ
  フランク永井「霧子のタンゴ」〜好きだから とてもとてもとても
  鶴田浩二「好きだった」〜好きだった 好きだった 嘘じゃなかった好きだった
  青江三奈「長崎ブルース」〜泣いてすがれば 好きだと抱いて
  木村友恵「浪花節だよ人生は」〜好きと言われてその気になった
  ロスインディオス&シルヴィア「別れても好きな人」〜別れても 好きな人
  吉幾三「雪國」〜好きよあなた 今でも今でも
  カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」〜好きさ好きさ好きさ 忘れられないんだ
  黛ジュン「天使の誘惑」〜好きなのに あの人はいない
  南沙織「17才」〜好きなんだもの 私は今 生きている
  松田聖子「青い珊瑚礁」〜あなたが好き!

 とまあ、ちょっと思いついただけでもこんなにあります。「好き」は演歌、歌謡曲、J-POPには欠かせないワードです。ところがここに「黄金型」は存在しません。「まちぶせ」は「好き」という常套句にあまり馴染みのない「黄金型」をあてはめて、女心の切なさを巧みに表現。ユーミン、流石の凄技といえるでしょう。

 前々回から、「黄金型」を中島みゆき〜山下達郎〜松任谷由実〜竹内まりや〜桑田佳祐の中に見てきましたが、ここで面白い事象を発見しました。私、松本清張の「時刻表」ならぬ、有名人の生年月日ファイリングが趣味でして、彼ら5人を調べてみました。それによると。

  中島みゆき 1952年2月23日
  山下達郎  1953年2月 4日
  松任谷由実 1954年1月19日
  竹内まりや 1955年3月20日
  桑田佳祐  1956年2月26日

 彼らは各々、年に一人ずつ順番に生まれ、しかも全員が早生まれ! という事実が判明しました。だから何なのよ、と言われればそれまでですが、面白い並びだとは思いまませんか。これJ-POPスーパースターの法則!?・・・・・次回は、「黄金型」の宝庫 演歌・歌謡曲に踏み入りましょう。

<参考資料>
CD「海のTeah!」(サザンオールスターズ)
 2026.06.29 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編5〜竹内まりやと山下達郎
 サッカー・ワールドカップは只今真っ盛りです。1930年に始まってこれまで22の優勝を数えますが、優勝国を調べると、凄い偏りがあることが判ります。友人に「1回しか優勝してない国はいくつある?」と訊くと、「そうね、5か国くらいかな」あたりが相場。ところがドッコイ、答えは2か国。1966年のイングランドと2010年のスペインのみ。他はすべて複数優勝国ばかり。5回のブラジルを筆頭に、ドイツとイタリアが4回、アルゼンチンが3回、ウルグァイとフランスが2回 というわけです。
 そんなワールドカップに「優勝」を掲げた森保JAPANのクソ度胸は称賛に値します。「そんなの無理よ」という向きがあるのも解るけど、「もしや」と思って見られる楽しさを与えてくれた森保JAPANには感謝あるのみです。あと数日、ワクワクしながら大いに楽しみたいと思います。頑張れニッポン!!

 今回の「黄金型」は竹内まりや。デビュー30周年を記念した集大成的アルバム「Expressions」2008を軸に楽曲を考察してみましょう。
 「Expressions」には、山下達郎書き下ろしの解説があり、その中で彼は、デビューから2008年まで30年間の竹内まりやの音楽活動について述べています。
竹内まりやは1978年のデビューから1981年までの3年余をRCA(現BMG)で過ごした後、しばらくの休業期間を経て、1984年にムーン・レコードに移籍、それから現在までは、ずっと、ムーン・レーベル(現WMJ傘下)で作品を発表してきました。30年間にレコーディングされた作品の総数は150曲を数えます。
彼女の音楽活動をふり返ってみますと、おおよそ3つの形態に大別されます。
初期のRCA時代には、他の作家から提供された作品を歌う「シンガー」としての活動が主でしたが、ムーン・レーベルに移ってからは、自作自演の「シンガー・ソングライター」へとスタイルを変えて行きます。また、それとは別に「ソングライター(作詞作曲家)」として他のシンガーへの作品提供も活発に行ってきました。
 これに従って竹内まりやのヒット曲、代表曲を挙げておきましょう。私の好みもあるため多少の偏りはご容赦ください。

<RCA時代>1981-1984
「戻っておいで私の時間」1978、「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風」1978、「September」1979、「不思議なピーチパイ」1980、「リンダ」1981

<WMJ時代>1984-2008
「本気でオンリーユー」1984、「プラスティック・ラヴ」1984、「けんかをやめて」1987、「駅」1987、「シングル・アゲイン」1992、「告白」1992、「家に帰ろう」1992、「毎日がスペシャル」2001、「天使の ため息」2001、「返信」2007、「人生の扉」2007、「うれしくてさみしい日」2008

 デビュー二年目の1979年、竹内まりやは「September」でレコード大賞最優秀新人賞を狙いましたが、「私のハートはストップモーション」の桑江知子に敗れてしまいます。何を隠そう(隠すほどの事じゃありませんが)、小生この年、竹内まりや/山下達郎らが所属するRCAレコード第2宣伝課長を仰せつかっていました。審査員に集まってもらっての懇親会やら、TBSや傘下の地方局への挨拶回りやら、なにかと大変なプロモーション活動でした。まりやさんも、そのアーティスト性から、決してやりたい仕事ではなかったでしょうが、嫌な顔一つせず、前向きに活動してくれました。最優秀は逃したものの、彼女並びに我々スタッフが最も欲しかった賞は、翌年春の「東京FMリスナーズ・グランプリ」でした。この賞はレコ大と違って、何のしがらみもない、純粋にリスナーの投票だけで決まるもの。「これは絶対にいただこう」と期待を持っていましたが、あろうことに超ド級の嵐が吹き荒れてしまいます。久保田早紀の「異邦人」でした。1979年10月1日発売のこのシングルは、サンヨー電器TV-CMの効果とも相まって急激にヒチャートを上昇、年末〜年始にかけて爆発的なヒットを記録。「リスナーズ・グランプリ」に輝いたのです。

 捲土重来を期して迎えた翌年、1980年2月5日、竹内まりや「不思議なピーチパイ」をリリース。資生堂春のキャンペーン・テーマ曲でした。前年、満足した成果を上げられなかったため、このプロモーションには気合が入り、シングルとアルバム「LOVE SONGS」(3月5日発売)を連動させたキャンペーンを北海道から九州までくまなく行いました。福岡でのキャンペーンの3月20日はまりやの誕生日。朝から夕方まで、RKB、KBCなど地元のラジオ局、有線放送、タウン誌、特約店などを回り、夜、営業所の人たちと我々スタッフで「竹内まりや 誕生お祝い会」を行いました。その中で、「岡村さんたちと、こんな形でお誕生日を祝ってもらえるなんて・・・
・・」というまりやさんの言葉が鮮明に印象に残っています。本人は覚えてないでしょうがね。
 シングル「不思議なピーチパイ」は大ヒット。アルバム「LOVE SONGS」もチャート1位を獲得。勝負の年は大きな成果をもたらしました。

 東京へ戻って数日後のある日、まりやのディレクターの宮田茂樹くんが、「岡村さん、まりやと達郎、ひょっとするとひょっとするかもしれませんよ」と、出社早々、息せき切って私のデスクにやってきました。聞けば「昨日、FM横浜の番組に私が立ち会って、二人が出たのは知ってますよね。番組終了後、局を出るともう夕暮れが迫っていて、海岸の方に行こうということになって、私と彼ら二人で山下公園あたりに行ったんですよ。一時間くらい一緒にいたかなあ。自分は仕事があったのでその場を離れたのですが、彼らは『もう少し話していく』かなんか言ってまだそこに残ってました。あの様子じゃそのまま朝までいたんじゃないかなあ」・・・・・二人は、その後、1982年4月6日結婚。彼らを結び付けたのは横浜の海岸だったかもしれません。披露宴は飯倉のアメリカンクラブ。私も担当スタッフとして参列しました。引き出物の真っ赤な縁取りの柱時計は今も私の書斎で時を刻んでいます。

 では本題に戻りましょう。「Expressions」にはデビューから30年間のまりやの楽曲から、彼女自身の思い入れのある作品とファン投票によって選ばれた人気曲など全42曲が収録されており、曲ごとに、まりや書き下ろしの解説文が付いています。このペラ1枚のキャプションは、曲作りの経緯や動機、関わった人々、その時の自身の状況、曲に対する思い、タイアップ等、主観的客観的情報が、200字の中に丁寧かつ十分に盛り込まれており、軽妙な筆致と相まって実に見事なもの。彼女のセンスの良さが覗えます。

 全42曲の中で「黄金型」は唯一のみ。出だしの「見覚えのある」がドンピシャの「黄金型」です。このキャプションを下記。
今回のリクエスト投票で、みごと第1位を獲得した楽曲。’86年に中森明菜さんのアルバム用の依頼が来た時、テーブルに彼女の写真を並べて、情景イメージが出て来るまでずっと見つめていました。せつない恋物語が似合う人だと結論を得た私が、めずらしくマイナーコードで一気に書き上げたこの曲を、のちに自分も歌い、今のようにスタンダードな存在になっていくとは夢にも思いませんでした。明菜ちゃんからの依頼がなければ書けなかった歌です。
 まりやが“めずらしく”と記したマイナーコードの曲が、このアルバムの中に、いくつあるかと数えてみたら、「駅」の他に「シングル・アゲイン」、「告白」、「天使のためいき」、「返信」の5曲。ここでは「死」までテーマが及ぶ。マイナーコードがまりやの作家としての幅を広げたことは確かでしょう。マイナー楽曲の割合は全42曲中11.9%でした。
 因みに、大作曲家のマイナーコード楽曲の割合を調べてみました。大作曲家といえばモーツァルトとベートーヴェン。この二人の交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタにおけるマイナーコードの割合は、モーツァルトは7/108で6.5%、ベートーヴェンは17/62で27.4%。まりやはその中間ややモーツァルト寄りでしょうか。このあたりにもまりやの音楽性の一端が覗われます。

 「家に帰ろう」について、まりやはこんなことを言っています。
倦怠期の夫婦がテーマというのは難題だったけど、“それを越えてゆく愛情”を描いてみるのも面白いのでは、と挑戦しました。今になってこの歌を聴くと、まるで熟年離婚を防ぐための処法のような歌詞を、30代の自分がなぜ書けたの不思議に思います
 この歌に私は、堀内敬三訳「私の青空」のテイストを感じます。曲は両者A-B-Aの単純な三部形式。詞についても、「私の青空」の「狭いながらも楽しい我が家 愛の日影がさすところ My Blue Heaven」と「家に帰ろう」の「いちどは信じ合えたあなたなら 心帰る場所はひとつ いつものMy Sweet Home」。両者の共通性を感じます。

 「うれしくてさみしい日」は従妹に頼まれて、彼女の長女の結婚式に、BGMとして流しました。「母親から花嫁へのはなむけの歌って意外と少ない気がする。それを歌うのに十分な年齢に達したこともあり、娘を嫁がせる親の気持ちを書いた」というまりや。「バージンロードを進んでゆく 晴れ姿が涙で見えない」。従妹もそんな気持ちだったのでしょう。

 「毎日がスペシャル」は「雨で始まるウィークデイ やりそびれた宿題 5秒違いで電車を逃す などユーウツの種ばかり でも何でもない一日が実はすごく大切 人生は心の持ち方でどうにでもなる」とまりや特有のポジティブ思考。この歌を聴いていると、ヴィム・ヴェンダーズ監督の「PERFECT DAYS」を連想します。何気ない毎日こそがSPECIAL=PERFECTなんですね。

 「人生の扉」も心に沁みます。ここでまりやは「50歳をこえると、時や自然の移ろいを愛おしく思い、あと何回見ることになるだろうと考える自分に気づく」と記しています。80歳をこえた当方はなおさらで、桜が咲くたびに、マスターズを観るたびに、ワールド・シリーズを迎えるたびに、ワールドカップもオリンピックも、あと何回体験できるだろう と思うのであります。
 「人生の扉」は I say it’s fun to be 20からBut I’ll maybe live over 90 まで、8年代ごとに気持ちが歌われます。これを聴いていて、孔子の「論語」を想起しました。下記これを対比しておきましょう。

      まりや           孔子
      20 Fun          学に志す(15歳)
      30 Great          立つ
      40 Lovely        惑わず
      50 Nice         天命を知る
      60 Fine         耳順がう
      70 Alright        心欲するままに矩を越えず
      80 Still Good
      90 maybe Live

 80歳はStill Good〜まだまだイケル・・・・・うれしいネ!

 特約店懇親会で、「すてきなヒットソング」を屈託なく歌う瞳の大きなスリムな女の子が、時を経て、愛〜失恋〜別れ〜生死〜人生にまで表現の幅を広げる・・・・・感無量なものがあります。半世紀にわたる竹内まりやのアーティスト生活において、多少なりとも関われたことは、我が会社員人生において誇りあるひと時だった ことは間違いありません。

<参考資料>
CD 竹内まりや「Expressions」(WMJ)
DVD 映画「PERFECT DAYS」
 2026.05.31 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編4〜中島みゆきの「黄金型」
 これまであれこれ見て来た「黄金型」、今回から日本の歌に入ります。わが国の西洋音楽の祖は滝廉太郎。彼の代表作は荒城の月。これぞ典型的な「黄金型」ですから、ここからはワンサカワンサカ出現する予感。大いに楽しみです。

 トップバッターは我が敬愛する中島みゆき(1952−)といきましょう。彼女の歌と出会ったのは、1975年。担当していた高円寺のレコードショップの店主から「これいいよ」と渡されたシングル盤が「アザミ嬢のララバイ」、中島みゆきのデビューシングルでした。当時、彼が、これぞというシングル盤を貸してくれて、カセットテープに録音するのが常でした。いまでいうプレイリストですかね。「アザミ嬢のララバイ」は「春は菜の花 秋には桔梗 そしてあたしは いつも夜咲く アザミ」というリズミカルな詞にアップテンポ/マイナー調のメロディーがとてもシャレていて印象的でした。そしたら、その秋、ヤマハ世界歌謡祭で「時代」がグランプリを獲得。坂本九の「エントリーナンバー30 日本 作詞作曲中島みゆき 曲 『時代』」のアナウンスが今でも耳から離れません。
 中島みゆきはこのあと、ほぼ年一のペースでアルバムを発表、着実な歩を進めていたデビュー3年目にわかれうたのビッグ・ヒット(初のチャート1位)が生まれます(1978)。この歌のサビ「別れはいつもやってくる」がまさに「黄金型」です。「わかれうた」は4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に収録されていますが、この中の「化粧」という曲がまた強烈です・・・・・見捨てられた女が、「死んでやる、その前に」と男に会いにゆく。慣れない化粧をして。私の死に顔を見て「こんないい女だったのか」と思わせるために・・・・・なんという怨念、女の情念。でもそのあと、そっと呟く「流れるな涙、心でとまれ バスが出るまで」という強がり/いじらしさのフレーズにグッときたものです。その頃、「中島みゆき、いいね」と言うと、「俺は嫌いだ。暗すぎる」という友人が多かった。原点である「時代」は再生の歌なのにこの感想は、やはり、暗さの印象がいかに強烈かの証でしょう。みゆきさんはこの後、暗さは第7作「生きていてもいいですか」(1980)あたりで影を潜め、以後は市井の人々への応援歌 といった趣が増してゆきます。
 話を「わかれうた」に戻しますが、この歌の「黄金型」は、以前取り上げたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第2楽章を彷彿とさせます。中島とチャイコフスキー。どこか似たテイストがあるような気がします。

