ブルーバイユーからの手紙
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2016/06/29 (水)  癌との出会い 2
2016/05/15 (日)  癌との出会い
2014/11/14 (金)  Guts Over Fear
2014/07/31 (木)  The Devil's Violinist
2014/05/23 (金)  ブルージャスミン

2009年7月〜2013年12月のコラム
 2016.06.29 (水)  癌との出会い 2
 翌日、T医療センターへ内視鏡権威の先生の講演会に、話を聞きに行ってくれたデンゼル医師の診察を受けた。やはり、私の癌のタイプでは内視鏡での切除は無理とのこと。一刻も早く、手術にむけて診察、検査を受けなくてはならないことなどを告げられた。デンゼル医師は、その内視鏡の医師にすぐ予約を取るように勧めてくれるが、それでも私はぐずぐずしていた。新しく増やした仕事のことが気になったからだ。優しいデンゼル医師が、いつになく少し厳しい口調で、「息子さんのことを考えて!」という。前日、アメリカの親友に癌のことを報告した時も、とにかく早く!と強く言われた。翌週早々の予約が決まった。

 予約の日を迎えた。私鉄を乗り継ぎ、バスに乗り、T医療センターへ。駒沢公園の前にあり、木々が生い茂った緑の美しい病院だった。元国立病院だが、そんなに威圧的ではなく、ロビーもゆったりとしていて、明るい光が存分に差し込んでいる。内科の待合室で待っていると、ほどなく呼ばれ、内視鏡権威の医師と初対面する。
想像していたよりずっと若い!まだ、せいぜい30代半ばにしか見えない。おしゃれに毛先をツンツンはねさせた髪形がキマッており、白衣からのぞくワイシャツは薄いラベンダー色で、ボタンも可愛い。また、表情がやわらかく、歌舞伎役者の片岡愛之助そっくりである。心のなかで、ラヴリン医師と呼ぶことにした。ラヴリン医師は外見を裏切らない優しい口調で
 「胃カメラの写真とカルテを見ましたが、とにかく外科手術を早くしなければならないので、もう一度、私が胃カメラを行って、診察し、外科の医師との診察を入れましょう」 という。とにかく再度、胃カメラを取らなくては、手術の予定も方向も決まらない。その週のうちに、胃カメラの予約を取る。もう、仕事がどうのこうの言っていられる場合じゃなく、医師の言うがままにまかせるしかない。こうなれば、早く予定を組んでもらい、復職をなるべく早くしたい。本当は自分はせっかちな性格である。友人にも、行動的、決断が早い、と言われるが、実際は何も考えず先走り気味ということだ。今回の癌については、ぐずぐずしていたが、医師の行動が早いので、本来の自分が戻ってきた。