 中島みゆきのシングル盤チャート1位は、このあと、「悪女」(1982)、「空と君のあいだに」(1994)「地上の星」(2000)と続きます。1970年代から10年世代ごと4世代にわたっての1位獲得は史上初でした。
 空と君のあいだにの「黄金型」はサビの「空と君とのあいだには」の「きみとの」にクッキリと出現します。この曲は日テレ系ドラマ「家なき子」の主題歌。登場する犬のリュウの目線からの詞。「地上の星」はツバメ目線の詞。みゆきさんの動物目線は時に優しく時に鋭くとても魅力的なのです。でも、決してないのが「上から目線」です。
 地上の星は冒頭の「風の中のすばる」がドンピシャの「黄金型」。この歌はNHK「プロジェクX」の主題歌。C/Wはエンディング・テーマの「ヘッドライト・テールライト」。チャート1位獲得は2003年1月20日、発売から3年目でした。これは、なんといっても紅白2002初出演の賜物でしょう。この時、みゆきさんは極寒の黒四ダムから歌いました。そこでなんと、2コーラス目の歌詞を失念、そのあとも立て直しが利かずシャバダバになってしまいます。その後、みゆきさん、コンサートなどでこれを自虐ネタとして笑いを取る。失敗を逆手に伝説を作る。まさに大物ですね。
 4作のナンバー1シングルの内3作が「黄金型」のみゆきさんは「黄金型」の女王といえるでしょう。このあとは「黄金型」から離れて、中島みゆきとチャイコフスキー(1841-1893)の関連を考察してみたいと思います。

 中島みゆき7枚目のアルバムは「生きていてもいいですか」(1980)という物騒な(?)タイトル。第1曲「うらみ・ます」は「ふられたての女はだましやすい」と誰かと賭けた男のことが許せないという強烈な恨み歌。この曲の冒頭はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の冒頭のメロディーと瓜二つ。チャイコフスキーは、当時パトロンからの援助が打ち切られて落胆の只中にあったわけで、「うらみ・ます」の悲痛さと相通じるものがあるのでしょう。ところが、これに続く第2曲「泣きたい夜に」では、一転して「泣きたい夜に一人でいるとなおさらに泣けてくる 一人はいけない あたしのそばにおいで」と温かい手を差しのべる。このあたりがみゆきさんの優しさなのですね。これはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」に通じるものがあります。「アンダンテ・カンタービレ」は弦楽四重奏曲第1番の第2楽章。小学5年生のとき、担任のT先生が「これ家に帰って聴いてもいいぞ」とSPレコードを貸してくださったことを思い出します。喜び勇んで歩いた帰り道、SPレコードのズッシリとした重みが今でもはっきりと残っています。演奏は、後に読んだあらえびす著「名曲決定版」(上)によると、エルマン四重奏団だったかもしれません。

 前述、「化粧」は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の想い出」に通じるものがあります。チャイコフスキーのこの曲はモスクワ音楽院の院長ニコライ・ルービンシュタイン(1835-1881)の死を悼んで書いたもの。チャイコフスキーはそのときルービンシュタインの後任に要請されますが、それを断って書いたのがこの曲でした。曲全体には親友にして偉大な先輩を偲ぶ悲しみが滲みます。みゆきさんの「化粧」とチャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲」には同質の慟哭が聞こえます。

 中島みゆきの最高のアルバムは何か?と問われれば、私は迷うことなく「EAST ASIA」と答えます。1992年リリースのこのアルバムには、「糸」、「二隻の舟」、「誕生」という最高峰の名曲が燦然と輝いています。

 「糸」は運命に導かれた二人が互いに助け合って人生を生きる世界が描かれます。息子の結婚式で、両親への花束贈呈の時にかかった曲が「糸」で、けっこう嬉しかったものです。息子夫婦には、後に、ボブ・マーリーの箴言「Live The Life You Love Love The Life You live」を返しました。

 次は「二隻(にそう)の舟」です。二隻の「隻」は普通セキと読んで大きな船のこと。みゆきさんの舟は一人乗るのがやっとの小さい舟。なので「二艘」と書くのが普通です。ところがこれに「隻」を当てて「そう」と読ませる。ここにみゆきさんの美意識を見ます。  
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
敢えなくわたしが 波に砕ける日には
どこかでおまえの舟が かすかにきしむだろう
それだけのことで わたしは海をゆけるよ
 おまえとわたし。ひとつずつ だけど ひとつ。それだけのつながりがあればこそ わたしは海をゆける・・・・・心強くも美しい互いの絆ではありませんか。
 この前段で「難しいこと望んじゃいない」というフレーズがありますが、これはチャイコフスキーのバレエ曲「眠りの森の美女」第1幕「ワルツ」のメロディーと似通っています。

 次は「誕生」です。この世に生を受けるのが誕生ですが、中島みゆきは、この本来の意味での誕生を愛でつつ、「もう一度生きる=生まれ変わる」ことの大切さを謳います。
泣きながら生まれる子供のように もいちど生きるため 泣いてきたのね
Remember 生まれたとき 誰でも言われた筈
耳をすまして思いだして 最初に聞いたWelcome
けれどもしも思いだせないなら 私いつでもあなたに言う
生まれてくれてWelcome
 このような詞につけたメロディーがなんとも雄大、スケールがでかい。この曲を初めて“ライブ”で聴いたのはMIYUKI NAKAJIMA CONCERT TOUR 2007 東京フォーラムでした。まるで雷に打たれたような感動を覚えたものです。
 このとてつもないスケール感はまさにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番そのものです。第1楽章、力強いピアノの打鍵と悠揚たるオケの絡みが広大なロシアの大地を想起させるスケール感。そして、第3楽章第2主題の熱い思いの籠った旋律。「誕生」とまったく同じテイストです。その他「空があるかぎり」や「かもめはかもめ」や「慕情」や「麦の唄」も・・・・・。

 チャイコフスキーにはフォン・メック夫人(1831-1894)という資産家の未亡人のパトロンがいました。1875年、チャイコフスキーの作品に感動し、1890年まで14年間、経済的援助を続けました。二人は生涯一度も会うことがなかったものの、交わした手紙は1220通を数えます。敬意と感謝が行き交う書簡からは作曲家とパトロンの域を超える関係性が覗えます。
 中島みゆきの作品にはすべてに「DAD 川上源一」のクレジットが刻まれています。川上源一氏(1912-2002)はヤマハの4代目社長で、中島みゆきの才能をいち早く見抜き賛助を惜しまなかった人物です。氏亡き後もこのクレジットは絶えることなく、今後もみゆき作品が続く限り途絶えることはないでしょう。中島みゆきの感謝の大きさが読み取れます。
 チャイコフスキーとメック夫人/中島みゆきとDAD 川上源一。このアーティストと支援者という二組の関係にも大きな共通点を見いだすことができます。

<参考資料>
中島みゆきCD
 シングル・コレクション「Singles」1993
 アルバム「愛していると云ってくれ」1978
 アルバム「生きていてもいいですか」1980
 ベスト・アルバム「ここにいるよ」2020
 アルバム「EAST ASIA」1992
 2026.04.30 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜K364番外編3〜ベニー・グッドマンとビリー・ホリデイ
 4月15日のMLBは選手全員が背番号42を付けてゲームを行います。この有様を初めてみた時は「一体どういうこと!?」とビックリしたものです。42はMLB初の黒人選手ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)の背番号。彼が初めてメジャー・リーグの試合に登場した1947年4月15日を記念して制定されたジャッキー・ロビンソン・デーというわけです。因みに42はMLBすべての球団で永久欠番となっています。
 今年この日、ドジャース大谷翔平は投手として先発登板し、6回1失点10三振の好投を見せ、チームを勝利に導きました。
 1947年といえば、アメリカは公民権施行の20余年前。黒人差別はまだまだ根強い。野球界も例外ではなく、MLBは白人、黒人はニグロ・リーグ という隔絶された時代でした。そこに一石を投じたのがブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキー(1881-1965)です。彼の思惑は二つ。一つはチームの活性化を図りワールドシリーズを制覇すること。もう一つはニューヨークの黒人を集客し観客動員増大を図ること。そこで白羽の矢が立ったのがジャッキー・ロビンソンでした。
 MLBの白人選手は399人、黒人はジャッキーただ一人。相手チームからの口汚い野次、自軍選手の差別的態度。そんな偏見と中傷渦巻く日々の中、何を言われてもどんな態度をされても、怒りを面に出さず、ひたすら野球で結果を出すことに専念した。結果、その年の新人王に輝きドジャースはリーグ優勝を遂げます。そして1955年、遂に、宿敵ヤンキースを破り、初のワールドシリーズ制覇を果たすのです。ブランチ・リッキーの野望がジャッキー・ロビンソンの活躍で叶った瞬間でした。
 ドジャース/ジャッキー・ロビンソンなくして、MLBの繁栄はなかった。日本野球界にとっても、彼らなくして、巨人軍のV9も野茂英雄から大谷翔平に至る日本人選手の活躍もなかったでしょう。

(1) ベニー・グッドマンの黄金型

 ベニー・グッドマン楽団の十八番シング・シング・シングの終盤、颯爽と現れるハリー・ジェイムズのトランペット・ソロがまさしく「黄金型」で、それまでのメジャーコードの流れがやや哀愁を帯びたマイナーコードに変換する見事なコントラストを現出します。

 映画「ベニイ・グッドマン物語」(1956米)では、カーネギーホール・コンサート(1938)で「シング・シング・シング」が演奏される場面でThe Endとなります。カーネギーホールはクラシック音楽の殿堂(ドルザークの交響曲第9番「新世界より」は、1893年、ここで初演)。そんな会場でジャズを初めて演奏したのがグッドマン楽団でした。「スイングの王様」としてジャズを王道の音楽に押し上げたグッドマンだからこその快挙といえるでしょう。
 映画「ベニイ・グッドマン物語」にはオリジナル・サントラ盤(デッカ)と再録盤(キャピトル)の二種類があります。両者ともほぼメンバーは同じですが、グッドマンの強い要望で再録音しただけあって後者の方が音の輝きも演奏の躍動感も上回っています。「黄金型」が現れる「シング・シング・シング」のハリー・ジェイムズのソロも、キャピトル盤の方が格段に勝っています。余談ですが、キャピトル盤に名があるギターのアル・カイオラは、1961年、自身の楽団で「落日のシャイアン」のスマッシュ・ヒットを飛ばします。この曲のノスタルジックな哀感、好きでした。

 グッドマンの先進性は、ライオネル・ハンプトン(Vb)、チャーリー・クリスチャン(G)など黒人プレイヤーを初めて白人バンドに起用したことからも窺えます。編曲のフレッチャー・ヘンダーソンも黒人でした。
 そして、もう一つ、ジャズ(ポピュラーミュージック)とクラシック音楽との垣根を取り払ったことも特筆すべき彼の功績です。映画「ベニイ・グッドマン物語」には、上流階級宅である、ジョン・ハモンド邸でのコンサート場面が出てきます。演奏曲目はモーツァルトのクラリネット協奏曲 第3楽章(実際はクラリネット五重奏曲だったようですが)。そこで、ジャズを軽んじていたジョンの姉アリスがグッドマンの見事な演奏に感銘を受け、後に結婚に至る流れが形作られます。
 グッドマンはクラシックの名曲を数々演奏、録音も残っています。我がRCAにもモーツァルトのクラリネット協奏曲K622とクラリネット五重奏曲K581の録音があります。豊かな情感と端正な節度のバランスが絶妙な文句なしの名演です。グッドマン・トリオによる「メモリーズ・オブ・ユー」を聴いていると、モーツァルト:クラリネット五重奏曲のラルゲット楽章と全く同じテイストを感じます。

 ベニー・グッドマン(1909-1986)はジャズとクラシックの元祖二刀流といえるでしょう。後のアンドレ・プレヴィン、チック・コリアなどの魁となりました。そして、この流れを仕掛けたのが稀代のプロデューサー、ジョン・ハモンド(1910-1987)でした。

(2) ビリー・ホリデイの黄金型

 ビリー・ホリデイ (1915-1959) の代表作の一つに「奇妙な果実」があります。この曲が誕生した経緯を下記。

 ジョン・ハモンドのスカウトにより、1933年12月、ベニー・グッドマン楽団と「Your Mother's Son-In-Law」と「Riffin' The Scotch」をコロムビアにレコ―ディングして以来、評論家の間ではその実力が認められ、クラブでの人気も定着していたビリー・ホリデイでしたが、ジャズ歌手としての評価/人気は、例えばエラ・フィッツジェラルドなどには遠く及びませんでした。
 1939年春、NYのカフェ・ソサエティで公演中のある日、詩人と名乗るルイス・アレンという男が彼女に一篇の詞を持ってきます。「どうしてもこの詞をビリーさんに歌っていただきたい」と言う。仕方なく受け取ったビリーでしたが・・・・・
南部の木々に奇妙な果実がむごたらしくぶら下がっている
その葉は血に染まり 根元にまで血潮はしたたり落ちている
黒い遺体は南部の微風に揺れそそぎ
まるでポプラの木から垂れ下がっている奇妙な果実のようだ・・・・・
 読み終わったビリーの背中に電流が走ります。この詞は父親のことを謳っている。これはまさしく父への鎮魂歌だ。すぐさまピアニストのソニー・ホワイトを呼ぶ。「この詞に曲をつけたいの。私が読むからピアノを弾いてちょうだい」と彼の前で読み上げる。もう一度音読。そして、三度目にはもう曲が出来上がっていました。
 すぐさま夜のステージでこの「奇妙な果実」を披露。歌い終わっても客席はシーンと静まり返っている。「受けなかったのか」と落胆するビリー。ところが、パラパラと微かに拍手が鳴り出すと音は次第に大きくなり、最後には、感動の嵐の様相を呈しました。

 ビリーはこれを受けてコロムビアにレコーディングの話を持ち込みます。が、難色を示される。「この歌は扇動的過ぎる。KKKのような人種差別主義者の反感を買うこと間違いない」がその理由でした。そこで名乗り出たのが「コモドア・ミュージック・ショップ」という小さなレーベルを主宰するミルト・ゲイブラーという男でした。彼はビリーの大ファンで彼女のレコーディングをするのが夢だったのです。
 コモドアから発売された「奇妙な果実」は、空前のヒットとなり、プロの評論家だけに認められていたクラブ歌手ビリー・ホリデイを大衆が支持する人気歌手へと変貌させたのです。
 奇妙な果実のメロディーに「黄金型」は認められません。ただ、作曲者ピアニストのソニー・ホワイトのオブリガート・ソロに「黄金型」の断片が聞き取れます。

 ビリー・ホリデイには「柳よ、泣いておくれ」の名唱がありますが、ジャンヌ・モロー主演の映画「エヴァの匂い」(1962仏伊)には、モローが「Lady Sings The Blues」のレコードからこの曲をかけるシーンがあります。一曲3分11秒のフルタイムにセリフなしアンニュイなモローの姿が映るだけのユニークで鮮烈な場面でした。
 ジャンヌ・モローといえば映画「死刑台のエレベーター」も印象的でした。ここでは全篇マイルス・デイヴィスの音楽が流れますが、その中の酒場の場面で「黄金型」がチラっと顔を出します。
 マイルスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」(1959)の第1曲ソー・ホワットは完全な「黄金型」です。ジャズ史上の最高傑作と目されるこのアルバムのリード・トラックが「黄金型」というのも、どこか嬉しい気がします。なお、この名盤の“Making of”については、川嶋文丸訳「マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』創作術」(DU BOOKS)でどうぞ。
 ジャズの「黄金型」ではもう一つ、デューク・ジョーダン作のジョードゥがあります。ブラウン&ローチ・クインテット「MORE STUDY IN BROWN」(1954)/「IN CONCERT」(1954)の演奏が、どちらも他の追随を許さぬ名演です。

 ジョン・ハモンドはジャズに限らず数々のミュージシャンを手掛けています。が、中でも特筆すべきはボブ・ディラン(1941-)の発掘でしょう。会社内で低評価だったディラン。アルバム第1作「Bob Dylan」(1962)は不発。逆風の中、それでも彼のポテンシャルを信じて疑わなかったハモンドは、即、答を出す。次作のアルバム「フリー・ホイーリン」(1963)は大ヒット。収録曲「風に吹かれて」はPPMにカバーされるなど当時のフォーク・ソング・ブームを象徴する楽曲となりました。ディランは、その後、常に第一線で活躍、2016年にはノーベル文学賞を受賞するなど、現在も現役アーティストとして孤高の歩みを続けています。
 ディランの音楽は、尖った詩を音符にぶつける 決してメロディアスなものではないためか、「黄金型」はほとんど見受けられません。今回、手持ちのオリジナル・アルバム13W147曲をくまなく聴いてみましたが、わずかにアルバム「欲望」(1976)のSARAで、スカーレット・リヴェラのソロVnに、聞き取れただけでした。このアルバムの「Hurricane」は我がお気に入りの一曲。あと、ディランの楽曲では「Like A Rolling Stone」が出色です。

 今回はジャズを中心に「黄金型」を探りましたが、数はそれほど多くはありませんでした。ジャズで多用されるブルース・コードはミ・シに♭が付く変則音階。「黄金型」とはあまり馴染まないのかもしれません。次回は「黄金型」の宝庫ジャパニーズ音楽に分け入ろうと思います。

<参考資料>
DVD 映画「42〜世界を変えた男」(2013米)
DVD 映画「ベニイ・グッドマン物語」(1955ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン)
DVD 映画「エヴァの匂い」(1962角川ビデオ)
「ビリー・ホリデイ〜汚辱と苦悩を歌う女」(大山真人著 メディア・ファクトリー)
CD 「ベニー・グッドマン物語」オリジナル・サウンドトラック(1955 ユミバーサル)
CD 「The Benny Goodman Story」(1955 Capitol)
CD モーツァルト:クラリネット協奏曲K622 クラリネット五重奏曲K581
       ベニー・グッドマン(Cl) ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団他(1956 RCA)
CD 「COMPLETE BILLIE HOLIDAY ON COLUMBIA 1933-1944」
CD 「奇妙な果実」ビリー・ホリデイ (1939 COMMODORE)
CD 「Lady Sings The Blues〜Billie Holiday」(1956 Verve)
CD 「カインド・オブ・ブルー」マイルス・デイヴィス・セクステット(1959 CBS)
「マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』創作術」(川嶋文丸訳DU BOOKS)
CD 「MORE STUDY IN BROWN」(1954 EmArcy)
CD 「IN CONCERT-complete version-」(1954 EmArcy)
CD 「フリー・ホイーリン」ボブ・ディラン(1963 CBS)
CD 「欲望」ボブ・ディラン(1976 CBS)
 2026.03.31 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜K364番外編2〜エディット・ピアフと越路吹雪
 WBCが終わりました。二連覇を狙った侍JAPANは準々決勝で敗退。残念な結果に終わりました。メジャーの力を考えれば日本は挑戦者のはず。監督/コーチも評論家の皆さんも、このことを忘れたかのように連覇連覇の大合唱。今年から評論活動を始めた中田翔氏などは「Vの確率100%」などと言って憚らない。勝って当たり前のような雰囲気になっていました。その中でただ一人中畑清さんだけが、「水を差すようで悪いけど、侍のピッチャーが心配です。球に威力ない。抑えられる感じがしない」と警告を発していました。私も全く同感でした。
 準々決勝、ベネズエラ戦でこの不安が的中。鈴木誠也負傷の代役森下選手が3ランホームランを放って5−2と逆転。こんな僥倖は滅多にないわけで、日本はこのリードを死ぬ気で守り抜かなくてはいけなかった。ところが、2番手3番手のピッチャーがメジャーのパワーに屈し逆転負けを喫しました。この戦いに勝ったベネズエラ・チームは決勝に進出。勝利への執念が粘りある打撃と攻めの継投に現れて、本命のアメリカを破り、WBC初制覇を果たしました。選手とスタッフの意識が一体となった見事な勝利でした。
 日本は、選手は一生懸命に頑張った。打たれたのは実力不足ともいえますが、選手には調子の良い者悪い者がいる。特にこの時期の投手は、調整順調な者もいれば途上の者がいる。これをやり繰りするのがベンチの役目。残念ながら日本の監督/コーチ陣には、勝利への執念と工夫が足りませんでした。勝てる試合を落とした責任は重い! エモヤンに倣い総括いたしましょう。侍JAPANはベンチがアホやから負けた(笑)。
 トランプというユニーク過ぎる米国指揮官の介入で国論二分・政情不安のベネズエラ。そんなベネズエラが大会を制したのは、まだしもの結果でした。おめでとうベネズエラ。貴国に祝福あれ!

*エディット・ピアフと越路吹雪

 シャンソン「パリの空の下」Sous le ciel de Paris の出だしは典型的な「黄金型」。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951)の主題歌で、パリ五輪2024の閉会式でも歌われたように、パリを象徴する名曲といえます。それだけに、エディット・ピアフ、イヴ・モンタン、シャルル・アズナブール、ジュリエット・グレコ、ミレイユ・マチュー、ダニエル・ビダル、アンディ・ウィリアムス、ビンブ・クロスビー、ポール・アンカなど錚々たる面々が歌っています。中でも一番はエディット・ピアフでしょうか。この人の魂の籠った声の力には圧倒されます。ビリー・ホリデイや藤圭子に通ずるものがあるような。そういえば藤圭子のシングル第2弾「女のブルース」の出だし第3音からも「黄金型」です。

 エディット・ピアフは、1915年、大道芸人の父と街角の歌うたいの母との間に生まれました。幼少期は父の母が営む売春宿で育てられることになります。1915年生まれといえばビリー・ホリデイと同い歳。境遇も似通ったものがありますね。親が旅芸人というのは藤圭子とも共通でしょうか。

 スターとなったピアフはアメリカ公演中に、運命的な出会いをします。マルセル・セルダン、ボクシング世界ヘビー級チャンピオン。妻子あるセルダンでしたが、彼こそが、ピアフを一個の人間として尊重し愛した初めての男でした。ピアフはのめり込み、二人は誰憚ることない恋人同士として振舞うことに。そんな幸福感絶頂のピアフに悪夢が襲います。
 1949年10月28日、ニューヨークにいるピアフに会うため、セルダンが乗った飛行機がパリを離れて間もなく、ポルトガル領アゾレス諸島サンミゲル島に墜落したのです。
 この衝撃に、抜け殻のようになったピアフでしたが、意を決して、セルダンとの恋を詩にしたためます。ピアフの音楽をずっと支えてきたマルグリット・モノーが曲を付けました。これが Hymne a l'amour(愛の讃歌)でした。「愛の讃歌」はシャンソンの枠を超え、愛の歌の名曲として世界に広がってゆきました。そういえば、先日終わったフィギュア世界選手権で、坂本花織が有終の美を飾った音楽も「愛の讃歌」〜「私は後悔しない」のピアフ・メドレーでした。

 「愛の讃歌」といえば、我が国ではなんといっても越路吹雪でしょう。越路版「愛の讃歌」の誕生は、1952年、日劇で行われたシャンソン・ショー「巴里の唄」の場でした。メイン出演者の一人二葉あき子が体調を崩し、ピンチヒッターに越路吹雪が抜擢される。まだ持ち歌のない越路に、音楽監督の黛敏郎が、「これ、私がパリで聴いて感銘を受けた歌。越路さんに合うんじゃないかな」と提案したのが「愛の讃歌」でした。開演日間近、訳詞家に頼んでいる暇はない。急遽、前年山口淑子主演の「上海の女」主題歌「ふるさとのない女」で作詞家デビューを果たしていた越路のマネージャー・岩谷時子が訳すことに。フランス語に不慣れな岩谷は、黛の直訳を基に、彼の弾くオルガンを聞きながらなんとか書き上げました。原詞は、最愛の恋人を亡くした悲しみ溢れる激情型。それを岩谷はシンプルにロマンティックな恋の歌に変えました。 直訳ならぬ超訳。Hymne a l'amour が「愛の讃歌」に生まれ変わった瞬間でした。この歌はレコード化され大ヒットとなり越路吹雪生涯の十八番となりました。では、ピアフと岩谷の詞を対比させておきましょう。

           ピアフ                   岩谷
   青空だって私たちの上に落ちてくるかもしれない     あなたの燃える手で
   地球だってひっくり返るかもしれない でも       あたしを抱きしめて
   大した事じゃない あなたが愛してくれれば       ただ二人だけで
   世の中のことはどうでもいい              生きていたいの
   恋が私の毎朝を満たしてくれれば            ただ命の限り
   私の体があなたの手の下でふるえる時には        あたしは愛したい
   重大問題なんぞどうだっていい             命の限りに
   あなたが愛してくれるんだから             あなたを愛するの

 翌1953年、越路はパリに旅立ちます。本場のシャンソンを、そしてエディット・ピアフを、見聴きするために。ところが、越路を待っていたのは歓びではなく落胆でした。
4月23日
夜、ピアフをみる オーケストラの良さ 彼女の歌うときのゼスチュア アレンジの素晴らしさ 私は悲しむ 私もパリで生活しキャバレエで歌っていたら何かをつかむことができるだろうか まだ何もつかむことができずただ疲れている自分を感じる
5月7日
ピアフを二度聴く 悲しい淋しい 私には何もない何もない 私は負けた 泣く 初めてのパリで
 これはパリから帰って越路が書いた手記「井の中の蛙」からの一文です。ピアフを見て感動し落胆し井の中の蛙を実感した。そして、ここから越路は大海に踏み出すことになります。1959年には東京キューバンボーイズのピアニスト・作曲家の内藤法美と結婚。恋多き女に終止符を打ちます。内藤は、1968年、越路のためにオリジナル曲「イカルスの星」を作曲。作詞はもちろん岩谷時子。スマッシュヒットとなったこの歌がまさに「黄金型」です。

 パリで受けた衝撃。それはオランピア劇場の満員の聴衆を2時間もの間たった一人で惹きつけてしまうピアフの凄さでした。当時日本ではこのようなワンマン・スタイルのコンサートはほとんど存在していませんでした。越路はこのスタイルを生涯追求することになります。
 1968年からは「越路吹雪ロングリサイタル」と銘打って、新たに開設された日生劇場に舞台を移します。ゲストなし自身一人きり、一か月の長きにわたって毎日歌い演じ続ける。越路吹雪にしかできない空前絶後のパフォーマンスでした。演出を浅利慶太が受け持つようになるとステージは劇的に進化/深化を遂げます。リサイタルは年を追うごとに評判を呼び、「越路吹雪ロングリサイタル」のチケットは発売と同時に全公演全席即完売。当時、最もチケットが取れないコンサートと言われるまでになりました。越路はおそらく、このあたりで、やっと憧れのピアフに近づいた との実感を覚えたのではないでしょうか。

 1971年からは「ドラマチックリサイタル愛の讃歌〜エディット・ピアフの生涯」と題し、ピアフの人生をオール・ピアフ楽曲で綴るステージとなります。歌手/役者/エンタテイナー 越路吹雪の集大成ともいえる演目でした。実は私、これを含め越路のロングリサイタルを1970年から72年まで3度ほど鑑賞しているのです! 内一度は宝塚/越路ファンの母と一緒でした。どうしてチケットが取れたのか? 私、当時レコードの営業マンをしていまして、担当特約店に越路の衣装デザイナーの妹さんがいて、彼女を通してプラチナチケットを手に入れることができたのです。M.Uさん、目がクリっとしたかわいい娘でした。今ごろどうしているのかな。そういえば彼女は青江三奈の大ファンでした。青江の大ヒット曲「池袋の夜」のエンディング「どうせきまぐれ東京の夜の池袋」の頭の部分はまさに「黄金型」です。

 「ドラマチックリサイタル愛の讃歌〜エディット・ピアフの生涯」のミュージシャンには、ピアノの内藤法美をリーダーに、テナーサックス松本英彦、トランペット光井章夫、トロンボーン川辺公一、ドラムス ジョージ川口などジャズの腕利きが集結。彼らをバックに、歌い演じる越路吹雪のパフォーマンスはエディット・ピアフへの愛と感謝に溢れていました。黒の衣装で「愛の讃歌」を絶唱するラストシーンは今でも瞼に焼き付いて離れません。

 「黄金型」というモーツァルトのDNAがエディット・ピアフ〜越路吹雪〜藤圭子〜青江三奈という個性的な歌手の持ち歌に息づいている。実に壮大なロマンを感じます。次回はジャズの中にその痕跡を探ってみましょう。

<参考資料>
映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007 仏 チェコ 英)
TBS-BS「越路吹雪、愛の讃歌スペシャル〜波瀾の人生と伝説のリサイタル」2015.5.25O.A
 2026.02.28 (土)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜K364番外編1〜クラシック音楽編
 なんとまあ、今回の総選挙、高市自民、予想外の圧勝でした。結果は素直に受け止めるしかないですが、どう考えても物事を深く見つめているとは思えないオバハンたちの「早苗ちゃん」なんか言うオシ活もどきの行動を見ると、わが国の危うさに心安らかざる思いがいたします。さらには、裏金議員のほぼ全員の当選は、一体、この国の倫理観はどうなっちゃったんだ の危惧を禁じ得ません。
 そんなモヤモヤ感を、一時的にでも、払拭してくれたのは“りくりゅう”ペア一夜復活の逆転劇でした。失敗にメンタルが崩壊した龍一くんを見事に立ち直らせた璃来ちゃん。そして、二人力を合わせて最高の結果を実現させる。この絆の力こそ人間が生きる上で最も大切で尊いもの。近年、これほど爽やかで感動的な出来事は稀でした。
 では気分も新たに、今回はK364番外編とまいりましょう。

 今回のテーマは、2023年8月16日「クラ未知」でも取り上げた「黄金の音型」(以下黄金型)です。なんとこれがモーツァルト「協奏交響曲」K364第2楽章に含まれているのです。当該箇所はヴァイオリンで示される第1主題の第3音からの“ミラシド”。このヒット曲のDNAともいえる音型がモーツァルトを起点に世界の音楽に拡がっている状況を取り上げてみましょう。まずは、クラシック音楽編です。

(1)ヴァイオリン協奏曲の名曲2題

*チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 第2楽章
 チャイコフスキーはモーツァルトの音楽が大好きでした。少年時代に聴いた弦楽五重奏曲 ト短調 K516に涙したという逸話を聞いたことがあります。そんなチャイコフスキーが、“愛する”ヴァイオリニスト ヨシフ・コーテクと一緒に作った傑作が、ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 です。第2楽章冒頭に出現するメイン・テーマ。このメランコリックな旋律が正真正銘「黄金型」なのです。

*メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 第1楽章
 冒頭、わずかの序奏後に現れるヴァイオリン・ソロは「ミラシド」音形ではありません。が、ミ・ラ・シ・ドの4音から成り立っています。これは「黄金型」の変形といえるでしょう。このロマンティックな名曲は、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーと共に4大ヴァイオリン協奏曲という向きもあります。
 RCAのクラシック制作のレジェンド黒川昌満氏が、1960年代に編成したヤッシャ・ハイフェッツ奏でるメンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(いうところのメンチャイ)にサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」を加えた徳用盤は、評論家の顰蹙を買いながらも、大ベストセラーとなりました。入社したての私は、新橋の商品倉庫で、この豪華版の重たいレコードを毎日セッセと出荷したものです。この商品番号SX2002のLP盤こそ「黄金型」3大名曲だったんですね。

(2)チェコの2大名曲

*スメタナ作曲「モルダウ」>
 チェコ国民学派の祖スメタナの交響詩「モルダウ」の主題は「黄金型」そのものです。この曲は連作交響詩「わが祖国」の第2曲。二つの水源から流れ出す大河の一滴が次第に大きくなり、民族の祝宴の踊り〜聖ヨハネの急流〜ビシェフラト(高い城)を経てプラハ市内に流れ込みエルベ川に合流するまでを描く描写性豊かな名曲です。
 「わが祖国」は高い城〜モルダウ〜シャールカ〜ボヘミアの森と草原より〜ターボル〜ブラニークの6曲からなり、ボヘミア(チェコ)の神話、風土、歴史を描いています。毎年行われる「プラハの春音楽祭」は、スメタナの命日である5月12日、チェコ・フィルハーモニーが演奏するこの曲によって幕が開きます。