 胃カメラの日。気持ちは余裕たっぷり。内視鏡権威のラヴリン医師のこと、楽ちんで終わるだろう。横になって待っていると、看護師さんが、「頑張ってね」と、声をかけてくれる。ラヴリン医師がさっそうと登場。胃カメラの挿入はさすがである。痛くも違和感もない。ところが……、カメラが胃に入ってから、胃をグルグルかき回され、つつかれ、何かを噴射され、痛い!思っていた胃カメラと違う……。眼から涙があふれ、看護師さんが背中をさすってくれる。時間も長い。かれこれ40分もたって、やっと終わった。看護師さんが
 「よく頑張ったわね」
とねぎらってくれた。
少し休んだ後、写真を見ながらのラヴリン医師との診察が始まった。
 「癌の範囲をくまなく見て、どこを切るか、しるしを入れました」
 「しるし?」
 「癌の範囲に切り込みを入れ、墨汁を吹き付けるんです」
なるほど。施術中の痛みの原因はそれか。
 「癌は4センチ以上で、やはり、胃の3分の2は切らなくてはなりません」
私はここで、ずっと気になっていたことを思い切って聞いた。
 「あの、私の癌はスキルスですか?」
申し訳ないように少し顔をゆがめて
 「そうです」
と、ラヴリン医師が答えた。病巣の広がりが早く、胃の表面は一見きれいで、自覚症状が出た時はすでに手遅れのことが多く、そうなると5年生存率が5%未満という、スキルス癌。とても恐ろしい言葉だったが、ずっと一人でもやもやと不安と闘っているより、言葉に出してくれた方がすっきりした気分になれた。
 「この癌は、早く手術をしなくてはなりません。病院へ来るのが数か月遅かったら、我々も助けられなかったかもしれません」
でも、と、
 「今なら、5年生存率も大丈夫ですよ!」
ラヴリン医師が力強く言ってくれた。
 「とにかく、これから、外科の医師と面談してください。今、僕が連絡するので、同じフロア―の外科の待合室に行ってください」
今度は外科医との対面である。
 「外科の先生も、僕みたいにとても優しくて実績のある先生ですからね。安心して診察を受けてください」
自分の優しさを自覚しているラヴリン医師がちょっとかわいい。
 外科の待合に行って、看護師さんに名前を告げると、
 「連絡もらっています。少しお待ちくださいね」
という。待合は多くの患者さん、お年寄りでいっぱいだった。一分も待つことなく、私の名前が呼ばれた。ずっと朝早くからきている患者さんへ割り込みをしたようで、心苦しくなりながら、病院の早い対処に感謝した。
 外科のドアをあけると……私は本当にラッキーなんじゃないか、そこには気品のある笑みを浮かべた、今まさに執刀医としては円熟の極みであろう50代の白髪混じりの医師が、迎えてくれた。おまけに、リチャード・ギアのようにハンサムである。地元のデンゼル医師といい、ラヴリン医師に続き、オオトリはリチャード医師。スキルス癌という大きな不運のおかげで、ささやかなラッキーの積み重ねがひときわうれしい。
 リチャード医師はまずひとこと、
 「大変でしたね」
と、優しい言葉をかけてくれ、さっそく手術の説明をしてくれる。
 「この癌だと、胃の3分の2を切ることになるでしょう。みぞおちから、おへそまで切っての開腹手術、お腹に数か所の穴をあけ、おへその上を数センチ切る腹腔鏡手術、それから最新のロボット手術があります」
ロボット手術は初めて聞く言葉だ。なにやらSF映画の様なワクワクする響きがある。
 「ロボット手術は最新の技術で、とりづらい部分の癌までメスが届き、取り残しの危険がないため、再発のリスクが減ります。ロボットを操作するのは無論私たちです」
ロボット手術、いいではないか、せっかくなら新しいものを経験してみたい。
 「ただ・・・保険の適応外のため、自費で60万円はかかります。がん保険では、カバーしてくれるものもありますが」
60万!到底無理。最新医療を受けてみたいが、ここは、体の負担が少ない腹腔鏡でやってもらうしかない。手術の日取りは、リチャード医師が予定をやりくりしてくれて最短の2週間後に設定してくれた。そして、手術までの間、がんが転移していないか、手術へ向けて心臓や肺が耐えうるか、様々な検査を受けることになる。バリウム注腸、他の臓器のCT、心電図、体力テストなどである。バリウム注腸は聞きなれない言葉である。
 「腸に癌が転移していないかを調べる検査ですが、腸にバリウムと空気をいれ、レントゲンで見ます」
腸にバリウム・・・。聞くからに気持ち悪そうだ。胃カメラは好きだが、腸の検査は未知だ。
リチャード医師がてきぱきと、検査の日程を入れ、これからの2週間が検査で埋まっていく。もう、仕事が、などと言っていられない。次々と検査の予定表が印刷されてくる。
 「検査の説明は看護師がしますので、今日はそれを聞いてお帰りください」
リチャード医師の診察が終わり、別室で看護師さんの詳しい説明を受けるが、あたまがごちゃになってくる。バリウム注腸検査前日の検査食もお粥だけだし、大量の下剤もまずそうで、重くなった気持ちを抱え、バスに揺られながら帰途につく。しかし、何よりも私の気を重くしたのは、息子のことと、これから手術、入院にかかる費用、入院中、退院後の生活費などの経済的なことだった。話は前後するが、今になって、さまざまな癌の体験記などを読んでみた。著者は著名人、芸能人である。そこには、
 「入院するなら絶対個室にするべき」
 「見舞客が一日に20人も来て疲れた」
 「個室が花であふれかえった」
 「執刀医が退院後も容態を気遣い、頻繁に電話をくれる」
などと、書かれたものがあった。なにか、庶民の感覚からはずれていると思った。スキルス癌の診断が下され、手術の予定が決まった自分が、まず考えたのは、経済的なことだった。ここでの癌についてのエッセイは、明るく前向きなものにしたいと思っている。しかし、今こうして生活できるのも、私を家族のように大切にしてくれている、友人や親せきの助けがあったからこそである。とてもシリアスで大切なことなので、重い気持ちをはねのけ、正直に書きたいと思う。アメリカの大親友Kは、真っ先に援助を申し出てくれた。昔からいつの時も私や息子をさりげなく、力強く支え続けてくれたかけがえのないK。しかし、実際のお金の援助となると話は別である。あまりに申し訳ない、自分が情けない。でも、Kは、こういう時こそ、親戚にも頼るべきだと、強くいう。母の葬儀、父の入院から葬儀まで、お世話になりっぱなしのもう高齢の、農業を営む優しい人たち。その人たちにまた、負担をかけるのか、そうまでして癌の手術をする意味が、生きる意味があるのか……。私が癌を治したい、と思う理由は息子の存在だった。病気を背負った息子を一人残して、まだ死ぬわけにはいかない。息子の家族は私しかいない。自分は、様々な困難も乗り越えてきたし、様々な挑戦もしてきた。それでも、お金の無心をするということは、今までの中でももっとも厳しい試練のように思えた。