*ドヴォルザーク作曲:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」第4楽章
 ドヴォルザークは、1892年、新設されたナショナル音楽院の院長としてニューヨークに招かれます。祖国愛の強い彼は最初この要請に躊躇しますが、結果的に受諾しました。その理由は? SL大好き人間だったドヴォルザークがSL先進国アメリカに興味を示したことも一因といわれています。アメリカでは、1869年、大陸横断鉄道が開通していました。ドヴォルザークは、暇を見つけては、グランドセントラル駅あたりに通っていたものと思われます。
 アメリカ滞在中、ドヴォルザークがよく立ち寄ったのがアイオワ州スピルヴィルでした。ここは美しい自然に囲まれたチェコ移民の街。黒人やインディアンの旋律に触発されたドヴォルザークは故国ボヘミアのような街スピルヴィルで交響曲「新世界より」を書き上げました。第4楽章の冒頭、まるで驀進するSLのような力強く勇壮な旋律が「黄金型」なのです。

(3)フランスと北欧

*フォーレ作曲:夢のあとに
 やさしい眼差し 澄み切った声 君の姿を幸福な気持ちで夢見ていた
 だが 夢が目覚めたときのはかなさよ
 夜よ あの夢を返してくれ 戻ってくれ輝かしき人よ 神聖なる夜よ

 こんな世界を歌ったフォーレの歌曲「夢のあとに」はまごうことなき「黄金型」です。美しさと儚さを高貴なヴェールが覆う。この崇高さこそがフォーレの音楽の特質です。「夢のあとに」は、「シシリエンヌ」(ペレアスとメリザンド)、「おお、イエズスよ」(レクイエム)と並ぶフォーレ畢生の名旋律です。詩の精神が、どこか吉田美奈子歌う「夢で逢えたら」(大瀧詠一 詞曲)に似ているのも親しみが持てますね。
 「夢のあとに」は、ドラマ「北の国から95“秘密“」のラスト近く、不倫駆け落ちした蛍(中島朋子)を五郎(田中邦衛)が根室・落石を尋ねる場面で、インストゥルメンタル編曲音源が使われていました。雪降りしきる荒涼とした太平洋を背景に流れる「夢のあとに」の旋律。そこに佇む父と娘。娘に「何をしようとおれは味方だから」と言う五郎さんの台詞にいたく心打たれたものです。そんな五郎の崇高さがフォーレの精神と重なり合い、「夢の中に」の「黄金型」がこの場面を印象的に包んでいました。

*グリーグ作曲「ソルヴェイグの歌」
 北欧ノルウェーの作曲家グリーグは文豪イプセンから戯曲「ペール・ギュント」の付帯音楽の依頼を受けます。当初、自分の音楽性は抒情的で小品向き、劇的な曲調が求められる音楽は無理 と二の足を踏んだようです。ところが、やってみると、劇性豊かな傑作が完成。そこには一皮むけたグリーグがいました。チャレンジは人間を進化させるのです。
 主人公ペールは空想家、ほら吹き、野心家、こわいもの知らず、女好き、冒険好き。早い話がとんでもないハチャメチャ人間。では彼の冒険譚を下記。
ペールにはソルヴェイグという純情な恋人がいる。なのに、とある結婚式に列席したあとその花嫁イングリッドを略奪する。が、すぐに彼女に飽きたペールは冒険の旅に。山の魔王の宮殿では魔王の娘に言い寄られるがこれは振り払い、いったん故郷に戻り、母オーゼの死を看取る。ペール、心機一転アフリカはモロッコに出向き大金を得る。が、盗賊に全財産を巻きあげられ、今度はアラビアに。そこで酋長の娘アニトラに心奪われるが、ソルヴェイグが夢に現れ、里心が芽生える。次に行ったのがゴールドラッシュに沸くカリフォルニア。そこで金鉱を掘り当て巨万の富を得る。ここでペールは「俺ももう年だ 故郷へ帰ろう」と船を出すが難破して稼いだ大金はすべてパー。やっとのことで故郷に戻ったペールを待っていたのは年老いたソルヴェイグだった。ペールはソルヴェイグの腕の中で安らかな眠りにつく。
 幾多のペールの冒険に付けたグリーグ渾身の劇的音楽の中で、清らかで優しい一服の清涼剤的な歌こそが「ソルヴェイグの歌」。これまさに典型的な「黄金型」なのです。

 本日はこれから、“メンチャイ”ヴァイオリン協奏曲〜スメタナ「モルダウ」〜ドヴォルザーク「新世界より」〜フォーレ「夢のあとに」〜グリーグ「ソルヴェイグの歌」を「黄金型」を確認しながら夫々極上の演奏で楽しみたいと思います。このコンテンツは後記しておきます。

<参考CD>
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
  ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn) ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団(1959)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
  クリスティアン・フェラス(Vn) カラヤン指揮:ベルリン・フィルハーモニー(1965)
スメタナ:連作交響詩 「わが祖国より」
  クーベリック指揮:チェコ・フィルハーモニー(1991)
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」
  ドラティ:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1980)
フォーレ:「夢のあとに」
  バーバラ・ヘンドリクス(S) ミシェル・ダルベルト(P)(1988)
グリーグ:「ソルヴェイグの歌」
  イルゼ・ホルヴェク(S) ビーチャム:ロイヤル・フィルハーモニー(1957)
 2026.01.27 (火)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 後編
 あっと驚く、いきなり解散。高市さん、支持率の高いうちに衆院の過半数233越えを確定し、面倒な連立相手日本維新の会の影響力を削ぐなどして政権基盤の安定化を目論んだ。この選挙は「高市早苗が総理大臣でよいのかどうかの審判」ときた。思い上がりも甚だしい。進退を賭けると言いながら、目標を「与党で過半数」と最低限に設定する狡猾さ。裏金議員を公認し政治と金の話は封印する。物価高の元凶・円安と長期金利上昇の主因である「責任ある積極財政」とやらには、市場任せと逃げるだけ。置いてきぼりの農政改革。国民に迷惑かけまくりの「台湾有事」発言には言及なし。アホな有権者が作る高支持率を背景に「信なくば立たず」と内容スカスカの記者会見を総括したのであります。
 一方、対抗馬の一番手・新党「中道革新連合」は、選挙目当ての野合との批判に「太田光さんに言われたように、暴走族となって革ジャンを着て全国を走り回ります」のアホ発言。斉藤さん、野田さん、大丈夫!?
 いずれにしても、選挙は水物。結果は2月8日にならないと正直判りませんが、高市さんの得意満面姿だけは見たくない。そんな高市総理に一つだけお願い。
 あなたの不用意な「台湾有事」発言で困っている人が数多います。レアアースを生活の糧にしている製造業者、中国への輸出を当てにしていた漁業関係者等々。彼らの生活はそれこそ“存立機危機事態”。中国の我が国への輸出規制は物価高の一つの因でもあるわけで、まずは国民に謝ってから選挙戦を始めてくださいな。発言を撤回しろとは言いませんが、国民への謝罪は必須です。言いたいことはゴマンとありますが今回はこのあたりで止めておきましょう。
 では、本題に入ります。

<「協奏交響曲 変ホ長調 K364」と大司教ヒエロニムス・コロレドに関する石井宏先生の見解>

 1779年夏。マンハイム〜パリ旅行後の作品、例えば「協奏交響曲 変ロ長調 K364」は悲しみを伴った異例の音楽である。その音の襞は複雑であり、モーツァルトの脱出の願いが鬱積して、音楽の裏側に密着しているようにもみえる。

 この第2楽章―アンダンテハ短調―は実に異例の曲である。そもそもモーツァルトの音楽は、いついかなるときでも、音楽としての秩序を保っており、どんなに激しい情動が楽譜の裏に姿を見せるようなことがあったとしても、表向きは流麗な音楽として身を律しているものなのである。
 ところがこの第2楽章ハ短調のアンダンテは別物だ。詠嘆の旋律がむき出しに歌われるようにできており、まるでチャイコフスキーの音楽のようだ。ここでは明らかに、モーツァルトは常軌を逸しており、本来の高貴な美学を忘れて一つの醜態を演じている。まるでそれは、やむにやまれぬ内面の感情の渦が、露骨に、醇化の度を経ずに、そのまま音楽の中に吐き出されているように見える。これまさに“モーツァルトの崩壊”である。このような異常な作品を書かなければならなかったところに、モーツァルトのこの夏のつらさがあったといっていいだろう。

 これにはなにかほかにも理由があっただろうか。譜を分析してみればすぐにわかることだが、このアンダンテでは(のみならずどの楽章でも)、独奏のヴァイオリンとヴィオラは、まさに異様なほどに対等に扱われている。ヴァイオリンの歌った歌は必ずヴィオラが寸分たがわず歌い返し、二つの楽器はまるでその価値と身分の対等さを競うかのように同じ楽型に固執し、カデンツァに至っても、ヴィオラはあくまでも同じ能力があることを主張して、相手とぴったり同じ音型を繰り返して譲らない。二つの楽器の対等の競合に異常なほどの執着をみせているといえる。これをヴィオラの側から見れば、ヴァイオリン奏者に対する競合の意思というか、敵意というか、なにかの執念を以て追い回しているようにもみえる。

 ここで思い出されるのは、モーツァルトが大司教と衝突をしてザルツブルクを飛び出す前の年に、大司教はブルネッティという一人のイタリア人のヴァイオリニストを高い給料で雇い入れていたという事実である。これは、従順なブルネッティを重用して、不遜なモーツァルト父子に当てつけをするという意図と考えられる。

 大司教ヒエロニムス・コロレドは自分でも多少ヴァイオリンをいじるが、難しい箇所は弾けないといった程度のアマチュアだった。この大司教が、遊びで弦楽四重奏を、ほかの楽士をまじえてやるとき、ブルネッティを自分の隣に坐らせて、難所にさしかかると、隣のブルネッティを促して弾かせる。易しそうな箇所にくるとまた大司教が弾く・・・・・といった痴態を演じるのだ。
 もちろんモーツァルトは頼まれてもそんな阿呆な役目は引き受けなかったはず。こんな拷問のような役目をしてくれる部下は可愛いわけで、大司教の“ご寵愛”は自然とブルネッティの方に傾いていく。モーツァルトを差し置いて、ブルネッティという凡庸なヴァイオリン弾きを重用する大司教に対し、彼の不満は頂点に達していたはずである。

 そういう事情を踏まえてこの異様なほどにヴィオラがヴァイオリンに敵意を燃やす協奏交響曲をみるとき、この初演のときのヴァイオリン奏者はブルネッティで、ヴィオラの奏者はモーツァルトではなかったかと思えてくるのである。
 この曲の初演に際し、ヴァイオリンをイタリア人が弾き、ヴィオラをモーツァルトが弾いたという記録はない。しかし、この露骨な書法はその推論を可能にしてくれるものである。ならば、このヴィオラは、あくまでヴァイオリンを愚弄するために書かれたものと考えてもいいだろう。そして、この闘志は、大司教に対する挑戦でなくてなんであろう。実は、ブルネッティの給料はモーツァルトの5倍以上だったといわれている。彼は今、大司教の眼前で、自分がそのイタリア人と同じ、あるいはそれ以上の腕前であることを立証してみせたかった ということである。
 ちなみにここではモーツァルトは、ヴィオラを半音高く調弦してこの曲を弾いている。のちにパガニーニも、この演奏効果を上げるために自分の楽器を半音高く調弦したことは知られているが、モーツァルトも、ヴィオラのくすんだ響きを、明るいヴァイオリンの響きに負けないように半音高く調弦して張り合ったのであろう。

 以上は石井宏著「素顔のモーツァルト」の該当部分を短縮転載したものです。なんと見事な推論でしょうか。モーツァルトの状況から心情の洞察そして楽曲への投影。まるで推理小説のような面白さです。巷間、我が国モーツァルト研究の第一人者は海老澤敏氏、と位置付けられているようですが、石井宏先生こそその座に相応しいと私は考えます。

 K364は、第3楽章で、それまでの憂鬱さを忘れたかのように、屈託なく軽快に曲を締めます。これはまるで、モーツァルトが、「何も解っちゃいない大司教にはかまっちゃおれん。自分は我が道を行く」という吹っ切れた心情のように聞こえます。事実彼は、1781年、歌劇「イドメネオ」をミュンヘンで上演大成功を収め、その勢いを駆ってウィーンで独り立ち、結婚の報告に実家に戻った以外は、二度とザルツブルクへの地を踏むことはありませんでした。「協奏交響曲 変ホ長調 K354」は、モーツァルトの、故郷ザルツブルクへの決別の楽曲だったのかもしれません。

<参考資料>
素顔のモーツァルト(石井宏著 中公文庫)
 2025.12.18 (木)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと
         〜ヒエロニムス・コロレド大司教と協奏交響曲 変ホ長調 K364 前編
 なに トランプ大統領に平和賞? まさかと思ったら、頭にFIFAの文字がついていました。国際サッカー連盟FIFAがトランプ氏に「平和賞」を与えたということです。平和には人権尊重と民主主義の精神が欠かせません。人権を無視し力で異論を封じる。こんなトランプのような非人道的独裁者に「平和賞」は最も遠い存在なはず。一体FIFAはどうなっちゃった? ちょっと違うんじゃない? 来年のサッカーワールドカップを楽しみにしている身にとって、どこか違和感を感じる今回の出来事ではありました。では、本題に入りましょう。

<「協奏交響曲 変ホ長調 K364」に関する記述の数々>

 モーツァルトにちょっと奇妙な名曲があります。「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)変ホ長調」K364。何が奇妙かといえば、ヴァイオリン・パートとオーケストラ・パートは変ホ長調で書かれているが、ヴィオラ・パートはニ長調これをそのまま演奏すれば終始不協和音で音楽になりません。ではどうするか?ヴィオラの弦を半音分締めて実質変ホ長調にすればよいのです。モーツァルトはなぜこんな面倒なことをしたのでしょうか?

 モーツァルトの名著として定評あるメイナード・ソロモン「モーツァルト」では、第2楽章 Andante におけるヴァイオリンとヴィオラの掛け合いにおける仔細な追跡があるものの、ヴィオラの調性についての記述はありません。
 独自の視点でモーツァルト像を提示したロビンス・ランドン著「モーツァルト」〜音楽における天才の役割 ではこの楽曲そのものへの言及がない。

 海老澤敏著「超越の響き〜モーツァルトの作品世界」の該当部分は以下の通り。
 この「協奏交響曲」と直訳される「サンフォニー・コンセルタント」のジャンルは、とりわけパリで、あるいはマンハイムやロンドンでも、もてはやされていた特別なジャンルで、大都会、とりわけ音楽都市の大きな演奏空間で紹介されるものであった。その「サンフォニー・コンセルタント」という大都会用の協奏作品を、モーツァルトは、1779年の夏か秋の初めに、ふたたび意に添えぬまま立ち帰ってきたザルツブルクの町で試みるのだ。「ヴァイオリンとヴィオラのためのサンフォニー・コンセルタント 変ホ長調 K364」がそれである。
 モーツァルトはなぜ、このような曲を、ザルツブルクで書いたのか。モーツァルトは、すでにコンツェルトマイスターのポストを擲っていたのではなかったか。自分でヴァイオリンを受け持って弾き、名技を披露する必要もない。あれほど軽蔑もしていたザルツブルクの人たちに、今さらパリの流行楽曲をコピーして聴かせたところでなにになろう。
 “巷間”、日本におけるモーツァルト研究の第一人者 とされる海老澤敏氏も、ヴィオラの調性にはまったく触れていません。記述はほぼモーツァルトがこの楽曲を書いた状況に限られています。文中のキイ・ワードは、「マンハイム」、「パリ」、「意に添えぬまま立ち帰ってきたザルツブルク」、「すでにコンツェルトマイスターのポストを擲っていた」etc・・・・・これらは、前後の文章を省いたため解り難さは否めません。しかるに、これらの事象は、今後の展開上、踏まえておく必要があるので、氏の記述を若干補足しておきます。

 ザルツブルク宮廷は大司教ヒエロニムス・コロレド(1737-1812)が治めるローマ教皇直轄地です。モーツァルトはここの宮廷オーケストラの楽士として働いていました。雇用主は当然コロレド大司教ということになります。ところがこの労使関係は最悪・・・・・長い休暇を取ってヨーロッパ各地に出かけ、宮廷に顔を出し、コンサートを開く。稀代の天才が行うコンサートやオペラの上演は喝采の連続。ザルツブルクに帰ってきても、下手ながらヴァイオリンを弾く大司教の相手など、おかしくってやっていられない。更には「ここにはオペラのできるまともな劇場がない」と不満をあらわにする・・・・・大司教にとって、才能を鼻にかけ言うことを聞かないモーツァルトは、不愉快極まりない存在だった訳です。
 もともとイタリア人贔屓の大司教はイタリア人演奏者を優遇。1776年、ブルネッティというヴァイオリン奏者をイタリアから招き入れ、モーツァルトの上に据えてしまいます。ヴァイオリンの技量においても誰にも引けを取らないとの自負があるモーツァルトの自尊心は大いに傷つけられます。なんとか1年間頑張ってみたものの、1777年8月、遂に我慢の限界に達し辞表を提出。そのときのモーツァルトの手紙。
大司教様
神より才能を授けられている身としては それを活かすのが務めと存じます
私の辞職をお許しください
 これじゃ、大司教もカチンときますわね。そんなことは意に介さず、モーツァルトは1777年9月、職探しの旅に出ます。今回はいつもの父の代わりに母が同行。これがミュンヘン〜アウクスブルク〜マンハイムパリへの旅でした。
 大見栄を切って意気揚々と旅に出たものの、職探しは思うに任せず、パリでは最愛の母を亡くすなど旅は散々の結果。1779年1月、傷心のモーツァルトは止む無くザルツブルクに帰ってきます。無職となったモーツァルトに、父は大司教に頼み込み、なんとか宮廷オルガニストの地位を確保してやります。コンサート・マスターに戻ることはありませんでした。そして、1779年の夏ごろ作曲したのが「協奏交響曲 変ホ長調 K364」でした。

 次に、「協奏交響曲 変ホ長調 K364」のMy所有CDのライナーノーツを検証します。

柴田龍一氏 ハイフェッツVn プリムローズVla ソロモン指揮:RCAビクター交響楽団(RCA)
      ジュッリVn ジュランナVla パドヴァ室内管弦楽団(Claves)
家里和夫氏 グリュミオーVn ベリッチャVla ワールト指揮:コンセルトヘボウ管弦楽団(DECCA)
満津岡信育氏 ラウテンバッハーVn コッホVla ケルテス指揮:バンベルク交響楽団(DENON)
三浦淳史氏 パールマンVn ズーカーマンVla メータ指揮:イスラエル・フィル(DG)

 唯一満津岡氏だけが「調性」に触れています。その記述を下記。
2つの独奏楽器の内、ヴィオラを半音低いニ長調で記譜し、半音高く調弦して演奏することによって、響きにはりと輝きを与える書法が採られており、ヴァイオリンとヴィオラが対等に渡りあいながら、楽曲が進んでゆく
 以上のように、「協奏交響曲変ホ長調 K364」の重要なポイントにして容易に判る特徴であるヴィオラの調性についての言及は、想像をはるかに超えたお寒いものでした。当然のことながら、この楽曲と大司教コロレドとの関連に関する記述も皆無です。

 ならば、いよいよ真打の登場です。その人の名は石井宏。先生の見解は2026年1月の「クラ未知」で紹介します。どうぞお楽しみに。では皆さま よいお年をお迎えください!

<参考資料>
モーツァルト (メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルト〜音楽における天才の役割 (ロビンス・ランドン著 石井宏訳 中公新書)
超越の響き〜モーツァルトの作品世界 (海老澤敏著 小学館)
 2025.11.30 (日)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還
<プロローグ>
 MLBワールドシリーズはドジャースの劇的勝利=二連覇で幕を閉じました。MVPは見事かつ献身的なピッチングでチームを勝利に導いた山本由伸投手。彼のフィジカル・トレーナー矢田修氏は、「来季はおーっと言うような球を投げるようになる」とさらなる進化を示唆しました。大谷翔平は3年連続4回目のナリーグシーズンMVPに輝きました。彼に残された勲章はサイ・ヤング賞と打撃三冠王でしょうか。二刀流が本格化したら同時達成も夢ではない!? あとはキャリアで、ベーブ・ルースの714本塁打と94勝にどれだけ迫れるか、バリー・ボンズのMVP7回を越えられるか といったところでしょうか。こんなすごい選手が日本人で同時代にいる。誇らしくも驚くべきことです。
 ワールドシリーズが終わってMLBロスの毎日ですが、私にはモーツァルトがいる。モーツァルトの音楽がある。石井先生の教えを紐解きながら、さらなる深みへ探求を進めてゆきたいと思います。
 今回は、モーツァルトのザルツブルク時代(1756−1781)の恩師ミヒャエル・ハイドンとの交流について考察します。

<ミヒャエル・ハイドンとの奇跡の往還>

 ヨーゼフ・ハイドンの弟ミヒャエル(1737-1806)は1763年からザルツブルク宮廷オーケストラの楽長の地位にありました。副学長はレオポルト・モーツァルト。その息子ウォルフガングは1769年から無給のコンサートマスターを務めます。そんな関係から、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルト家は、互いに高い音楽知性の持ち主ということもあり、家族ぐるみの良好な付き合いをしています。因みに、ミヒャエル・ハイドンは、生涯ザルツブルクを離れることなく、この地で一生を終えています。

 ウォルフガングは1769年末に第1回のイタリア旅行に出発、1771年3月まで滞在しました。旅も終わりに近づいた1771年3月、パドヴァでアラゴーナ大公ジュゼッペ・ヒメネスから舞台劇の依頼を受けます。帰郷後の1771年夏、作曲に取り掛かります。テキストは「救われたベトゥーリア」。ピエトロ・メタスタージオが旧約聖書「コディットの書」から題材をとりイタリア語で書いた宗教劇の台本です。さあ、これをどう料理するか? まだ宗教作品に不慣れだったウォルフガングは父に相談したことでしょう。そのとき、そばにいた姉のナンネル、「去年、二人の留守中に、ハイドン先生が新作の宗教劇を上演しているわ」と弟に教えたのではないでしょうか。ならばと、ウォルフガングは何をおいてもとミヒャエル・ハイドンに教えを仰いだと思われます。
 ミヒャエル・ハイドンは、前年1770年8月31日、オラトリオ「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」をザルツブルクで上演していました。これは日本のキリシタン大名高山右近が主人公。秀吉/家康がモデルとされるショウグン様から「信仰を捨てよ、さもなくば死だ」と迫られるも、信仰を捨てずに死を選ぶ。しかし、彼の強固な信仰心が周囲に畏敬の念を抱かせ、死を免れ称賛を受けるという物語。
 当時、ヨーロッパのカトリックはプロテスタントの攻勢に危機感を抱き、この手のカトリック至上の物語の上演が数多行われていたようです。遠い異国にこんな立派なキリスト者がいる! 信仰のためには死をも恐れない高山右近は布教において格好の題材だったのでしょう。また細川ガラシャ主人公の舞台劇もあったようです。

 ウォルフガングは「キリスト者の忠誠」を参考にして初めての宗教劇「救われたベトゥーリア」を作曲するのですが、まずはその物語を下記。
イスラエルの小国ベトゥーリアは強大なアッシリアの軍に囲まれ水路を絶たれ壊滅寸前に追い込まれる。首長オツィーアは「臆病になるな 臆病は神への冒涜だ」と説くが、種族の長カ―プリと貴婦人アルミタールは「こんな状況でどんな希望があるというのか」と嘆き、打開策を示さないオツィーアを責める。オツィーアは「5日間援軍が来なければ降伏しよう」と決意する。
とそこに、美しくも気高いマッセの貞節な寡婦ジュディッタが登場。「アッシリアの軍に門を開けるとは何事ですか、私が乗り込みます」と言い放ち敵陣に向かう。
敵将ホロフェルネスの側近アルキオールは「ベトゥーリアの民は神に忠実。負けることはない」と和睦を進言するが、将の怒りを買い追放されベトゥーリアの陣に逃げてくる。オツィーアは「あなたのことは私が守る」と彼を受け容れる。
敵陣に乗り込んだジュディッタが戻り「私が敵将を殺した。敵軍は混乱して逃げ出した」と報告。ベトゥーリアは解放されたのである。この状況を見て、アルキオールは神の加護の力を感じ「アブラハムの神のみを信じる」と改宗を宣言。アルミタールとカープリは神を疑ったことを恥じ悔いる。
皆はジュディッタの勇敢な行動を称えるが、ジュディッタは「私への称賛は不要です。ただ神が導いてくださっただけですから」と叙唱。民衆は「偉大な神を称えよう」と賛辞の合唱を歌う。
 ここに付けたモーツァルトの音楽がなんとも凄い! 誠実な首長オツィーア、疑心暗鬼なアルミタール、勇敢なジュディッタ〜各々性格の違いを音楽が的確に表現する。敵将を殺す場面では不気味な、神を語る場面では敬虔な音楽等、状況に応じた楽想を紡ぎ出す。そして、終曲「偉大な神を称えよう」では比類なき感動を聞く者に与える。これが15歳の少年の為せる業なのか! 驚異としか言いようのない作曲術です。

 宗教劇「救われたベトゥーリア」K118の終曲「偉大な神を称えよう Lodi al gran Dio」にはミヒャエル・ハイドンの宗教劇「キリスト者の忠誠」の中の合唱曲「カンターテ・ドミノ」の旋律がそのまま引用されています。そしてまた、「救われたベトゥーリア」で描かれた異教からの改宗、「キリスト者の忠誠」に表された高山右近のキリスト者としての忠誠心は、カトリックの優位性を示す共通項ともいえるでしょう。

 ではここで、上記結論に至った過程を少々。きっかけは2013年初頭あたりの飲み会で、「モーツァルトとフリーメイソンの関係を知りたいなら、良い本があるよ」と石井先生に教えていただいたことでした。早速、勧められた「フリーメイスンとモーツァルト」(茅田俊一著 講談社現代新書)を購入。ひと通り読み終えたあと、そのあとがきに目を見張りました。その内容を下記。
私(著者)はザルツブルクでザルツブルク大学音楽学部のゲアハルト・クロル教授とヨハン・ミヒャエル・ハイドン協会の話をしていたが、その折、同教授から、ミヒャエル・ハイドンの宗教劇「キリスト者の忠誠」(ピエタス・クリスティアーナ)のコーラス「カンターテ・ドミノ」が、そのままモーツァルトのオラトリオ「救われたベトゥーリア」K118=74Cの終曲に転用されていることを聞かされた。
 これは実に興味深い記述 と感じたものの、自分自身で音として検証確認できなければ意味がありません。そこで直ちにコンテンツ探しに走ります。モーツァルトの方は映像商品がすぐに見つかり即購入。しかし、ミヒャエル・ハイドンの方は音も映像も全く見当たりません。それもそのはず、この作品、初演以来このかた、再演された記録がないようなのです。
 これじゃ検証不可能と半ばあきらめていた矢先、何気なくネットを見ていたら、「高山右近とぴっくす」なるサイトにぶつかりました。そこには「京都府南丹市で『キリスト者の忠誠』が上演された」との情報がありました。チャンス!とばかり主宰者の方にメールをしたところ、ドイツ人の学者シャウベッカー・デトロフ氏から堪能な日本語で電話をいただきました。その内容を下記。
私は、数年前、ザルツブルクのベネディクト修道院の屋根裏の資料室で「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」の楽譜を見つけました。台本を書いたのはフローリアン・ライヒスシーゲルというザルツブルク神学校の修辞学の教授でした。当時カトリック教会はプロテスタントの台頭に対抗するためドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ各地に神学校を多数創設しました。その時創設されたザルツブルク神学校は、ローマ教皇庁直轄の地ということもあり、カトリックの振興に殊更熱心でした。ライヒスシーゲル教授は、この目的のため、毎年、カトリックに関わる舞台劇を、卒業生と共に上演したのです。その1770年の出し物が「キリスト者の忠誠」で、作曲は、ザルツブルク宮廷楽長のミヒャエル・ハイドンに依頼しました。初演は、1770年8月31日、卒業式の日に行われました。
この作品は、初演以降再演されたという記録がなく、私はこれを高山右近の国日本で上演する決意を固めました。妻の歌手井尻有香と一緒にこのプロジェクトを進め、2002年12月1日、南丹市日吉町郷土資料館で232年ぶりの復活上演を果たしました。そのビデオがあるので是非ご覧になってください。お貸ししますよ。
 何たる情報と望外のご厚意! 感謝あるのみでした。VHSが届き、所有していたモーツァルトの「救われたベトゥーリア」と照合。「カンターテ・ドミノ」が両者に全く同じ音形で使われていたことを確認できた時の喜びは、自身の音楽研究の中でも格別に感動的な瞬間でした。

 「カンターテ・ドミノ」の旋律は「トーヌス・ペレグリーヌス」といわれる教会旋法の一つ。モーツァルトはミヒャエル・ハイドンから受け継いだこの旋法を忘れることなく持ち続け、1791年、最後の作品「レクイエムニ短調」K626の入祭文 Introitus のソプラノ・ソロ「主を褒め称え歌うにふさわしきはシオンなり Te decet hymunus, Deus in Sion」に転用します。未完のこの作品を補完したジュスマイヤーは、最終章「ルクス・エテルナ Lux aeterna」に、この部分を繰り返します。
 作家でオーディオの鬼才五味康祐は、名著「西方の音」の中で、「モーツァルトの『レクイエム』のソプラノが歌う『シオンにて賛歌を主に捧ぐるはふさわし、天主よ』ほどに敬虔で美しい詠唱を私は他に知らない」と述べています。この旋法は数多の人々に感銘を与えているのです。

 だが、話はこれで終わりません。ミヒャエル・ハイドンは亡くなる年、1806年、自身最後の作品「レクイエム変ロ長調」の「入祭文」と「最終章」に、なんと「トーヌス・ペデグリーヌス」をこちらも再度転用したのです。
 ミヒャエル・ハイドン「キリスト者の忠誠」→モーツァルト「救われたベトゥーリア」→「レクイエム ニ短調」→ミヒャエル・ハイドン「レクイエム変ロ長調」を繋いだ「トーヌス・ペデグリーヌス」の旋律。モーツァルトの生誕地でありミヒャエル・ハイドンの生涯の職場であったザルツブルク。そこで芽生え育まれた二つの精神が、時空を超え思いを寄せあう自他の中で呼応し合った、これは奇蹟の往還といえるのではないでしょうか。

<エピローグ>
 物価高が止まりません。高市政権の物価高対策は、「責任ある積極財政」などと銘打ってはいるものの、円安という根本原因に蓋をするバラマキ頼みのツケ刃。その効果は一時的。18兆3000億円という巨大補正予算は、財源の6割が赤字国債。財政悪化必至、風前の灯火の体。コレ、「無責任な放漫財政」と言い換えるべきでしょう。
 そこで必殺の替え歌を一つ。題して「みだれ上」。上は「カミ」と読んでください。その心はお上=国。それでは、美空ひばりの名曲「みだれ髪」のメロディーに乗せてどうぞ。

                    みだれ上
                 上のみだれに
 目をやれば
                 赤
字財政 風に舞う
                 肉屋
 魚 パンに米屋
                 どこもかしこも 物価が高い
                 無策高市 涙をしぼる