 親せきのいる山梨へ行く日。雨だった。一層気が重くなった。車窓から望む美しい山々の景色も自分を慰めてはくれない。
 駅には大阪の叔父が迎えに来てくれていた。叔父の心配そうな顔を見た途端、涙が出そうになってきた。それを必死でこらえて、まず、両親の墓へと向かった。ごめんね、と手を合わせて、叔父が買っておいてくれた花を手向けた。
 親せき宅につくと、雨合羽をきて、農作業に出ていた叔父と叔母が迎えてくれる。
 「カナちゃん、大変だったねえ……」
と、いつもながらやさしい叔母の泣きそうな顔に、私も涙ぐみそうになる。
 皆は電気の入っていないこたつを囲み、お茶を飲み、私の病気を気遣ってくれている。陽気な大阪の叔父も、場の雰囲気を明るくしようとしてくれて、山梨の無口な叔父は、心配そうに顔をゆがめている。なかなか、お金のことが切り出せない。しばらく、沈黙が続くと、叔母がこらえきれないように、
 「カナちゃん、お金、大変でしょ?いいんだよ、私たちを頼ってくれて。頼ってくれたら、嬉しいよ」
と、涙ながらに私の顔を覗き込む。
 「心配ばかりかけて、優しさに甘えてばかりで申し訳ありません」
畳に手をついて頭を下げた。涙がぽたぽたと落ちてきた。
大阪の叔父が  「カナちゃん、お金のことは心配せんでもええ。治療に専念せえ」
と、力強く言ってくれる。無口な叔父も、何度も頷いている。
 農繁期ですぐに農作業に戻らなくてはならない叔父たちと、昼食を囲み、また、大阪の叔父に駅まで、送っていってもらう。叔母がそっと内緒で包んでくれた3万円が重たい。しかし、その3万円で検査も受けられる。ありがたかった。叔父や叔母に感謝の気持ちと、自分が情けない気持ちでいっぱいになる。叔父や叔母、そして大親友Kには、かならず恩返しをしよう、早く元気になってしっかり働こう、とあらためて強く心に決めた。
 2016.05.15 (日)  癌との出会い
 現代は3人に1人が罹患するという癌。ニュースを見れば、若くして癌で亡くなった著名人の報道。私は大丈夫!と健康には自信を持っていた自分が、まさか・・・!そんな日々を綴ってみました。

 きっかけは息子の一言だった。
 「おかん、爪の形、ヘン」
滅多に口をきかない大学生の息子に指摘されたのは、昨年の5月半ばのこと。
 「そうなの?」
と、生返事をしたものの、爪の形くらい、どうってことはなかろうと、放っておいた。当時の私は仕事3つ掛け持ちし、7月には初の小説「ブルーマジック」の発売もあり、毎日朝、というか夜中の2時に起き、原稿を書き、それから仕事に向かうという、多忙の日々を送っていた。
 その週末、校正原稿をチェックしていると、私の目の前に息子がバサッと書類を束ねたものを黙って置いた。息子がインターネットで得た、「爪の形の変形にみられる重篤な疾患」という文書だった。クールな息子とはいえ、やはり母1人子1人の家族。心配してくれているのだな、と、申し訳ないような、嬉しいような気持ちになった。文書に目を通すと、私の場合、指の先端が腫れ、爪が大きくカーブを描いている「バチ爪」に当てはまるらしい。そこに息子が引いたマーカーラインのブルーが光っている。日ごろからネイルケアなどしないし、自分の爪が不格好とは思っていても、気にも留めていなかった。そのバチ爪から考えられるのは、肺、心臓の疾患ということだ。爪に現れる時点でかなり重篤だと書いてある。しかし喫煙歴のない私には、思い当たる自覚症状もない。それでも息子を安心させるために、地元のクリニックで500円で受けられる健康診断を受けることにした。