 おあとがよろしいようで。

<参考資料>
モーツァルト(メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルトとフリーメイスン(茅田俊一著 講談社現代新書)
西方の音(五味康祐著 新潮社)
DVDモーツァルト:宗教劇「救われたベトゥーリアK118」(ユニバ−サル)
  クリストフ・ポッペン指揮:ミュンヘン室内管弦楽団
VHSミヒャエル・ハイドン:宗教劇「ティトゥス・ウコンドノ〜キリスト者の忠誠」
  シャウベッカー・デトルフ監修 南丹市日吉町資料館でのライブ映像
CDミヒャエル・ハイドン「レクイエム変ロ長調」 MH838
  Georg Grün指揮:マンハイム・カンマーフィルハーモニー
CDモーツァルト「レクイエムニ短調」K626
  カール・リヒター指揮:ミュンヘンバッハ管弦楽団&合唱団
 2025.10.27 (月)  石井宏先生が教えてくれたモーツァルトのこと〜トーマス・リンリー
 去る10月11日、石井宏先生を偲ぶ会に参加させていただきました。先生を囲んで音楽会、飲み会、ゴルフなど、約20年間、楽しくも有意義な時間を過ごしたお仲間もほぼ私一人になってしまいました。
 先生を紹介してくれた会社の先輩黒川昌満氏、先生最後の著作「モーツァルトはアマデウスではない」の出版に際し集英社との仲介をされた福島輝男氏、TBS時代からのお付き合いの中原教之氏らは、鬼籍に入られ、私より遥かに古いお付き合いの長谷川勝英氏は健康上の理由で参加できませんでした。ご一緒したのは、先生の奥様「松岡三恵コンサート」のCD復刻に多大なご尽力いただいた東洋化成 田中知樹営業本部長ただ一人でした。
 目黒のご自宅には数十人の方々が集まり、先生のご冥福を祈り、想い出話に花を咲かせました。御年94歳でこの盛況!? 亡くなる直前まで元気に活動を続けてこられた証です。
 娘の牧さんが「父が使用していたネクタイ、よかったらお持ちください」と仰るので、遠慮なくブルーのLANVINを一本いただきました。これから、あるかもしれない勝負日のために、大切にしたいと思います。
 石井先生といえばモーツァルト。「クラ未知」、しばらくは先生に教えていただいたモーツァルトの生涯と作品、彼に纏わる人物など、思い出すままに綴ってみたいと思います。まずはモーツァルトが認めた天才音楽家を。

モーツァルトと同世代 イギリスの天才少年 トーマス・リンリー

 モーツァルトの父レオポルトは、ウォルフガング5歳のとき、勝手に作曲する姿を見て、我が子の「天才」を確信。以来、本気になって英才教育を施すようになります。もちろんその中にはヨーロッパ各地の旅も含まれます。目的は息子の才能を伸ばすことでしたが、一方で、ザルツブルクの宮廷ヴァイオリニストというしがない地位からの飛躍という意図もありました。息子の才能を利用して、自身の立身出世を目論んだという訳ですね。
 レオポルトが我が子を最初の旅に連れ出したのは、モーツァルト6歳のとき。13歳までに、ミュンヘン〜ウィーン〜パリ〜ロンドン〜ブリュッセル〜アムステルダム等への旅を行い、あとは音楽の本場イタリアを残すのみとなりました。
 1769年12月、父と子は満を持してイタリアに旅立ちます。オーストリアからイタリアへ渡るには難所ブレンナー峠を越えなければなりません。険しい山道を走る馬車の旅は13歳の少年にとって決して楽なものではなかったはず。しかし、モーツァルトは母への手紙に「最愛のママへ、僕の心は本当にうれしくてすっかりとろけそうです」と書いています。辛さよりも憧れが上回る。そんなワクワク感が伝ってきます。また、モーツァルトは後年、旅についてこう述べています〜「僕は断言しますが、旅をしない人はまったくあわれな人間です。凡庸な才能の人間は旅をしようとしまいと凡庸なままですが、優れた才能の人はいつも同じ場所にいればだめになります」。
 イタリアに入ったモーツァルトは、ロベレート〜ヴェローナ〜ミラノ〜ボローニャで公開コンサートやオペラの上演、また作曲上の研鑽を行うなど、充実の日々を過ごしたあと、ルネサンスの都フィレンツェにやってきます。そこで出会ったのがトーマス・リンリーでした。

 トーマス・リンリー(1756-1778)はイングランド出身の音楽家。作曲家の父のもとでヴァイオリンと作曲を学び、7歳のときにはブリストルで演奏会を開くなど神童としての名声を馳せていました。姉のエリザベス・アンと共にジョイント・コンサートも行っており、このあたり、姉ナンネルと一緒にコンサート・ツアーをしていたモーツァルトと重なるものがあります。1768年から1771年にかけてイタリアに赴き、フィレンツェのピエトロ・ナルディーニにヴァイオリンと作曲を師事しました。
 モーツァルトと出会ったのは1770年4月、フィレンツェの宮廷詩人の家でした。同い年の二人はすぐに意気投合、デュオを楽しみ、音楽への想いを語るなど、互いの才能を認め合い友情を深めてゆきました。しかし、モーツァルトは次の目的地ローマに向かうため、二人の逢瀬は一か月に満たないものでした。
 モーツァルトが旅立つ日、宿舎を訪れたリンリ―は彼に手紙を渡します。そこにはこう書かれていました。
 「とうとう君とお別れの日がやってきました。喜びは涙に変わるけど僕は再び君と会えることを願う。君の心から僕が消え去らないように、僕は君をずっと愛し続けるだろう」
 リンリ―はモーツァルトの乗った馬車をいつまでもいつまでも立ち尽くし見つめていたということです。旅の途中、その年の9月、今度はモーツァルトがフィレンツェのリンリ―に手紙を書きます。
 「友よ、僕が常に変わらぬ愛をもって存在することを信じてくれ」。

 イングランドに戻ったリンリ―は音楽家として顕著な活動を行います。作品は、劇音楽「テンペスト」、「シェイクスピアの魂への頌歌」、歌劇「ドゥエンナ」、オラトリオ「モーゼの歌」など多数あるのですが、シアター・ロイヤルの火災等で楽譜のほとんどが消失してしまいます。
 そして1778年の夏、リンリーはリンカンシャーのグリムズソープ城に滞在中、ボートの事故で溺死してしまいます。享年22歳、天才音楽家のあまりにも儚い一生でした。
 彼のことを、同時代のイングランドのテノール歌手マイケル・ケリー(1762-1826)は、こう惜しんでいます。「リンリ―は真の天才だった。もし、生きていれば、音楽界の最大の誉れの一人になっていただろう」。

 マイケル・ケリーは、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の初演(1786年5月)でドン・バジリオとドン・クルツィオの二役を演じるなどして、ウィーンに度々出かけモーツァルトも会っています。二人がトーマス・リンリーについてあれこれ話しただろうことは想像に難くありません。彼の言はモーツァルトの言と考えてもいいと思います。

 その後のイギリスにおいて、高名な作曲家といえば、エルガー、ディーリアス、ホルストあたりでしょうか。ドイツ、イタリアは言うに及ばず、フランス、ロシアなどに比べても、遥かに地味、見劣りすることは否めません。モーツァルトが認めた天才トーマス・リンリー。彼がもしもっと長生きしていたなら、英国の音楽事情はずっと豊かなものになっていたかもしれません。

 一言〜トーマス・リンリーを“イギリスのモーツァルト”と呼ぶ向きもあるようですが、これはいかにも陳腐に過ぎるでしょう。モーツァルトの前にモーツァルトなし、モーツァルトの後にモーツァルトなしです。でもまあ、キダ・タロー氏を“浪花のモーツァルト”というよりはマシでしょうか。

<参考文献>
少年モーツァルトの旅(石井宏著 音楽之友社)
モーツァルト(メイナード・ソロモン著 石井宏訳 新書館)
モーツァルトの手紙(高橋英郎 小学館)
LP「MICHAEL KELLY &MOZART」(DECCA)
NHK-BS毎日モーツァルト(2006年OA)
 2025.09.30 (火)  石井宏先生の想い出〜モーツァルトのことなど
 残暑のはず、なのに、いまだ猛暑極まる先月末、悲しい知らせが届きました。一人娘の牧さんから「父・石井宏は8月15日94歳にて永眠いたしました」。悲しさ、淋しさ、懐かしさ、感謝と様々な感情が錯綜して湧いてきます・・・・・どうぞ安らかにお眠りください。

 石井先生に初めてお会いしたのは2005年秋。翌年、モーツァルト生誕250年を控え、「That’s Mozart」なるRCA原盤によるモーツァルト名曲集を企画して、そのライナーノーツのお願いに閑静な目黒のご自宅に伺ったときでした。
 その数年前、「なかにし礼モーツァルト・コレクション」に書いていただいたときは、会社の先輩M.K.氏にお任せしたのでお会いしていませんでしたが、いただいた文章に衝撃を覚えていました。深い洞察力、構成の論理性、文体の軽妙さはこれまでお目にかかったことがない新鮮なものだったからです。
 子供のころからクラシック音楽に親しみ、「音楽の友」「レコード芸術」をガイドにLPレコード〜CDを多数蒐集してきた私でしたが、石井宏という名前にはあまり馴染みがありませんでした。先生は1930年生まれ。同世代の評論家には、宇野功芳、高崎保男、海老沢敏氏らが名を連ねます。そんな中でも、抜群の筆力を持つ石井先生がなぜメジャーな存在ではないのか?と訝ったものです。
 ご自宅のオーディオ装置は、スピーカーはJBL4341、そこに豊潤さを出すためUltra Supper Tweeterを付加するという、なかなかに凝ったものでした。ジャズに最適とされるJBLでクラシックを聴く〜オーディオ界の名匠瀬川冬樹氏のコンビネーションを想起させました。
 先生手作りの肴に田酒をいただきながら格別な音を聴き、音楽談議に花が咲く。まさに至福のひととき。気がつけば日付が変わっていました。

 そんな出会いをスタートに、先生とのお付き合いは、毎月の飲み会、ホームコース「東松苑ゴルフ倶楽部」でのゴルフなど、かなり濃密に推移しました。ゴルフの際は目黒駅付近で待ち合わせ、ナンバー1756(モーツァルトの生年)の愛車Eclipse Spyderに同乗させていただきました。
 その都度先生から、深遠な音楽の話、興味深いTBS時代のお仕事のこと、クラシック界の裏話、マスコミ論、政治への考察、ヨーロッパ文化、日本文化への言及など、話題は縦横に飛び交い、いつも話が尽きることがありませんでした。このようなお付き合いを通じて、自分として、なんとなく人間としてのレベルが向上してゆくような実感を覚えたものです。「クラシック未知との遭遇」を始めたのは2008年5月。先生とのお付き合いで「書く」という行為に興味を持ち、これがきっかけの一つになったことは間違いありません。
 今回は、先生との関りから演奏観を根底から変えることになったモーツァルトの名演奏について記そうと思います。

<石井宏が推すモーツァルトの名演>
 石井先生が推奨するモーツァルト名曲の名演奏は「モーツァルトベスト101」(石井宏編 新書館)の「石井宏のこの1枚を聴け!」コーナーにあります。選定する姿勢は凛として確固たるもの。世の演奏論でこれほどまでに説得力ある文章に出会ったことはありません。余人をもって代えがたしとはまさにこのことでしょう。ここは先生の推薦文(要約もあり)を軸に記させていただきます。

(1) シャーンドル・ヴェーグ指揮:ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ
  モーツァルト:セレナード、ディヴェルティメント集 (1986〜1990録音 CAPRICCIO)
1940年から50年代にかけてヴェーグ四重奏団を率いていたシャーンドル・ヴェーグが、引退後教鞭を執ったザルツブルクのモーツァルテウム音楽院の教師たちで組織したカメラータ・アカデミカを率いて録音したモーツァルトのセレナードやディヴェルティメントは16曲で6枚のCDに収められている。もし、モーツァルトのセレナードやディヴェルティメントが欲しいという方は、私はためらうことなくこの6枚のセットを推すものである。ことこのジャンルに関しては右顧左眄する必要は全くない。迷わずこのセットを買えばよいのである。
 「迷わずこのセットを買えばよいのである」。これほど単刀直入毅然たる推奨文にはお目にかかったことがありません。もう買うしかないと新宿TOWERレコードに飛んでいきCAPRICCIOの10枚組を購入しました。先生の推薦セットより数曲付加されたものでした。
 家で最初に聴いたのは「弦楽のためのディヴェルティメント ニ長調 K136」。CDプレイヤーのPlayボタンを押したとたん、活き活きした音の躍動が身体中を貫きます。それは感動を通り越して驚愕ともいえるものでした。全20数曲、すべてがこんな生命力と躍動感に満ちた演奏なのです。まさに石井宏氏の「迷わずこれを買えばよい」です。この方は信頼するに値する と感じた瞬間でした。

(2) クリフォード・カーゾン(ピアノ) ベンジャミン・ブリテン指揮:イギリス室内管弦楽団
  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466 (1970録音 LONDON)
サー・クリフォード・カーゾンはチェルビダッケ同様に録音嫌いであったため、“モーツァルト弾き”として称えられながら、そのディスクの数はひどく少ない。若いころは難曲や現代曲をバリバリと弾いていた彼は50歳を超えるころからモーツァルトを中心とする古典派に転向した。そして激しさも、天上的な静けさも、同時に内包させ、音楽の内的な緊張を弾き出すことのできる稀有なピアニストとなったのである。
  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595 (1970録音 LONDON)
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲は異常な曲である。ほとんど息を止めたような静謐な空間のみがあって時間がないような・・・・・。その世界をものの見事に弾き出しているのが、クリフォード・カーゾンの死後、追悼盤として発売されたこのディスクである。死の予感がある音楽。死の予感がある演奏。オーケストラの指揮はベンジャミン・ブリテン。この上なくすばらしい。
 K466については、お付き合いのあったなかにし礼さんがこう言っていました「モーツァルトの音楽はね、フリーメイソン入会後劇的に変わるんだよ。例えばピアノ協奏曲の第20番。この第1楽章の冒頭を聞いてごらん。音楽が沈むんだよ。ハイドンまでの音楽は浮遊するだけだったけれどモーツァルトは沈むんだ」。確かにその通りです。
 そして、石井先生推薦のカーゾン&ブリテン盤。第1楽章冒頭のオケ部分。61小節と64小節に現れるクレッシェンドの絶妙さ。この部分だけでもブリテンのセンスと凄さが覗われます。オケの導入が終わって静かに弾き出されるカーゾンのピアノの透明感。まるで黒水晶のような輝きです。
 K595は、随所にモーツァルトそのもののような愉悦感を漂わせたバックハウス盤と清澄そのもの彼岸の音楽が聞こえるこのカーゾン盤が双璧の名演奏でしょう。

 カーゾン&ブリテン盤はK466と595のカプリング。生前、石井先生からジャケットにサインをいただいたCDは私の宝物の一つです。

(3) シュティッヒ・ランダル「モーツァルト歌曲集」(1961録音 ACCORD)
モーツァルトの歌曲というと「エリーザベト・シュヴァルツコップ」(日本名エリザベート)なんてお答えになるのはどなたですか。そう、彼女の録音のピアノ(ギーゼキング)はすばらしいですね。でも、あの厚塗りのメイク術のような歌い方がほんとうにそれほど宣しいものですか。「私はうまいでしょう、歌唱技術ってこういうものよ」と歌っているようではありませんか。騙されたと思ってスティック=ランドール(シュティッヒ・ランダル)と聴き比べてください。
 これまたレコード評論に一石を投じるすさまじい文面です。巷で名演の誉れ高いシュワルツコップ&ギーゼキングの録音を一刀両断に斬って捨てる。こんな潔い文章は滅多にあるものではありません。これはもう聴いてみるしかないと今度は渋谷TOWERレコードで購入。モーツァルトの歌曲6曲を含む4枚組のセットでした。
 すみれ〜夕べの想い〜夢のすがた〜おいで、いとしのツィターよ〜春への憧れ〜クローエに〜別離の歌・・・・・なんという清澄さ。そして、漂う気品。不純なものを一切排してしかも冷たくならない穏やかな肌合い。これぞモーツァルトの世界と感じたものです。

 石井先生とのお付き合いは約20年に及びました。想い出は深く限りないものでした。今回記したモーツァルト/演奏評を始め、著作物、ゴルフ、グルメなどテーマ〜エピソードは尽きることがありません。これらについても順次述べさせていただきたいと思います。

<参考資料>
「モーツァルトベスト101」(石井宏編 新書館)
「なかにし礼 モーツァルト・コレクション」解説文(BMGファンハウス)



[2008年5月〜2025年8月のコラム]
2025/08/31 (日)  百人一首を離れて〜遊行柳を尋ね、西行/芭蕉を偲ぶ
2025/07/31 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 7〜My Favorite 4 果てしなき望郷の歌
2025/06/26 (木)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 6〜My Favorite 3 長嶋茂雄さん追悼
2025/05/27 (火)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 5〜My Favorite 2
2025/04/25 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 4〜My Favorite 1
2025/03/28 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 3〜僧たちの歌
2025/02/21 (金)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 2〜天皇の歌を中心に
2025/01/20 (月)  母が遺した「小倉百人一首」冊子から 1〜大河ドラマ「光る君へ」女流歌人の歌
2024/12/16 (月)  ワーグナー「ニーベルングの指環」総括
2024/11/07 (木)  MLB2024ワールドシリーズ「クラ未知」的リポート
2024/10/31 (木)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合 (後編)
2024/09/30 (月)  ワーグナー「神々の黄昏」原典との照合(前編)
2024/08/31 (土)  ワーグナー「ジークフリート」原典との照合
2024/07/31 (水)  ワーグナー「ワルキューレ」原典との照合
2024/06/30 (日)  ワーグナー「ラインの黄金」 原典との照合
2024/05/22 (水)  ワーグナーの「指環」を原典から考察する
2024/04/15 (月)  春のクラシック楽曲のやぶにらみ的考察
2024/03/11 (月)  中島みゆきコンサート「歌会VOL.1」〜超私的レポート
2024/02/15 (木)  「ZENさんのぶらり音楽の旅」という本
2024/01/17 (水)  新年所感〜メサイア出現を待望する
2023/12/10 (日)  12月 雑感〜吾が今年の漢字は「失」
2023/11/15 (水)  松岡三恵CD復刻の顛末
2023/10/12 (木)  田畑圭一郎くん、安らかに
2023/09/10 (日)  地球沸騰の夏にウクライナを想う
2023/08/16 (水)  若大将・加山雄三の「音楽はみんなともだち」〜似たもの楽曲ア・ラ・カ・ル・ト
2023/07/13 (木)  ちょっと変!? 流行歌の歌詞いろいろ
2023/06/14 (水)  競馬人生、光と影
2023/05/10 (水)  超私的坂本龍一観〜「雪列車」に寄せて
2023/04/05 (水)  春爛漫〜WBC、そして中島みゆき
2023/03/15 (水)  加茂川洗耳評論第3弾〜おかしな評論あれこれ
2023/02/15 (水)  加茂川洗耳評論第2弾〜志鳥流ステレオタイプ的批評術
2023/01/11 (水)  2022/2023年またぎ音楽時評
2022/12/14 (水)  秋の信州〜コンサート2連荘
2022/11/15 (火)  加茂川洗耳の怪評論を解読する
2022/10/12 (水)  ベートーヴェン、その楽曲に籠めた思い
2022/09/18 (日)  ベートーヴェンの「不滅の恋人」を考察する
〜小山実稚恵の第31番に触発されて

2022/08/16 (火)  小山実稚恵 衝撃のクレッシェンド
2022/07/26 (火)  ショパン・コンクールにまつわる日本人女流ピアニスト2
〜中村紘子という妖怪ピアニスト

2022/06/20 (月)  ショパン・コンクールにまつわる日本人女流ピアニスト1
〜原智恵子と田中希代子

2022/05/20 (金)  プーチンのウクライナ侵攻とショスタコーヴィチの交響曲
2022/04/23 (土)  春なのに・・・・・
2022/03/15 (火)  女優カラスVS天使テバルディ
2022/02/25 (金)  北京冬季オリンピック〜感動と欺瞞の祭典
2022/01/25 (火)  DIVAマリア・カラスのオペラ歌手人生
〜ギリシャ、アメリカ、イタリア、そして「ノルマ」

2021/12/18 (土)  Come Come Everybody からルイ・アームストロングを思う
2021/11/11 (木)  MLB、そして大谷翔平について思うこと
2021/10/20 (水)  秋に寂しきもの
2021/09/25 (水)  拝啓 茅田俊一先生〜岡村 晃(1964年入学・Tp)
2021/08/25 (水)  モーツァルト「レクイエム」ニ短調KV626〜その補筆部分をめぐって
茅田俊一 1954年入学 Va (一響No.21掲載)

2021/07/20 (火)  モーツァルト「レクイエム」におけるジュスマイヤー最大のミスを是正する
岡村 晃 1964年入学 Tp(一響NO.20掲載)

2021/06/20 (日)  阪神タイガースの背番号「完全数」と「4の階乗」のお話
2021/05/20 (木)  宇野功芳先生のこと
2021/04/15 (木)  マスターズ2021 松山英樹の初制覇を考証する
2021/03/20 (土)  中くらいなり おらが春
2021/02/10 (水)  追悼〜なかにし礼さんへの私的レクイエム第二章
2021/01/15 (金)  追悼〜なかにし礼さんへの私的レクイエム第一章
2020/12/05 (土)  チャーリー・パーカー伝記「バード」を読んで
2020/11/12 (木)  2020米大統領選挙クラ未知的総括
2020/10/10 (土)  大統領選挙から不思議の国アメリカを探る
2020/09/05 (土)  安倍政権の7年8カ月を総括する with Rayちゃん
2020/08/16 (日)  八月、父のことからワーグナーと万葉集に想いを馳せる
2020/07/13 (月)  7月雑感
〜なぜかノルウェー、そしてエリントンからベートーヴェン経由ラヴェルまで

2020/06/26 (金)  626に纏わるブラウニーとアマデウス10
〜PORTRAIT OF SIDNEY BECHETにおけるエリントンの選択

2020/05/20 (水)  626に纏わるブラウニーとアマデウス9
〜再度、瀬川先生とのやり取り、検証

2020/04/25 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス8
〜やはりプロコープ、そして瀬川昌久先生

2020/03/25 (水)  626に纏わるブラウニーとアマデウス7〜あれはジョニー・ホッジス
2020/02/25 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス6〜あれはシドニー・ベシェ
2020/01/25 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス5
〜駆け出し愛好家の「ELLINGTON UPTOWN」研究

2019/12/15 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス4
〜ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」の構造

2019/11/05 (火)  追悼 八千草薫さん
2019/10/25 (金)  626に纏わるブラウニーとアマデウス3
〜アンドレ・プレヴィン、オンリーワン

2019/09/22 (日)  626に纏わるブラウニーとアマデウス2
〜ジャズの名手 モーツァルトを演奏する の巻

2019/08/16 (土)  626に纏わるブラウニーとアマデウス1
〜ジャズの名手はクラシックの名曲をどう料理したか?

2019/07/13 (土)  憲法第9条自民党改正案をぶっ潰せ
2019/06/25 (火)  復興支援のモツレク、そして、新しい岡村版の提唱
2019/05/25 (土)  随想〜風薫る5月に
2019/04/25 (木)  私のオーディオ史
2019/03/31 (日)  野口久光先生の思い出
2019/02/25 (月)  NHK大河ドラマ「西郷どん」が終わって〜クラ未知的西郷隆盛論 後編
2019/02/01 (金)  クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」リポート
2019/01/20 (日)  年末年始雑感・音楽篇〜ウィーンフィル・ニューイヤーと純烈
2018/12/25 (火)  NHK大河ドラマ「西郷どん」が終わって〜クラ未知的西郷隆盛論 前編
2018/11/25 (日)  ジネット・ヌヴー賛〜稀代の天才ヴァイオリニストを偲ぶ
2018/10/27 (日)  ストラディヴァリウス考察〜奇跡、その真相
2018/09/30 (日)  さらばFMえどがわ
2018/08/31 (金)  わが母を偲んで
2018/05/25 (金)  エジソンを凌駕した知られざる偉人2〜エミール・ベルリナー
2018/04/25 (水)  エジソンを凌駕した知られざる偉人1〜ニコラ・テスラ
2018/03/05 (月)  平昌五輪 二人の長野県人メダリストの明と暗
2018/02/15 (木)  贋作昨今〜曜変天目からモーツァルト「アデライード協奏曲」を考察する
2018/01/15 (月)  2018年始雑感〜アルゲリッチ、ABC予想など
2017/12/10 (日)  一橋大学オーケストラ47年ぶりの同期会
2017/11/16 (木)  カズオ・イシグロからFMえどがわ20周年、そして、おめでとう奈良さん!
2017/10/25 (水)  小池百合子の失敗〜希望から絶望へ
2017/09/29 (金)  政変は8年周期でやってくる!?〜小池百合子は「この戦は勝てる!」と踏んだ
2017/09/20 (水)  旧Cafe ELGAR店主からのメールを読んで〜後編「誤認を訂正する」
2017/09/05 (火)  旧Cafe ELGAR店主からのメールを読んで〜前編「クラ未知」記述は不正確
2017/08/15 (火)  真夏の夜の夢〜シェイクスピア あれこれ
2017/07/25 (火)  夏のクラシック音楽〜「りんりんクラシック」から
2017/07/15 (土)  ドキュメント〜シャーンドル・ヴェーグのK137を解明する
2017/06/26 (月)  モナリザ500年目の真実 後編〜4人目のモナリザは誰?
2017/06/20 (火)  モナリザ500年目の真実 前編〜隠れていたジョコンダ
2017/05/25 (木)  安倍とトランプ、辞めるのはどっち?
2017/05/15 (月)  エルガー「愛の挨拶」とドラマ「相棒」に纏わる面白話
2017/03/25 (土)  「死なばモリトモ」問題 私感
2017/03/15 (水)  3月の「りんクラ」は「唱歌VSクラシック」の春対決
2017/02/25 (土)  追悼 船村徹〜歌は心でうたうもの
2017/02/15 (水)  第156回直木賞受賞作「蜜蜂と遠雷」はなかなかの傑作だ
2017/01/25 (水)  2017年頭雑感「スポーツ」編〜with Rayちゃん
2017/01/15 (日)  2017年頭雑感「内外情勢」編〜with Rayちゃん
2016/12/25 (日)  ボブ・ディランより中島みゆき
2016/12/10 (土)  丸山泰弘さん追悼演奏会
2016/12/05 (月)  杉並公会堂のことなど〜with Rayちゃん
2016/11/15 (火)  至福のワーグナー体験
2016/10/25 (火)  ボブ・ディランのノーベル賞受賞を抉る
2016/10/15 (土)  FMえどがわ「りんりんクラシック」
2016/09/26 (月)  奇跡の夜〜トム・ハンクスと遭遇の顛末
2016/09/25 (日)  リオ五輪を歴史で斬る 4 〜ボルト 短距離侍4 マラカナンの歓喜
2016/09/07 (水)  リオ五輪を歴史で斬る 3 〜柔道と競泳 お家芸復活!?
2016/08/31 (水)  リオ五輪を歴史で斬る 2 〜ラケット球技 奇跡の5連続ポイント
2016/08/25 (木)  リオ五輪を歴史で斬る 1 〜吉田と伊調そして内村とベルニャエフ
2016/08/10 (水)  スコッチ・ウイスキーにまつわるエトセトラ
2016/07/25 (月)  閑話窮題〜都知事選、鳥越候補のトはトンチンカンのト
2016/07/05 (火)  ブッシュミルズから「ダニー・ボーイ」が聞こえる
2016/06/19 (日)  閑話窮題〜「マスゾエはフォークだ」内田裕也
2016/05/30 (月)  葉加瀬太郎 “再度”違いだらけの音楽講座
2016/05/15 (日)  世の中 ヤキが回ってきたようで!? with Rayちゃん
2016/04/25 (月)  パクリとオリジナルの間に7〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語C
津村の詞がなかったら「瀬戸の花嫁」は誕生しなかった!?

2016/04/10 (日)  パクリとオリジナルの間に6〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語B青春の置き土産
2016/03/25 (金)  パクリとオリジナルの間に5〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語A津村、喜んだのも束の間!
2016/03/10 (木)  パクリとオリジナルの間に4〜「瀬戸の花嫁」誕生㊙物語@津村公という男
2016/02/25 (木)  パクリとオリジナルの間に3〜浜口庫之助のリニューアル二題
2016/02/10 (水)  パクリとオリジナルの間に2〜「また逢う日まで」は阿久悠自身のパロディ
2016/01/25 (月)  パクリとオリジナルの間に1〜美空ひばり「悲しい酒」は二番煎じ
2016/01/10 (日)  個性とセンスの完全主義者ブーレーズの死を悼む
2015/12/28 (月)  2015年末放談 with Rayちゃん
2015/12/10 (木)  テロはなくならないのか?
2015/11/25 (水)  世界野球プレミア12 日韓戦の敗戦
2015/11/10 (火)  バーンスタイン&NYP 2つの幻想交響曲の秘密 後編
2015/10/25 (日)  バーンスタイン&NYP 2つの幻想交響曲の秘密 前編
2015/10/15 (木)  モツレクに斬り込む 最終回〜「レヴィン版」の欠点と岡村版の提唱
2015/09/25 (金)  モツレクに斬り込む11〜「レヴィン版」を含む3つの版を考察する
2015/09/10 (火)  戦後70年に寄せて(後編)〜戦後復興、そしてJiijiの提言
2015/08/25 (火)  戦後70年に寄せて(前編)〜日本はなぜ負けたのか?
2015/08/10 (月)  モツレクに斬り込む10〜モーンダー版は問題あり!
2015/07/25 (土)  モツレクに斬り込む9〜厚化粧を是正したバイヤー版
2015/07/10 (金)  モツレクに斬り込む8〜すべてはモーツァルトの指示
2015/06/25 (木)  モツレクに斬り込む7〜ジュスマイヤーの失敗はなぜ起きてしまったのか?
2015/06/15 (月)  モツレクに斬り込む6〜ジュスマイヤー最大の失敗
2015/05/25 (月)  これでいいのか 日本!!with Rayちゃん
2015/05/15 (金)  モツレクに斬り込む5〜「サンクトゥス」Sanctusは「孤児院ミサ」の引用
2015/04/29 (水)  モツレクに斬り込む4〜「涙の日」Lacrimosaにおけるモーツァルトの指示
2015/04/12 (日)  モツレクに斬り込む3〜コンスタンツェ その見事な裁量
2015/04/01 (水)  ちょっと変だぜ世の中が with Ray ちゃん
2015/03/25 (水)  モツレクに斬り込む2〜奇妙な三角関係
2015/03/10 (火)  モツレクに斬り込む1〜可哀想なジュスマイヤー
2015/02/25 (水)  アメリカが「モツレク」で犯した罪
2015/02/10 (火)  中東にレクイエムを
2015/01/25 (日)  映画「バンクーバーの朝日」と沢村栄治
2015/01/13 (火)  新年に寄せて with Rayちゃん
2014/12/25 (木)  2014ランダム回顧 with Rayちゃん
2014/12/10 (水)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究11〜
          バッハ第3の不易流行「バッハはユーミンの先導師」