 健康診断の結果、肺、心臓ともに異常なし。息子もかかっているホームドクター的なT医師は「良かったですね」と優しい笑顔で頷く。その少し下がり気味の目は俳優のデンゼル・ワシントンのように慈悲深い。私も、やっぱりね、と安心する。
 「念のため、胃カメラとりましょうか? 前撮った時から1年経っていますし」
デンゼル医師にそういわれたものの、正直面倒くさかった。当時私の体重は36キロから7キロ。痩せてはいるものの、長年体重の変動はないし、食欲は旺盛。たまに胃の具合が悪くなることはあったが、そのくらいの胃の不調なんて、誰にでもあるだろう、と思っていた。渋っている私に、
 「まだ若いんだし、息子さんもいるし」
と促され、「若い」という言葉に気を良くし、1ヶ月後に胃カメラの予約を取った。帰宅した息子に、
 「肺も心臓も、なんでもなかったよ。心配かけてごめんね」
と、報告すると、あっそ、というそっけない返事。
 息子は障害を持って産まれ、9回の手術を乗り越えてきた強者だ。今も、後遺症、複合障害、薬の副作用と闘い、杖をつきながらも、頑張って大学に通っている。そんな息子には、よけいな心配はかけたくなく、家では安心して過ごしてほしいと思っていた。

 胃カメラ検査の当日。デンゼル医師は3度の飯より胃カメラ好きという噂で、技術も優れている。ぼおっとしている間に終わり、小1時間ほど別室で横になったあと、写真を見ながらの診察が始まった。写真を見ると、素人目でも、綺麗な胃だった。怪しげな突起も、出血もない。
 「念のため、細胞を取ったので、病理検査に出しますね。10日後に結果がでますので、その時また、いらしてください」
 私は、綺麗な自分の胃の写真を持って、
 「胃潰瘍もないのか。やっぱ、私ってたくましい」
と、ちょっと肩透かしを食ったような気持ちで帰宅した。しかし、このあと「綺麗な胃」が、まさかの診断に繋がる。

 胃カメラの日から、2週間過ぎていた。私は相変わらず多忙な日々を送り、診察のことは、すっかり忘れていた。デンゼル医師のクリニックは人気が高く、受付から診察まで2時間くらい待つのが当たり前で、「綺麗な胃」のためにわざわざ赴くのが面倒くさかったこともあった。
 ある日、私が仕事から帰ると、すぐにインターフォンが鳴った。ドアを開けると、クリニックの受付の女性が、立っている。
 「すみません。何回かお電話したのですがつながらなくて。いま、自転車が見えたので、いまだ!と思って」
なんだろう、と次の言葉を待つ。
 「病理検査の結果が出ましたので、いらしてください。先生も心配しています。お並びにならなくていいので、すぐ診察を受けてください」
 わざわざ来てくれた女性に感謝しつつも、その時は、「もうすぐ息子が帰ってくるから夕ご飯の支度しなきゃ」という気持ちが先にあり、
 「わざわざすみません。じゃあ、明日伺います」
と返事をした。家まで訪ねてきてくれたことに、ちょっとだけ、嫌な予感がしたものの、多分、家の電話がつながらないので、病気を抱えた息子との母子家庭、何かがあったのかと、心配してくれたのだろう、と思った。というより、思うようにした。

 次の日の朝一番に並び、仕事の前に診察を受けた。ちょっと、ドキドキしている。
 「癌が見つかりました」
マジか!・・・とは言えないので「はい」と、次の言葉を待つ。
 「多分、胃の全摘か3分の2は切ることになるでしょう」
ここで、事の重大さに今更ながら、ショックを受けた。小説の原稿の校正を終え、ひと区切りがついたので、仕事をバンバン増やそうと思っていた矢先だった。
 「先生、内視鏡とかで、ちゃちゃっと日帰り手術とか、できませんか?」
 「うーん、この癌は未分化型と言って、癌には良い癌と悪い癌があるのですが、たちの悪いほうです。細胞を伝って癌が広がっていくので、見た目は綺麗な胃なのですが、切らないことには・・・」
 「新しい仕事を増やそうと思っていたところなので、いまは、そこでいっぱい稼ぎたいので、8月以降に手術とか、ダメですか?」
我が家の事情を知り尽くしているデンゼル医師には、何でも言える。
 「いや、この癌は、さっさと切らなくてはダメです。手術のできる病院に予約を取りましょう」
デンゼル医師はいろいろな病院を紹介してくれる。どの病院もバスと電車を乗り継がなくてはならない。デンゼル医師は、
 「入院中や手術後、身の回りのお世話をしてくれる人はいますか?」
 「入院中、息子さんの看護はどうしますか?」
と、いろいろ心配してくれる。だんだん、大変なことになった、と実感してくる。私のあと、待っている患者さんもいるのに、私ばかりに時間を費やしてもらっては、申し訳ない、と思いつつも、なかなか、病院を決めることができない。
 「今日の夜なんですが、ちょうど、T医療センターで内視鏡手術の権威のドクターの講演会があるので、僕、この写真とカルテをもって行ってきます」
 ありがたい。深々と頭を下げて、診察室を出た。すぐ、仕事に行かねば、ならない。その日は障害を持ったお年寄りの介護をする日だった。私が来るのを心待ちにしてくれている優しいおじいちゃん。いつものように、明るく、元気にお世話をしなくては。訪問介護先へ自転車で向かいながら、
 「癌なのか・・・。 それもたちの悪い方って・・・」
暗い思いが頭を駆け巡る。
 「死んじゃったら、もう、息子に会えない・・・」
息子の顔が思い浮かび、そこで初めてじわっと、涙が出そうになった。
 「あー! 生命保険入っておけばよかった!」
思いっきり後悔しつつ、力いっぱい自転車のペダルをこいだ。いつもの上り坂が、とても苦しく感じていた。
 2014.11.14 (金)  Guts Over Fear
 先日、久々に素晴らしい爽快感のある映画に出会った。
 デンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」である。昼間はホーム・センターの店員、夜は、弱者から搾取する巨大な悪の組織と一人戦う男。かっこ悪いわけがない。初めはそんなに期待していたわけではなかったが、始まってすぐに映画に引き込まれた。隣に座っていた若い女の子も、ポップコーンとコーラを片手に、いかにも待ち合わせまで時間が空いたから暇つぶしにきている、という感じだったのに、すぐに身を乗り出して画面に食い入るようにしてみていた。シャツの裾をジーンズにたくし込んできっちりベルトを締める真面目そうな、しかし少し謎めいたホーム・センターの店員が、夜は19秒で、銃器を用いず悪を完全末梢する。気持ちがいい。全編を通して、効果音、挿入歌がまた最高だった。主人公と一体化したような血流のドクドクという音が絶え間なく流れ、スリリングなシーンにピッタリの好戦的かつ哀切の漂う音楽がやむことはない。セリフも一つ一つ、とても洗練されていて聞く者の心に入り込む。ハリウッドはさすがだと思わせる、私のなかの今年度最高の映画だった。
 デンゼルが助けるロシアの娼婦役の女優もいい。「キック・アス」「キャリー」で売れっこのとてもかわいいクロエ・グレース・モレッツが、役作りのため10数ポンド体重を増やし、生きることに疲れても、歌手になるという夢を捨てない健気な女を演じていた。デンゼルがその彼女の夢を助け、売春組織から抜け出させようと戦うところからから物語は一気にスリリングなアクションへと展開していく。
 しかし、なんといってもデンゼルが立ち向かうロシアの殺し屋がいい。こいつを怒らせたらマジでヤバい、そんな恐怖感を観客に植え付け、でもどこかでその心の奥を知りたい、と思わせる悪役中の悪役である。
 ぜひ、映画館の大音響の中でその世界に浸りきってみてほしい映画である。

 表題の guts over fear (直訳すれば、恐れ知らずの魂)という曲は、エミネムである。映画のラストに流れてそのラップに、すぐエミネムだとわかり、とても興奮した。しばらく聞いていなかったが、見事に活躍してるようで嬉しい。
 映画「8マイルズ」で自身の物語に主演し、数々のヒット曲を出した、ラップ界の白い暴れん坊。客をクソとなじり、クラブでは暴れまわり、母親と妻から訴訟をおこされ、体中タトウ―をいれた悪ガキ。しかし、私は彼の「When I’m gone」で彼の娘への思いに涙したし、「lose yourself」をきくと、力が湧いてきた。映画「8マイルズ」では、黒人街のクラブでラップ大会に出ようとするエミネムに黒人MCが「テメーは8マイル先(白人街)でやってな」と言い放つ。私も、こちらのエッセイではいいことしか書いていないが、たった一人の非白人として黒人大学に乗り込み、危ない目にもいやがらせにもあっている。それでも、黒人街から離れない。白人でありながらラップを極めようとしたエミネムの気持ちがよくわかる。また、その過激なラップの内容やプライベートでの行いでバッドボーイズの異名をほしいままにしてきた彼だが、私には、彼の瞳が、「お袋、どうでもいいから愛してくれ、妻よ、俺の愛を受け入れてくれ、ヘイリー、ダデイはお前を世界一愛している・・・。
 でも俺には、愛されるということも愛するということもわからないんだ・・・」と、叫んでいるような気がして、母性本能をぎゅっとつかまれた。その悪ガキが、みごと、また、社会に衝撃的な内容のラップを引っ提げて音楽シーンに戻ってきた。ラップの内容は、挑戦的ではあるものの、過激さは薄れ、「なんか、エミネム、おとなになったなあ」と思わせるものだ。「not afraid」も、「怖がるな、俺についてこい!」というリーダーシップ要素があるし、それをラップしているエミネムもすっきりとした表情で力強い。「なんだよ、かわっちまったのかよ、エミネム。お前が嫌っていたつまんないオトナかよ」と、思うかつてのファンもいるだろう。しかし、私は、彼が過激なラップをやろうともまともなメッセージを送ろうとも、どちらでもいい。彼の瞳は変わらないからだ。意志が強そうで、攻撃的で、それでも悲しくて、愛情というものに飢え、もがいている一人の青年。そんな白人ラッパーからの心の叫びは、いつでも私に共感を呼ぶ。