2014/11/25 (火)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究10〜バッハ第2の不易流行「平均律」
2014/11/10 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究9〜バッハ不易流行その1「対位法」
2014/10/25 (土)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究8〜「旅に病んで」の深意
2014/10/10 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究7〜果てしなき不易流行
2014/09/025 (木)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究6〜「おくのほそ道」に「不易流行」を探る
2014/09/05 (金)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究5〜芭蕉における「不易流行」の概念
2014/08/05 (火)  Jiijiのつぶやき〜葉加瀬太郎 間違いだらけの音楽講座
2014/07/25 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート 番外編〜出た!蓮實重彦のとんでもない論評
2014/07/20 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート6 〜 ドイツ優勝と大会総括
2014/07/13 (日)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート5 〜 最後に綻んだファンハール采配
2014/07/11 (金)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート4 〜 戦犯はダビドルイス
2014/07/08 (火)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート3 〜 ベスト4出揃う
2014/06/30 (月)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート2 〜 グループリーグに異変
2014/06/26 (木)  2014ブラジル・ワールドカップ・リポート1 〜 日本終戦にJiijiの提言
2014/06/25 (水)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究4〜「おくのほそ道」に見る対置 Contraposition の妙
2014/06/10 (火)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究3〜J.S.バッハ シンメトリーの意識
2014/05/25 (日)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究2〜「ゴールドベルク変奏曲」に見る宇宙観
2014/05/05 (月)  芭蕉とバッハ:作品に潜む共通性の研究1〜芭蕉の宇宙観
2014/04/15 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する7〜ある作曲家の論評
2014/04/01 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する6〜拝啓 神山典士様
2014/03/20 (木)  Jiijiのつぶやき〜春なのに
2014/03/11 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する5〜フィクサーXの存在
2014/03/01 (土)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する「最終回」〜長木誠司はとんでもない
2014/02/25 (火)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する3〜許光俊の前代未聞の推奨文
2014/02/20 (木)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する2〜本当に知らなかったのか?
2014/02/16 (日)  驚愕のペテン師・佐村河内守を考察する1〜空前絶後の事件
2014/02/10 (月)  Jiiijiのつぶやき〜春呼ぶクラシック
2014/01/25 (土)  クラウディオ・アバド追悼
2014/01/20 (月)  Jiijiのつぶやき〜年末年始エンタメ編
2014/01/10 (金)  Jiijiのつぶやき〜年末年始スポーツ編
2013/12/15 (日)  閑話窮題〜GlobalクリスマスSongs
2013/12/05 (木)  晩秋断章〜今年の秋は回帰がテーマ
2013/11/20 (水)  上原浩治&ボストンの奇跡2〜「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」
2013/11/10 (日)  上原浩治&ボストンの奇跡1〜それは「スイート・キャロライン」から始まった
2013/10/31 (木)  閑話窮題〜天野祐吉さん死す
2013/10/25 (金)  閑話窮題〜「ベートーヴェンとベートホーフェン」
2013/10/10 (木)  私的「下山事件論」最終回〜時代に殺された下山定則
2013/09/15 (日)  閑話窮題〜突然の贈りもの
2013/09/02 (月)  閑話窮題〜「風立ちぬ」を観て
2013/08/25 (日)  私的「下山事件論」5〜事件当時の情勢
2013/08/10 (土)  私的「下山事件論」4〜矢板玄の話 後編
2013/07/22 (月)  閑話窮題〜映画「25年目の弦楽四重奏」を見て
2013/07/20 (土)  閑話窮題〜サプライズ連発のコンサート
2013/07/17 (水)  閑話窮題〜ソムリエ検定奮闘記
2013/07/10 (水)  私的「下山事件論」3〜矢板玄の話 前編
2013/06/25 (火)  私的「下山事件論」2〜犯人の行動を追う
2013/06/10 (月)  私的「下山事件論」1〜事件の本質とあらまし
2013/05/25 (日)  閑話窮題〜風薫る季節に
2013/05/15 (木)  「魔笛」と高山右近12〜松本清張「モーツァルトの伯楽」を読んで
2013/04/25 (木)  「魔笛」と高山右近11〜高山右近は「魔笛」の中に生きている
2013/04/15 (月)  閑話窮題〜今年のマスターズは二日目15番タイガーの第3打で終わった
2013/04/10 (水)  「魔笛」と高山右近10〜モーツァルトに高山右近が降臨!
2013/03/25 (月)  「魔笛」と高山右近9〜ウィーンでの再会と「魔笛」への着手
2013/03/10 (日)  「魔笛」と高山右近8〜フリーメイソンへの入会
2013/02/25 (月)  「魔笛」と高山右近7〜人生最大の転機
2013/02/10 (日)  「魔笛」と高山右近6〜ミュンヘンからウィーンへ
2013/01/31 (木)  「魔笛」と高山右近5〜シカネーダーという男
2013/01/25 (金)  「魔笛」と高山右近4〜モーツァルトとウコンドノの接点
2012/12/25 (火)  「魔笛」と高山右近3〜「ティトス・ウコンドノ」という宗教劇
2012/12/10 (月)  「魔笛」と高山右近2〜モーツァルトとミヒャエル・ハイドン
2012/11/25 (日)  「魔笛」と高山右近1〜タミーノは高山右近か?
2012/11/05 (月)  大滝秀治最後の台詞に健さんが涙したわけ
2012/10/25 (木)  リアリズムよりリリシズム〜「あなたへ」を観て読んで
2012/10/20 (土)  村上春樹と尖閣問題とノーベル賞と そして、山中教授
2012/10/05 (金)  尖閣問題の真相〜それは田中角栄の不用意な発言から始まった
2012/09/05 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックE
2012/08/25 (日)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックD
2012/08/15 (水)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックC
2012/08/13 (月)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックB
2012/08/10 (金)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピックA
2012/08/07 (火)  ロンドン五輪2012/意外性と歴史回顧のオリンピック@
2012/07/25 (水)  私の中の中島みゆき5−中島みゆきは“演歌”である4
2012/07/10 (火)  私の中の中島みゆき4−中島みゆきは"演歌"である3
2012/06/27 (水)  閑話窮題〜波動スピーカーなど
2012/05/31 (木)  閑話窮題〜風薫る季節の中で
2012/05/20 (日)  私の中の中島みゆき3−中島みゆきは"演歌"である2
2012/05/10 (木)  私の中の中島みゆき2−中島みゆきは"演歌"である1
2012/04/20 (金)  私の中の中島みゆき1〜私的一元的中島みゆき論
2012/04/05 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥D 記者会見発言の真相
2012/03/20 (火)  痛快!芥川賞作家田中慎弥C 作家としての石原慎太郎
2012/03/10 (土)  痛快!芥川賞作家田中慎弥B「共喰い」を読んで
2012/03/01 (木)  痛快!芥川賞作家田中慎弥A「ポトスライムの舟」VS「神様のいない日本シリーズ」
2012/02/20 (月)  慎んで「懺悔の記」
2012/02/15 (水)  緊急臨発!もう一つの芥川賞作品を考証する
2012/02/10 (金)  痛快!芥川賞作家田中慎弥@「神様のいない日本シリーズ」の面白さ
2012/02/05 (日)  FM放送
2012/01/25 (水)  小澤征爾 日本の宝
2012/01/10 (火)  閑話窮題〜2012新年雑感
2011/12/25 (日)  閑話窮題〜2011今年も暮れ行く
2011/12/05 (月)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション31−40
2011/11/25 (金)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション21−30
2011/11/15 (火)  閑話窮題〜リュウちゃんのシューベルト超天才論
2011/10/31 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション11−20
2011/10/25 (火)  「究極のシューベルト歌曲集」キャプション1−10
2011/10/13 (木)  「究極」ついに完成
2011/09/30 (金)  「ローレライ」は「春の夢」から生まれた
2011/09/20 (火)  「白鳥の歌」から
2011/09/11 (日)  「冬の旅」から
2011/08/31 (水)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻2
2011/08/25 (木)  「さよならドビュッシー」を読んで〜不協和音の巻1
2011/08/15 (月)  「さよならドビュッシー」を読んで〜協和音の巻
2011/07/31 (日)  閑話窮題〜とんでもないサッカー論
2011/07/25 (月)  閑話窮題〜「なでしこジャパン」クラ未知的総括
2011/07/10 (日)  閑話窮題〜「シェエラザード」にまつわるエトセトラ
2011/06/30 (木)  大震災断章[9] 圧巻の長渕 剛
2011/06/20 (月)  大震災断章[8]届け!音楽の力〜海外アーティスト編
2011/06/05 (日)  大震災断章[7]赤子の特権で踊り捧げる
2011/05/25 (水)  大震災断章[6]自民党よ、あんたに言われる筋合いはない
2011/05/20 (金)  大震災断章[5]菅直人を戴く不幸
2011/05/12 (木)  大震災断章[番外編] 東北に捧げるアダージョ
2011/05/09 (月)  大震災断章[4] エネルギー政策の正しいあり方
2011/04/30 (土)  大震災断章[3] 原発をどうする
2011/04/25 (月)  大震災断章[2] 原発事故は人災
2011/04/20 (水)  大震災断章[1] 想定外は恥
 2011/03/23 (水)  シューベルト歌曲の森へ21 なんてったって「冬の旅」14
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる 最終回>
 2011/03/10 (木)  シューベルト歌曲の森へS なんてったって「冬の旅」13
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その4>
 2011/02/25 (金)  シューベルト歌曲の森へR なんてったって「冬の旅」12
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その3>
 2011/02/15 (火)  シューベルト歌曲の森へQ なんてったって「冬の旅」11
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その2>
 2011/02/05 (土)  シューベルト歌曲の森へP なんてったって「冬の旅」10
<「辻音楽師」の調性における定説に、敢えて疑問を投じる その1>
2011/01/20 (木)  閑話窮題――地デジ化の効用
2011/01/10 (月)  シューベルト歌曲の森へO なんてったって「冬の旅」9<いかがなものかこの本は!>
 2010/12/25 (土)  シューベルト歌曲の森へN なんてったって「冬の旅」8
<「最後の一葉」は「最後の希望」がべース の根拠>
2010/12/10 (金)  シューベルト歌曲の森へM なんてったって「冬の旅」7 <シューベルトとオー・ヘンリー>
2010/11/29 (月)  シューベルト歌曲の森へL なんてったって「冬の旅」6 <「冬の旅」は僕の分身>
2010/11/19 (金)  シューベルト歌曲の森へKなんてったって「冬の旅」5 <これですべてが読めた!>
2010/11/10 (水)  シューベルト歌曲の森へJなんてったって「冬の旅」4 <シュ−ベルト戸惑う>
2010/10/28 (木)  シューベルト歌曲の森へIなんてったって「冬の旅」3 <ミュラー順番決定の真相>
2010/10/18 (月)  シューベルト歌曲の森へHなんてったって「冬の旅」 2<「勇気」におけるミュラーの事情>
2010/10/07 (木)  シューベルト歌曲の森へGなんてったって「冬の旅」1<曲順の謎>
2010/09/22 (水)  シューベルト歌曲の森へF法隆寺のリュウちゃん6「すぐに権威にならないで!」
2010/09/03 (金)  シューベルト歌曲の森へE法隆寺のリュウちゃん5「拙速は禁物」
2010/08/23 (月)  シューベルト歌曲の森へD法隆寺のリュウちゃん4「野ばら」は鈍感?
2010/08/09 (月)  シューベルト歌曲の森へC〜フェリシティ・ロット
2010/07/26 (月)  シューベルト歌曲の森へB〜法隆寺のリュウちゃん3「ひとまず 3大歌曲集以外へ」
2010/07/15 (木)  シューベルト歌曲の森へA〜法隆寺のリュウちゃん2「涙の雨」
2010/07/07 (水)  シューベルト歌曲の森へ@〜法隆寺のリュウちゃん1「三大歌曲集」
2010/06/24 (木)  シューベルト歌曲の森へ〜プロローグ
2010/06/07 (月)  シューベルト1828年の奇跡19〜キルケゴールとシューベルトA
2010/05/30 (日)  シューベルト1828年の奇跡18〜キルケゴールとシューベルト@
2010/05/10 (月)  ショパン生誕200年 独断と偏見による究極のコンピレーション
2010/04/22 (木)  シューベルト1828年の奇跡17〜ブレンデルとポリーニ3
2010/04/14 (水)  映画「ドン・ジョヴァンニ」〜天才劇作家とモーツァルトの出会い を観て
2010/04/09 (金)  シューベルト1828年の奇跡16〜ブレンデルとポリーニ2
2010/03/31 (水)  シューベルト1828年の奇跡15〜ブレンデルとポリーニ1
2010/03/21 (日)  シューベルト1828年の奇跡14〜内田光子の凄いシューベルト2
2010/03/11 (木)  シューベルト1828年の奇跡13〜内田光子の凄いシューベルト1
2010/02/24 (水)  シューベルト1828年の奇跡12〜アインシュタイン、その引用の謎C
2010/02/15 (月)  シューベルト1828年の奇跡11〜アインシュタイン、その引用の謎B
2010/01/29 (金)  シューベルト1828年の奇跡10〜アインシュタイン、その引用の謎A
2010/01/20 (水)  シューベルト1828年の奇跡9〜アインシュタイン、その引用の謎@
2010/01/11 (月)  永ちゃんとリヒテル
2009/12/25 (金)  シューベルト1828年の奇跡8〜ミサ曲第6番
2009/12/09 (水)  シューベルト1828年の奇跡7〜駒からはなれよ
2009/11/26 (木)  シューベルト1828年の奇跡6〜「グレート、この偉大な交響曲」E
2009/11/16 (月)  シューベルト1828年の奇跡5〜「グレート、この偉大な交響曲」D
2009/11/06 (金)  シューベルト1828年の奇跡4〜「グレート、この偉大な交響曲」C
2009/10/26 (月)  シューベルト1828年の奇跡3〜「グレート、この偉大な交響曲」B
2009/10/17 (土)  シューベルト1828年の奇跡2〜「グレート、この偉大な交響曲」A
2009/10/07 (水)  シューベルト1828年の奇跡1〜「グレート、この偉大な交響曲」@
2009/09/29 (火)  Romanceへの誘いG「ブラームスはワルツが好き?」
2009/09/21 (月)  Romanceへの誘いF「シューベルトはソナタが苦手?」その5
2009/09/16 (水)  Romanceへの誘いE「シューベルトはソナタが苦手?」その4
2009/08/31 (月)  Romanceへの誘いD「シューベルトはソナタが苦手?」その3
2009/08/24 (月)  Romanceへの誘いC「シューベルトはソナタが苦手?」その2
2009/08/17 (月)  Romanceへの誘いB「シューベルトはソナタが苦手?」その1
2009/08/03 (月)  Romanceへの誘いA「ドメニコ・スカルラッティとJ.S.バッハは同期の桜」
2009/07/20 (月)  Romanceへの誘い@「セザール・フランク二つの顔」
2009/06/29 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――3
2009/06/22 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――2
2009/06/15 (月)  茂木健一郎氏クオリア的冬の旅――1
2009/06/01 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――最終回
2009/05/25 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――8
2009/05/18 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――7
2009/05/11 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――6
2009/04/27 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――5
2009/04/13 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――4
2009/04/06 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――3
2009/03/30 (月)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――2
2009/03/21 (土)  バッハ・コード〜「ロ短調ミサ」に隠された謎――1
2009/03/09 (月)  閑話窮題――チャイ5
2009/03/02 (月)  閑話窮題――「フィガロの結婚」真実の姿 後日談
2009/02/23 (月)  閑話窮題――もう一度吉田秀和を斬る
2009/02/09 (月)  生誕100年私的カラヤン考――最終章
2009/02/02 (月)  生誕100年私的カラヤン考――7
2009/01/26 (月)  生誕100年私的カラヤン考――6
2009/01/19 (月)  生誕100年私的カラヤン考――5
2009/01/12 (月)  生誕100年私的カラヤン考――4
2008/12/29 (月)  生誕100年私的カラヤン考――3
2008/12/22 (月)  生誕100年私的カラヤン考――2
2008/12/15 (月)  生誕100年私的カラヤン考――1
2008/12/01 (月)  ケネディ追悼 モーツァルト「レクイエム」に纏わる石井宏と五味康祐
2008/11/17 (月)  石井宏のこの一枚を聴け!
2008/11/10 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――7=エピローグ
2008/10/27 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――6
2008/10/13 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――5
2008/10/06 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――4
2008/09/29 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――3
2008/09/22 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――2
2008/09/15 (月)  これってタブー?〜吉田秀和を斬る――1
2008/09/01 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 2
2008/08/25 (月)  真夏の夜の支離滅裂――小林秀雄を斬る 1
2008/08/11 (月)  二つのバイロイトの第九――エピローグ
2008/08/04 (月)  二つのバイロイトの第九――その2
2008/07/29 (火)  二つのバイロイトの第九――その1
2008/07/14 (月)  続・ハイフェッツの再来
2008/07/07 (月)  ハイフェッツの再来
2008/06/30 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――最終回
2008/06/23 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――6
2008/06/16 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――5
2008/06/09 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――4
2008/06/02 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――3
2008/05/26 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――2
2008/05/21 (水)  「フィガロの結婚」〜3人の風雲児が産んだ奇跡の傑作
2008/05/19 (月)  「フィガロの結婚」真実の姿――1
2008/05/12 (月)  クラシック 未知との遭遇――プロローグ

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