 「イコライザー」でも、デンゼル・ワシントンの瞳が語っている。ホーム・センターでの気のいい中年男の時の瞳、悪をやっつけるときの瞳、夢を持った娼婦への思いやりにあふれる瞳。デンゼルがイケてないチェックのシャツを着て、荷車を押しているときも、非情に悪人の切り倒すときでも、その瞳の奥底には弱者への慈愛と悪への憎しみに満ちており、正義感が色を失うときはない。
 瞳は自分を偽れない。  人の印象はルックスで決まることが多いと聞く。外見がいいと、年収が15%上がるというデータもある。では、良い外見とは何だろう。声をかけられたら、気安く連絡先を教えてしまいそうな外見は、以下の (A) (B) どちらだと思われるだろうか?
(A) 手ぶら             (B) ギターを下げている
(A) 子供を連れている       (B) 犬を連れている
(A) 緑のシャツ           (B) 赤いシャツ
(A) ステーキを食べている    (B) セロリを食べている
 全て (B) のほうがよいそうである。それをもとにすると、赤いシャツを着て、ギターを下げ、犬を連れて、セロリをかじりながらナンパしたら、モテモテ・・・
 そんなわけ、ないだろ!と、すかさず突っ込みが入るだろう。
 いくら外見を取り繕っても、お金をかけて整形しても、瞳の奥底の光は変えられない。 ダサいエプロンを身に着けていてもデンゼルがかっこよく、体中タトウ―のエミネムが愛情あふれる男だということ、それらはすべて、瞳が物語っていると思う。

 「イコライザー」は、正義感たっぷりの物語に加えて、音楽で気持ちを奮い立たせてくれる効果もある。思う存分浸って、翌日からの自分の世界で戦う勇気をもらってほしい、そんなメッセージを感じた素晴らしい作品だった。
 2014.07.31 (木)  The Devil's Violinist
 映画や小説のタイトルに、「狂気の……」と入っていると、滅法弱い。ふらふらと引き寄せられてしまう。先日も、「愛と狂気のヴァイオリニスト・パガニーニ」のトレイラー版をネットで見て、即座に渋谷へ観に行ってしまった。
 パガニーニは、1800年代に活躍した天才的なヴァイオリニストだ。その技巧、作曲は、従来のクラシック音楽が天使に魅せられた美しさなら、パガニーニのそれは、悪魔に魅入られた危険な美しさだった。激しい演奏で、弦が切れてもG線だけで、ソナタを弾きこなす。ギャンブル好きで、大負けして、大切なヴァイオリンを取られてしまったり、リサイタルはすっぽかし、女性とベッドにいることが好きで、怪しげな煙を吸引している。たまらない。魅力がたっぷりだ。
 パガニーニの演奏テクニックのすごさから、彼は悪魔と取引をした、という噂が立ち、コンサートでは、十字を切る女性客の姿もたくさん見られたという。
 悪魔とミュージシャン。
 ありそうだ。
 悪魔と取引をしたとうわさされるミュージシャンは、それだけで、他の音楽家とは違った危険な魅力と実力を持っているということだ。ブルース・ギタリストのロバート・ジョンソンしかり。
 悪魔はちゃんと考えている。実力もないただの飲んだくれには、契約書を持ってこない。悪魔はやり手のプロデューサーなのだ。契約を交わしたら、アーティストの過去まで作り、現在を演出し、思う存分力を発揮できる環境を作る。
 私だって、そんな悪魔が契約書をもってきたら、ホイホイ、署名してしまいそうだ。いや、実は、数年前、あった。一つの仕事をやり終えた私は、それをどうやって売って、これからの自分の活動に生かせるか、考えていた。そんな時、悪魔がやってきた。魅力的なオファーを持って。私の心は、ぐらぐらとゆれたが、結局、サインはできなかった。
 怖かったのだ。実は、かなり小心者の自分、悪魔にpay backできる自信がなかった。 失いたくないものもあった。もし、あのとき、サインをしていたら……今の自分は違ったかもしれない。でも、その時の悪魔さんは、しつこくなかったので、私のことは大して見込んでいなかったのだろう。それでよかったのだと、今は思う。

 映画でパガニーニの役を演じている、デイヴィッド・ギャレッドが、素晴らしい。
 10代でパガニーニのカプリースを弾きこなし、CDも発売し、実力は周知の事実、それに加えて、濡れたように甘い瞳を覆う長い睫、演奏中に揺れ動く黒い髪、細マッチョな上半身……(今はちょっとふっくらしているようだ)。才能もあって美しい、絵になるヴァイオリニストだ。彼を見るだけでも、この映画は楽しい。

 私は文学と音楽が大好きだが、音楽のほうが感情的に好きだ。それこそ狂気の、という感情に近いものを共有できるからだ。だいたい、素晴らしい小説を読んで感動しても、読者はよっぽど具合でも悪くない限り、バタッと失神したりしないだろう。ところが、音楽だと、そこらじゅうでファンが泣き叫んでいたり、まさに、失神して倒れ込んでしまうことがある。それも、たった3分の曲で。3分の熱狂を繰り返し、繰り返し、体験できるのが、音楽の素晴らしさだと思う。

 破天荒でやんちゃな芸術家は、周りの者の心配の種だ。いつもきりきりと、奥歯をかみしめて、全てがうまくいきますように、と願っていることだろう。でも、芸術家は、それでもいいのだと思う。品行方正な芸術家も素晴らしいが、悪魔に魅入られるような、危うい芸術家は物語になる。

 私は、音楽が大好きで、それでアメリカまで行ってしまった。よく人からは、行動力があるとか、自由奔放だとか言われたこともあるが、アメリカに行く中で、ひとつ、誓ったことがある。
 「ミュージシャンには恋しない」
 もし、ミュージシャンなんぞに恋をしてしまったら、彼の才能をひっくるめて愛するわけだから、その男が、ジャンキーでも、金遣いが荒くても、女と遊びまくっても、愛することをやめることはできない。きっと、自分は自分の夢をも投げ出して、その男に愛のありったけを注いでしまうだろう。それがいやだったのだ。自分の夢まで食い尽くすような恋はしたくない。
 そんなわけで、私は今も、夢に向かってちょろちょろ前進しているのか、していないのか。
 数年前の悪魔さんは、また私のもとに来てくれることはなさそうなので、地道にやっていこうと思っている。ときに、音楽で失神するほどの高揚を感じながら。
 2014.05.23 (金)  ブルージャスミン
 ケイト・ブランシェット主演の映画、「ブルージャスミン」を見てきた。テネシー・ウイリアムスの有名な作品、「欲望という名の電車」をもとにウディ・アレンが製作したというものだ。1951年に公開された「欲望という名の電車」では、「風と共に去りぬ」で一躍有名になったビビアン・リーの演じる主人公が、過去の華やかな生活から逃れられず、落ちぶれても虚栄心に取りつかれ、妹を頼ってニューオーリンズへ行く。しかしそこでも傲慢な嘘ゆえに周りからも嫌われ、幸せからはますます遠のき、精神が壊れていくブランチを好演していた。

 「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットもよかった。ブルーの瞳が、じりじりと迫ってくるような狂気を語っていた。大声でがなり立てたり、泣き叫んだりする演技より、瞳の力ひとつでストーリーを語る役者をみると、本当に素晴らしいと思う。

 「ブルージャスミン」では、舞台をサンフランシスコに移していた。サンフランシスコも美しい街だ。私が訪ねたのは夏だった。埠頭には白い船が何隻も付き、足元がぐらつくほどの急な坂道には、カンカンと鐘を鳴らす赤と緑を基調にしたケーブルカーが走り、通りは潮の香りに満ちている。ゴールデンゲイトブリッジもきらきらと輝き、フィッシャーマンズワーフには朝から、魚介類とガーリックの匂いが漂っている。名物のカニ料理と飲むキンキンに冷えたモンラッシュの白も美味しい。それでも、いかにも西海岸らしい、空気のあけっぴろげで清廉潔白な明るさに、ニューオーリンズの罪悪感を秘めたような隠微さが恋しくなったものだった。同じ港町でも、どうして感じ方が違うのかな、と思うと、それは、「欲望という名の電車」、一幕目のブランチのセリフに現れていると思う。
 「“欲望”(desire)という名の電車に乗って、“墓場”という名の電車に乗り換えて、“極楽”(elysian)という通りで降りるように言われたのだけれど」
 ブランチが路面電車にのって妹を訪ねる時のあまりにも有名なセリフだが、この、墓場までセットでついてくる退廃的なところが、ニューオーリンズの醍醐味ではないだろうか。
 今では、残念なことに、desireという名の電車はなくなり、St.charles線のみのストリートカーになってしまったが、それに乗って墓場(cemetery)へも極楽通り付近までもいくことができる。

 そのブランチのセリフのように、一言や一場面で映画の印象が決まり、物語を表している作品は、それだけでも成功なのではないかと思う。

 アメリカ人の最もお手軽な娯楽の一つは映画観賞なので、皆、よく見ている。皆が皆、映画通といってもいい。だから、会話の端々にも、映画好きには通じるエッセンスが盛り込まれており、映画のタイトルや登場人物を言うだけで、会話が成り立つこともある。
 例えば、ムカつく相手には、
「馬の首な!」
(ゴッドファーザー・パート1で、敵対するマフィアのボスのベッドに、彼の愛馬の血みどろの首を忍ばせる)
 何をやってもうまくいかない、甘ったれ、それでもどこか同情を禁じ得ない男には、
「フレドだなあ……」
(同じくゴッドファーザーより。熱くてキレやすいがリーダーシップのある長男のソニー、冷酷で頭がよくゴッドファーザーとなる三男のマイケル、そんな出来る兄弟に挟まれた次男のダメ男、フレド)
 大学の寮の一室で、白人女子学生と黒人男子学生が抱き合っている場面に遭遇してしまったら、目を覆い、思わず、
「マンディンゴ!」
(黒人男性奴隷と白人女主人が関係を持った昔の奴隷映画。マンディンゴとは、アフリカの種族の名)。
 会社に入りたてでおどおどしていると、
「トレーニング・デイ(研修中)かよ?」
(デンゼル・ワシントンが悪徳警官になり、新人を鍛える)
 元カノの世話をせっせとやき、新しいBFの仲まで取り持つ男友達には、
「カサブランカな奴だな!」
(ハンフリー・ボガードが、元カノとその夫の逃避行を助ける)
などなど。
 いい映画は人々の心に長く残り、見終わった後も楽しみを与えてくれる。

 「欲望という名の電車」では、ラストのブランチのセリフも有名だが、「ブルージャスミン」では、少々違ったラストになっている。それは、見てのお楽しみ。
 その「欲望という名の電車」では、乱暴で酒飲みの酷い男を若き日のマーロン・ブランドが演じているが、悪い男の役なのに、かっこいい。彼が全編を通して着ている白のTシャツは、それまで、Tシャツというと下着としての概念しかなかったのだが、映画によって街着として市民権を得たとのことである。
 ラストのセリフといえば、「風と共に去りぬ」のレット・バトラーの、「Frankly my dear, I don’t give a damn」もいい。

 などと、映画の話は尽きないものである。



[2009年7月〜2013年12月のコラム]
2013/11/29 (金)  Blue Brain vs Pink Brain
2013/10/30 (水)  Grand Illusion
2013/09/21 (土)  Men in the Kitchen
2013/07/23 (火)  Southern Soul
2013/01/17 (木)  How Can You Sleep at Night
2012/11/13 (火)  高揚の秋
2012/09/29 (土)  Ain't No Mountain High Enough
2012/06/22 (金)  If You Can
2012/03/18 (日)  Nickname
2011/12/20 (火)  jealousy と envy
2011/09/25 (日)  ダズンズ
2011/07/17 (日)  Raw & Odor
2011/04/17 (日)  Little Boy
2011/01/15 (土)  男はBBQ、女はパイ
2010/12/04 (土)  Saturday Night Live
2010/10/31 (日)  Mississippi Burning
2010/09/04 (土)  Six Feet Under
2010/07/01 (木)  Knock the Door
2010/04/23 (日)  Friend Before Lover
2010/04/11 (日)  女性にモテる職業
2010/03/06 (土)  南部のミスコン
2010/01/18 (月)  ハイチの友人
2009/12/20 (日)  ニューオーリンズのクリスマス
2009/11/23 (月)  サザン・ホスピタリティ 1
2009/10/30 (金)  ポンチャントレイン・レイク・コーズウエイ
2009/10/12 (月)  ヴードゥーの女神たち
2009/09/16 (水)  理想郷という名の裏通り II
2009/08/25 (火)  理想郷という名の裏通り T
2009/08/13 (木)  ニューオーリンズのB級グルメ
2009/07/22 (水)  Scent of New Orleans

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